My Music Travel 45 日本で売れた異国人歌手 (2) | PRAINSのブログ

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さて、今回の「My Music Travel」も前回に引き続き昭和の時代に日本デビューし
ヒット曲を飛ばした異国人歌手をお届けしようと思います

この「昭和のオバサン」みたいな人見て誰だかわかりますかな? 笑!

この顔で(失礼!笑!)当時モデルをしていた彼女は18歳だった1973年(昭和48年)
「金曜10時!うわさのチャンネル」というバラエティー番組に登場します

せんだみつおデストロイヤー相手に「乳揉めーッ!」って叫び
当時としては過激なギャグで人気を博したんです

そんな彼女は1974年(昭和49年)にレコードデビューを果たします

その曲がこれだ!




燃えるブンブン / マギー・ミネンコ  1974
作詞・橋本淳 作曲・鈴木邦彦

750のエンジン 雨のサタデーナイト 私の彼は荒くれ 街の嫌われ者
だけどブンブン いかすブンブン 私にやさしきゃ 文句はないさ

国道沿いに西へ行く ずぶ濡れ本牧ヘッドライトの横須賀
走るブンブン 濡れるブンブン 背中のカモメが 私のマーク

750のエンジン 街はサタデーナイト あふれた男が 家路を探す午前二時
笑うブンブン 燃えるブンブン 私の彼氏は 浮気はしない

国道沿いに西へ行く ずぶ濡れ本牧ヘッドライトの横須賀
走るブンブン 飛ばすブンブン 背中のカモメもウィンクをしてる


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ロシア系アメリカ人の父と、日本人の母を持つ
ハーフだったマギー・ミネンコさん

そのマギー・ミネンコのレコード・デビュー曲が
1974年にリリースされた「燃えろブンブン」だった
 
いや~ 今聴いてもいい曲だ! 
雨のサタデーナイト、ナナハンの爆音が聞こえてきそうです

テレビ文化が急膨張していく時代にあって、彼女たちはプロとしての歌手としてではなく
まさにテレビにおける異国人バラエティ・タレントとして番組にスパイスを効かせる
名脇役として実に貴重な存在だったのだろうと思います

そしてそれは男女の性別を超え、年齢を超えて現在にも至っています
いわゆる外人枠というやつです

これら「芸人的外人」のルーツとも言えるのが
このマギー・ミネンコではなかったでしょうか


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「うわさのチャンネル」の中で訳が分からないんだけれども、つんつるてんの着物を着て
右に左に走り回り、ボケたおし、決め台詞「乳揉めーッ!」という過激なキャラクターで
突っ走っていった外人の女の子がマギー・ミネンコだった

「乳揉めーッ!」と言っても、それはお色気とは全く結びつかない
喧嘩の口上みたいなもので笑うしかないという何とも強烈な個性だった

そんなマギー・ミネンコさんですが現在は会社を経営していらっしゃる
日系2世のご主人と3人の子供たちと共にアメリカに暮らしているそうです

3年位前に、「あの人は今どこに…」という内容のテレビ場番組で
マギーミネンコさんの現在の様子が放送されていたそうです

と、いう事でお次は・・・




雨の御堂筋 / 欧陽菲菲 1971
作詞・林春生 作曲・ザ・ベンチャーズ

小ぬか雨降る御堂筋 こころ変りな夜の雨
あなた・・・・・・ あなたは何処よ
あなたをたずねて南へ歩く

本町あたりに あなたはいると 風の知らせを背中で聞いて
こんな・・・・・・ 女がひとり
探していたことを 誰かつたえて

あゝ降る雨に 泣きながら 肌をよせて
傘もささず 濡れて・・・・・・夜の

いちょう並木は枯葉をおとし 雨の舗道は淋しく光る
あなた・・・・・・ あなたのかげを
あなたを偲んで南へ歩く

あゝ降る雨に 泣きながら 肌をよせて
傘もささず 濡れて・・・・・・夜の

梅田 新道心斉橋と 雨の舗道は淋しく光る
あなた・・・・・・ あなたのかげを
あなたを偲んで 南へ歩く


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台湾の台北市出身の欧陽菲菲さんは1967年に台北市にある
レストラン・シアター「中央酒店」で歌手デビューしたそうです

