何気ない普段の生活にあった公衆電話 | PRAINSのブログ

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「もしもしお母ちゃん、遅うなったけど今から帰るけん」

「今何時じゃ思うとるんなら、帰って来んでもええで」

 

「時計がなかったけん時間がわからんかったんよ」

「やかましいわい、夜中まで遊びょうけーや」

 

「今日の晩御飯、何?」

「晩御飯なんかないわい」

 

ガチャン!

ー こりゃヤバイ・・・

 

今時はスマホを始め携帯電話の普及で公衆電話なんて見なくなったが

昭和のあの時代の日常には公衆電話にもドラマ性があった

 

 

広の田舎町の長浜で子供時代を送った僕だが昭和40年代の記憶には

当時長浜で唯一在った公衆電話ボックスは入江神社境内だったような気がする

小学校の低学年の頃は写真のベージュの電話ボックスに青色の公衆電話だった

 

あの頃は放課後に入江神社境内でロクムシやピンポン野球

ビー玉を使ったランチンという遊びをよく仲間とやっていた

 

時間が経つのも忘れて遊びに熱中するもんだからついつい遅くなる

視界に時計はないし子供だから腕時計なんて物も持っていない

 

長浜は5時を知らせる校内放送はあったが町内放送もなかったし

陽の傾きで感覚的に時間を予測してたんじゃないかな

 

 

この手の赤い公衆電話は商店の軒先によくあった

まあそれでも長浜全域で10台はなかったと思う

 

現代では下手したら小学生でもスマホを持ってる時代

それはそれで便利でもあるが情緒は感じられない

てか、現代では日が暮れるまで遊んでる子供もいないかな(笑)

 

ジャンジャン!!