老夫婦の旅 (最終回) 国宝 松江城 | PRAINSのブログ

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出雲の竹野屋旅館を後にした僕たちは山陰自動車道を東に走り
国宝 松江城に到着しました

僕は松江城にも数年前にツーリングで訪れましたが、大明神様を伴って来たのは
1987年(昭和62年)の時以来30年ぶりの事でした

城好きな人は良くご存じだと思いますが松江城は現存12天守の一つで
約400年前に築城された姿がそのまま保存されている城郭です


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明治8年には廃城令により松江城諸建造物と三の丸御殿を
民間に払い下げることとし、ことごとく取り壊されました

天守閣は米一俵が3円弱と言われた当時に180円で落札されたが
出東村の勝部本右衛門、高城権八らが資金を調達し
買い戻され取り壊しは中止になり保存されることとなりました


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松江城初代藩主は関ヶ原の戦いで功を上げた堀尾忠氏なんですが
松江ではどうやら忠氏と共に入城した父の堀尾吉晴の方が人気があるみたいですね

その後、堀尾氏は2代で世継ぎがなくお家断絶になり
京極忠高が藩主になるが、こちらも世継ぎに恵まれずお家断絶

その後、徳川初代将軍・家康の第二子・結城秀康の第三子である
松平直政が藩主になり幕末を迎えるまで松平氏の居城となりました


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若い頃から戦国史が好きで城廻りが趣味だった僕は
結婚前に大明神様を伴いよく城見学に行きました

松江城もそんな城の一つだったという事です

彼女がどれくらい城に興味があるのかはわかりませんが現在では行く先々の城で
石垣の積み方などで二人で盛り上がるので(笑)満更でもないと思います


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松江城の二ノ丸には、興雲閣という明治建築の洋館が建っています


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1903年(明治36年)に完成した県内に残る数少ない明治建築で
1907年(明治40年)には皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の
ご宿泊所としても使用されました

正面には車寄せがあり、周囲を豊かな装飾で飾る柱を配した優美な造りです


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1階にはカフェがあり、2階のスペースは有料で貸し切りが出来るそうです

こうして明治時代に建てられた興雲閣を眺め、中に入って感じた事は
歴史がある建物は魅力的だという事でした

ここで個人的に思い出されたのが呉海軍旧下士官集会所の事でした

こうして明治の建築物が立派に保存活用されてるのに
何で昭和2年に建てられた下士官集会所が保存活用出来ないのか?

老朽化が激しいから取り壊すと言った前呉市長は
いったい何を考えていたんだろうか?


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興雲閣の隣には松江神社があります

と、いう事で松江城を後にした僕たちは松江道をひた走り帰宅の途に就きます


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尾道まで帰った僕たちは午後2時頃に遅めの昼食を取ります

尾道ラーメンの超人気店「朱華園」です


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朱華園のラーメンも僕はツーリングで何度も食べてますが
何と大明神様は初めて食べるという事でした

で、そのお味は?
「可もなく不可もなく!」 爆!

ま、人の味覚、好き嫌いは人それぞれですからね 笑!


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尾道から2号線で東広島まで帰った僕たちは伴天連に立ち寄ったんですが
生憎月曜日が定休日だという事で店が閉まってた

そして午後5時、無事帰宅

これで結婚30周年の老夫婦の旅は幕を閉じたと思ったのでしたが・・・


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家に帰ると何とサプライズプレゼントが届きました
長男が結婚30周年のお祝いとしてケーキを買って来てくれた

ちょうど次男も娘も家に居て超久々に家族5人全員の顔が揃いました
出雲大社で家内安全を祈った事が良かったのか? 笑!

と、いう事でこれで「老夫婦の旅」は完結です
長らくのご清聴誠にありがとうございました!

ジャンジャン!!


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