間違いだらけの昭和の常識 | PRAINSのブログ

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昭和の時代に正しいと信じ込まれていたが平成になって

実は逆に諸悪の根源だと定説が覆されたものがいくつかある

 

昭和51年、中学1年の時に所属してた陸上部で死ぬほどやらされた

「うさぎ跳び」が実は膝や腰を痛める元だと解明されたのもそうだ

これには星飛雄馬もビックリじゃなかろうか (笑)

 

スクワットも正しいフォームでやらないと意味がなく膝や腰を痛めると聞く

スクワットの正しいフォームは膝が足先より出ないように屈伸する事だ

昭和のうさぎ跳びは最初から膝が足先から出てるフォームだ

 

当時陸上部では、うさぎ跳びで階段まで登らされていたぞ

あの地獄のような苦しみはいったい何だったのか(笑)

 

 

これも、昭和スポ根あるあるだがスポーツの最中は水分を取ってはいけないと言われていた

それが今ではスポーツに置いて水分補給は最重要事項だとされている

これには、岡ひろみも驚いたんじゃなかろうか (笑)

 

当時は運動中に水分を取ると息が上がったり横腹が痛くなると言われてた

まあ当時は現代の夏ほど暑くはなかったが今思えば自殺行為だと思う

 

しかし昨今よく熱中症って言葉を聞くが当時熱中症って聞いた事なかった

帽子を被ってないと頭に日が入って日射病になるとは言われてた

熱中症と日射病って同じ意味なんだろうか?

 

 

あの頃スポーツは血と汗と涙を流しながら根性を鍛える為にあるとされた

精神的にも肉体的にも追い込まれ、理不尽な鉄拳制裁は当たり前で

それに耐える事で根性が鍛えられ成長し良い成果が出るとされた

 

今思えばそれは大日本帝国の軍人の訓練の流れだと思う

欧米では昔からスポーツは楽しむ事が最重要だとされている

それが日本では心身を鍛える為のものとされていた

 

鮎原こずえも、そんなシゴキに耐え忍んだ健気な少女だった

彼女は女だから涙も許されるが、これが男だったら

更に酷い制裁が加えられただろう (笑)

 

 

明訓高校のエース里中は200球投げた後も肩肘をアイシングせず温めていたそうな

あの時代、ピッチャーは肩肘を冷やしてはいけないとされていた

だからピッチャーは水泳さえ禁止されていたのだ

 

今の野球界ではプロは元より小学生でもピッチャーは投球後にアイシングをする

投球で酷使した肩肘は毛細血管が避けて乳酸が溜まる

それを氷で冷やして固めて血流で乳酸を流し回復を促すのだ

 

しかし以上の事は昭和の時代のスポ根アニメでも美学のように描かれていたし

指導者の言う事やスポ根アニメに洗脳されてた当時の子供は正しい事だと信じて疑わなかった

僕がこれらの事実を知ったのは息子たちが野球を始めて僕も学習したからだった

 

ジャンジャン!!