その実力が評価され日本でのデビューを打診されますが
当初はリスクが高いという事で難色を示します

しかし1971年に観光ビザで来日した際に用意されていた
「雨の御堂筋」を歌い日本デビューを果たします

彼女を見出したのは、坂本九弘田三枝子をはじめ多くのスター歌手を
発掘・育成してきた東芝の草野浩二ディレクターだったそうです

草野氏が「二人の銀座」に始まる「北国の青い空」「京都の恋」といった一連の
ベンチャーズ歌謡を手がけていたことから、欧陽菲菲のデビュー曲も
ベンチャーズの作による「雨の御堂筋」に決まり1971年9月に日本デビュー

「雨の御堂筋」は大ヒットを記録し同年のレコード大賞新人賞を受賞します
翌年1972年には外国人としては史上初めて年末のNHK紅白歌合戦に出場します


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いや~ 現在50歳を超えた僕は、今こうして彼女の当時の映像を観て
素直にカッコいいと思いますが当時幼かった僕は
強烈なオバサンというイメージがありましたね~

パワフルなハスキーボイスも特徴的だったし
何と言っても名前が「フィフィ」ですからね~ 笑!

その後欧陽菲菲さんはセカンドシングル「雨のエアポート」
サードシングル「恋の追跡」とヒット曲を連発します

そして1979年(昭和54年)にあの名曲が誕生するのです




ラブ・イズ・オーヴァー / 欧陽菲菲 1979
作詞・作曲 伊藤薫

Love is over 悲しいけれど 終りにしよう きりがないから
Love is over ワケなどないよ ただひとつだけ あなたのため

Love is over 若いあやまちと 笑って言える 時が来るから
Love is over 泣くな男だろう 私の事は 早く忘れて

わたしはあんたを忘れはしない 誰に抱かれても忘れはしない
きっと最後の恋だと思うから

Love is over わたしはあんたの お守りでいい そっと心に
Love is over 最後にひとつ 自分をだましちゃいけないよ

お酒なんかでごまかさないで 本当の自分をじっと見つめて
きっとあんたにお似合いの人がいる

Love is over 悲しいよ 早く出てって ふりむかないで
Love is over, uh… 元気でいてね Love is over…


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ちなみに「ラヴ・イズ・オーヴァー」が大ヒットに至るのは
1983年から1984年にかけての事だ

最初のレコードは東芝からポリドールへ移籍した後の1979年にリリースされた
「うわさのディスコクイーン」B面収録曲だった
しかし「うわさのディスコクイーン」は日本ではあまりヒットしなかった

それが翌1980年に「ラブ・イズ・オーヴァー」をA面曲として再発売され
有線などで時間をかけて支持され続けた結果1982年にアレンジを一新して出された
新録盤が1983年から1984年にかけて遂に大きなヒットとなる

ヒットしてからジャケットが変更されたため、欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」は
4種類ものシングル・レコードが存在することになる


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ラブ・イズ・オーヴァーは黛ジュン、内藤やす子、やしきたかじん、生沢佑一
多くの歌手にカヴァーされてスタンダード・ナンバーとして定着していき
最近では、倖田來未青山テルマもカヴァーしている

サザンの桑田佳祐が2008年に行ったライヴ「昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦」
披露した歌唱も見事で、楽曲の素晴らしさが改めて実証された

そう言えばバブルの頃にカラオケに行くと女の子の誰かがこの曲を歌っていたな~ 笑!

と、いう事で今日はこれまで! 「日本で売れた異国人歌手」まだまだ続きますよ!
乞うご期待! ジャンジャン!!


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