プチ家族旅行 <三原> | PRAINSのブログ

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9月22日火曜日 天気 晴れ
 
「旨いタコが喰いたい・・・」
 
そう思ったのは今年7月19日に大明神様と訪れた山口県須佐
名物の「男命イカ」を堪能した時の帰り道だった
 
想像以上に美味かった男命イカづくしに舌鼓を打った僕達は
 
イカの次はタコでしょ!
 
って事で蛸の名産地をあれこれ思案した
 
で、それからいろいろ調べてみると何と呉から程近い三原市が瀬戸内海有数の
マダコの産地だという事がわかり「秋には・・・」と思っていた次第だったんですよね
 
 
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しかし何ですな~
 
三原市と言えばの隣の竹原市の隣の言わば近所の市なんですが
個人的にはなぜかこれまであまり縁のない市だったんですよね
 
三原市の更に隣の尾道市は昭和の歴史情緒が漂う昔ながらの商店街もあり
昨今はしまなみ海道の玄関口と言う事や全国的にも有名な尾道ラーメンもあり
バイクや車で数えきれないほど訪れていますが三原市は通過するだけだった
 
だから僕は三原市には殆ど初めて立ち寄ったという感じだった
三原駅前辺りが繁華街だと思われますが当日は連休と言う事も影響があったのかも知れませんが
殆ど人も歩いてなく静まり返ってましたな~ 笑!
 
そんな感じの三原市ですが予約してた店の予約時間には少し早く到着した関係で
少し駅前通り辺りを探索してみました
 
そんな僕達を出迎えてくれたのは三原名物?の「笑いタコ」「怒りタコ」でした 笑!
 
 
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僕は自分の趣味の関係で初めて訪ねる街では何はともあれ”歴史”
もっと言えば城跡神社仏閣があるかどうかを調べます
 
三原市と言えば広島浅野藩で幕末を迎えた土地柄ですが
僕のイメージではもっと古い毛利家のイメージであり
毛利元就の三男が養子に出された小早川家のイメージです
 
初代三原城主でもある毛利家の知将として名高い小早川隆景のイメージですね!
そうです、あの有名な毛利元就公の「三本の矢の教え」末弟です
 
昨年の大河ドラマ「軍師官兵衛」にも出てた事は記憶にも新しい
 
織田軍の中国攻めを指揮した羽柴秀吉の軍師だった黒田官兵衛と
織田家との和平を結ぶために尽力したのが小早川隆景だった
 
 
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三原城は瀬戸内海の水軍を掌握していた小早川隆景が永禄10年(1567年)に
沼田川河口の三原湾に浮かぶ大島、小島を築いた城で天正10年(1582年)前後と
慶長元年(1596年)頃、威容を整えたと言われているそうです
 
 
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城は海に向かって舟入を開き城郭兼軍港としての機能を備えた名城で
満潮時には あたかも海に浮かんでいるように見える事から「浮城」とも呼ばれました
 
小早川氏の後には福島氏、浅野氏の支城となり明治維新後は一時
海軍鎮守府用地となりましたが沼田川の堆積作用などを理由に変更され
建物、樹木などが競売に付されたんだそうです
 
その後現在のJRである鉄道が本丸を貫き明治27年(1894年)に三原駅が開業しました
今では市街化が進み天守台とそれをめぐる濠、船入櫓跡、船入り跡及び
本丸中門跡を残すのみとなっています
 
 
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三原城藩祖は毛利元就の三男で12歳の時に小早川家の養子になり
沼田小早川家を継いだ小早川隆景公です
 
同じく吉川家に養子に出された兄である次男の吉川元春公と共に
毛利本家の長男、毛利隆元公や甥の毛利輝元公を助け中国統一を成し遂げました
 
吉川氏と共に「毛利両川(りょうせん)」を形成して毛利本家を支えた知将です
 
 
 
と、三原城址を探索してたら予約していた時間が迫って来ました
さてさて、三原のタコ!味は如何に!?
 
と、言う事で続きはまた明後日! ジャンジャン!!