続 伝説の人達 19 城達也 | PRAINSのブログ

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さて、昭和という時代に功績を残し 人々の記憶の脳裏に深く刻み込まれている
昭和の偉人や著名人を取り上げ掘り下げるシリーズ「続 伝説の人」だが
調べて見ると前回は2014年3月1日という事で実に3年ぶりの投稿という事になる

このシリーズに取り上げる人物ですが、僕も昭和の事は何でも知っている
覚えているという事ではないので、何気に読んだ雑誌やSNSニュースに出ていたとか
何気に聴いた音楽で思い出したりとかというパターンが多いんですよね

今回の「城達也」さんも「ある音楽」を聴いて思い出したというパターンです

と、いう事でさっそく本文に入りますがこの記事を読んでおられる方の中で
「城達也」の事がわかる、知っているという方がどれくらいおられるだろう?

たぶん「知っている」と言われる方は40代半ば以上の方ではなかろうか?
40代以上の方で「知らない」「聞いた事のない名前だ」って思われる方
先ずは、この動画↓をご覧になってみて下さい




遠い地平線が消えて ふかぶかとした夜の闇に心を休める時
はるか雲海の上を音もなく流れる気流は たゆみない宇宙の営みを告げています

満天の星をいただく はてしない光の海を ゆたかに流れゆく風に心を開けば
きらめく星座の物語も聞こえてくる 夜の静寂の なんと饒舌なことでしょうか

光と影の境に消えていった はるかな地平線も瞼に浮かんでまいります

日本航空があなたにお送りする音楽の定期便ジェットストリーム
皆様の夜間飛行のお供をするパイロットは私、城達也です


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2017年の現在でも東京FMをキー局にJFN38局で放送されている
イージーリスニング音楽番組である「ジェットストリーム」

放送開始は1967年(昭和42年)で当時東海大学の実験局だったFM東海から放送が始まった
1970年(昭和45年)からはFM東海を引き継いで開局したFM東京に移り現在に至っている

ジェットストリームは毎週月曜日から金曜日の夜0時~1時
そんなジェットストリームの初代ナレーションを担当なさっておられたのが城達也さんだった

後藤亘(当時FM東海職員で現在エフエム東京会長)らが
旅愁を感じさせる番組作りを目指して企画

企画段階では10分番組の予定であったが日本航空が気に入りスポンサーとなった


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これは、当時の日本航空宣伝課長がアメリカへ勤務した際に
航空会社提供の深夜のラジオ番組を聴いて日本航空でも同様の番組をやりたいと
考えており両者の意向が一致したことによる

日本航空のこの番組に対する思い入れは深く日本人の海外旅行が夢だった時代に
世界へ思いを馳せる貴重な番組として位置付けられていた

そのため、番組中では世界中の国や都市の紹介を行い、それらの国、都市へ
ジャルパックで行くにはどれだけの費用を要する、という広告的な紹介が多く
さらに日本航空が通常流しているラジオ広告を番組の終了後に流していた

番組内で広告的な紹介を行なうことは当時として斬新であり初代パーソナリティの
城達也時代でこの斬新さを懐かしみ、今でもこの時代の番組編成に対し根強いファンがいる


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まだラジオが国民の生活の必需品でありラジカセが普及し始めた1970年代

ハッキリとは覚えていないが僕が深夜のラジオ放送を聞くようになったのは
確か1976年(昭和51年)の中学校入学前後頃だったと思う

お目当ては深夜1時から始まるオールナイトニッポンだったが
ベットに潜り込み眠い目を擦って枕元のラジオを聴いているとOPテーマ曲
フランク・ブルーセル楽団演奏の「ミスターロンリー」のメロディーと共に
城達也さんの心地よいナレーションが流れてきた

当時まだ12歳だった僕にはミスターロンリーの事も、番組で流れる
ポール・モーリアなどの美しいイージーリスニングの事も殆ど無知に近かったが
遠い外国の季節毎のおしゃれでセンスが良い楽曲や
城さんの気の利いたナレーションはとても印象的でしたね

だから今でもポール・モーリアなどのイージーリスニングを聴くと
懐かしさを覚えちょっとセンチな気持ちにもなるんですよね

52歳になった今、目を閉じてミスターロンリーのメロディーに乗って流れる
城さんの心地よい声を聞くと遠いあの頃の事が脳裏に蘇り切なくなりますね~・・・


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城 達也(じょう たつや)
 
昭和6年12月生まれ 昭和31年早稲田大学文学部卒業
当初は俳優としてデビューしたが後にその美声を生かして声優業に転向

グレゴリー・べツク,ロバート・ワグナー等の吹き替えをはじめ,14年間続いている人気番組
「ジェットストリーム」の初代ナレーターとして幅広いリスナーの支持を得る

CMのナレーターとしても,多くを手掛けている

ジェットストリーム番組中のコーナーは「私のレコードアルバム」(のち「ステイ・ゴールド」)
コーナー到来のお知らせも機内放送風になされていた

エンディングの挨拶は「ではまた明日、午前零時にお会いしましょう」だった

城さんはジェットストリームの機長 としての役作りの為に収録の際は
いつもネクタイ、スーツ姿で臨みスタジオの照明を落としていたそうです

機長としてのイメージを壊されないようにテレビ出演は一切断わるなど
仕事に対して大変真摯なプロ意識を持っていたそうです

また、城さんはジェットストリームを「上品な音のインテリア」と位置づけ
自分の声は素材に過ぎないと評していたそうです

放送時間帯が深夜であり耳障りでないという褒め言葉が一番だと 語っています


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番組開始から27年たった1994年秋、 久しぶりにその番組を聴いた
当時のFM東京の後藤社長は

「自分が知っていた城の声とはまるで別人だ」
とびっくりしたのだそうです

翌朝、番組スタッフに状況を訊くと、みんな声の異状に気が付いていた
「城さんはこの番組が生きがいだと言っているので声がおかしいとはとても言えない」
と、言う事だった

社長はそれから一週間、番組を聴き続け
「このままでは彼のイメージが壊れる、私から伝えよう」
と、彼を11月末に社長室に呼ぶと

 「ご心配をおかけしました、腹を決めました」
と、城さんから降板を切り出したのだそうです

実はこの時、城さんは食道癌に侵されていたのでした




1994年(平成6年)12月30日の最終出演回では
「では皆さま、さようなら、よいお年をお迎え下さい」
と、これまで決して口にする事の無かった「さようなら」と別れの言葉で降板

これがパーソナリティ城達也最期の言葉ともなった

城さんは同年3月に食道癌の手術を受けていた、食道癌と知らされ手術を受ける際
「声帯は私の命、声が変わらぬよう、ぜひよろしくお願いします」と医師に懇願したという
手術は無事終了し回復したが、夏に癌が肝臓に転移していることが分かった

ジェットストリーム最終回収録から約2カ月後の1995年(平成7年)2月
城達也さんはその生涯を閉じます、享年65歳という若さでした

最終回の放送で、彼は最後にこんな台詞を言っています

「またいつの日か 夢もはるかな空の旅でお会いいたしましょう」

ジェット・ストリームの名ナレーションを残し城さんは
永遠の夜間飛行に旅立ったのでした

最後の動画は2007年頃に報道ステーションで取り上げられた
ジェットストリームの制作秘話や城達也さんの特集です
ご興味のある方は是非ご覧になってみて下さい




報道ステーション 団塊の世代に贈る 5

「ジェットストリームと深夜放送の時代」


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