僕が小学生だった昭和40年代の小学校は基本的には給食だったが
遠足や運動会などの行事がある時は弁当を持参するという具合だった
現代のように多種多様な冷凍食品が少なかった当時弁当は母の手作りだった
余所の家庭はどうだったかは知らないがウチの母が作る地味な弁当(笑)で
強烈に存在感を放っていたのが色どりも鮮やかな寒天だった
弁当持参の前日に母が棒寒天を沸騰した湯に入れて溶かせて
アルミの型に入れて冷蔵庫で固めてた姿をよく目撃した
棒寒天は、赤、緑、白が定番だった
現代はカップ入りのデザートも多種多様で今の子供は簡素な寒天なんて
喜びもしないだろうがデザートと言う物が希少だった昭和のあの時代の
子供にとっては弁当を彩る貴重なデザートだったのだ!
ジャンジャン!!