CAROOLS 70’s (4) ロックンロール エンジェルス | PRAINSのブログ

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ティーンエイジの頃擦り切れるほど聴いたロックンロールバンド「CAROL」「COOLS」
その二つのバンドの名前を掛け合わせて僕が作った「CAROOLS」という造語
 
そんなCAROOLS70年代の楽曲にスポットを当て当時の世相やグループやメンバーのエピソード
僕の思春期の思い出等を書き記そうというシリーズ「CAROOLS 70’s」
 
前回のCOOLS編は「黒のロックンロール クールスの世界」と題して
クールスのデビュー辺りの事を掘り下げてみました
 
前回のCAROOLS 70’ クールスの記事
 
CAROOLS 70’ COOLS編2回目の今日はクールスのセカンドアルバムである
「ROCK'N ROLL ANGELS」辺りに絞って記事を書き進めたいと思います
 
最初に申しあげておきたいのは本文はあくまで僕の所有するCAROL・COOLS関連の書物
並びにこれまで見て来た事、聞いた事をベースに構成しています
僕は当事者ではないので真実は解からないという事をご了承くださいね!
 
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キャロルのラストライブの親衛隊を務め注目されたバイクチームCOOLS
舘ひろしさんをリーダーに1975年9月21日キングレコードからファーストアルバム
「黒のロックンロール クールスの世界」をリリースしてメジャーデビューを果たします
 
デビュー当時の事が書いてある元クールス ベーシストの大久保喜一さんの著書
「ストレンジ・ブルー」や当時のクールスと親交があった遠藤夏樹さんの著書
「原宿ブルースカイヘブン」を読んでも最初はグループも上手くいってたようですね~
 
デビュー前には高くて手が出なかった楽器もメンバーは次々に手に入れてる
 
ジェームスさんはグレッチのギター、フランクさんはオールドのフェンダーテレキャスター
喜一さんはプレジョン・ベース秀光さんはパールのドラムセットを手に入れたそうです
 
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ファーストアルバムのセールも順調でテレビ番組「ギンザNOW」にも出演が決まった
 
コンサートツアーも始まり、松田優作さんとクールスが共演した映画「暴力教室」も封切られた
映画のPR効果もありツアーも順調だったそうですよ
 
そして1976年7月、待望のセカンドアルバム「ロックンロール エンジェルス」がリリースされます
 
クールスのファーストアルバムはジョニー大倉さんのプロデュースでリリースされましたが
セカンドアルバムであるロックンロール エンジェルスは大木トオルさんがプロデュースされています
 
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ROCK'N ROLL ANGELS/COOLS 1976・7・21 キングレコード
 
Side A
 
1、のっぽのサリー 2、バースディー 3、ミスター・ハーレー・ダビットソン
4、サマー・レディー 5、恋のテディーボーイ 6、セイ・ママ
 
Side B
 
1、彼女はダイナマイト 2、ロックンロール・タイム 3、恋の終わり
4、アイ・ニード・ユアー・ラブ・トゥナイト 5、リトル・ダーリン 6、涙のダイアリー
 
 
 
写真のレコードは僕の秘蔵コレクションの一つですが僕はこのレコードを
中学2年生だった1977年に手に入れています
 
そのアルバムジャケットに先日ムラさんにサインを入れていただきました
このアルバムにはプロデューサーの大木トオルさんがコメントを入れています
 
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1975年秋、「クールスから電話があり」のメッセージメモを何度も見た
・・・・まさか・・・・・・これが悪夢の始まりか
 
俺は十数年ブルースミュージシャンとして音楽生活を自分なりにストレートに生きてきた
ここで奴らに邪魔されてなるものか・・・・そっとしておいてほしい・・・
 
だがその思いも恐怖のリーゼントと革ジャンパーの情熱に負けた
 
・・・・・・・そしてプロデュース
 
これまでいくつものBANDをプロデュースし、自分も叉学んだ
 
ある者はスターに、ある者は消えていった
そんな中に、これほどまでのショッキングがあっただろうか
 
音楽しかない俺に、奴らはサウンドと共にすべての武器をさらけだす
暴力!ツッパリ!自慢のオートバイ!
 
そしてRock'n Rollと、これ以上おどかさないでくれ・・・・
 
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リハーサルスタジオで俺は彼らに言う
 
「ああして、こうして、こうやるんだ」
と俺流ののうがきを
 
だが彼等の急速な上達と勘のよさに目をみはるものがある
そんな中いつのまにか燃えてしまう
 
そして俺はステージのそでで目がしらが熱くなる
彼らの汗を見ていると心の中で思う
 
「テクニックなんてマスターするな! うまくなんて歌うな!」と
とほう もないことを
 
いつまでもチンピラでいてほしいからか
ジャブは打たない ストレートだけのクールス
 
そんな奴らの生きざまこそRock'n Rollを地でいける偉大なチンピラなのだ
 
 
PRODUCER 大木トオル
 
 

LONG TALL SALLY (のっぽのサリー)  By ジェームス藤木
 

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クールスのデビューは1975年9月21日にリリースされた
シングル「紫のハイウェイ」、アルバム「黒のロックンロール」の同時リリースだ
 
このアルバムは元キャロルジョニー大倉さんのプロデュースで
五大洋光(矢沢永吉)さんや近田春夫さんも楽曲提供している
 
このデビューアルバムは個人的にはまだクールスの世界を模索してる感じがする
 
しかし大木トオルさんをプロデューサーに迎えた「ロックンロール・エンジェルス」には
その後のクールスの方向性や可能性が強く感じられる
 
後にクールスのメンバーになる横山剣さんも大絶賛されているが
アルバム冒頭のナンバー「のっぽのサリー」におけるジェームスさんのボーカルは強烈だ
 
個人的にはジェームスさんが歌うブルース感漂う「恋の終わり」も大好きだし
クールスを代表する曲の一つにもなったムラさんのファルセットが印象的な
「ミスター・ハーレー・ダビットソン」も大好きだ
 
更には映画「暴力教室」の挿入歌にもなった舘さんのミディアムバラード「恋のテディーボーイ」
ちょっとマニアックなバラードだが「涙のダイアリー」も思い出深い曲だ
 
 

恋の終わり/クールス 1976 作詞・たちひろし 作曲・ジェームス藤木
 
 
霧あかりの 街灯の中 ふりむきもせず 歩きはじめる
I cry all night I cry all night I cry all night さよならさえ
 
たった一言 悔やんでみたって 傷付けたのは おいらのせいさ
I cry all night I cry all night I cry all night  忘れたくて
 
お前だけは 放さないと 誓いあった
あの日からは 夢のように 過ぎさった毎日
 
恋の終わり もどっちゃこない お前を抱いた つめたい部屋で
I cry all night I cry all night I cry all night  泣きつかれて・・・
 
お前だけは 放さないと 誓いあった
あの日からは 夢のように 過ぎさった毎日
 
恋の終わり もどっちゃこない お前を抱いた つめたい部屋で
I cry all night I cry all night I cry all night  泣きつかれて・・・
 
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そんな感じで順風満帆に見えたクールスですが
早くもこの辺りからメンバー内ではキナ臭い雰囲気が漂い始めてたようです
 
前出の各著書によるとリーダーのさんが、一人浮いたような存在になってたようですな~
 
僕が所有する雑誌に掲載されている当時の事を語っている舘さんのインタビューには
 
「俺の当時の立場での仕事は『決める事』だった・・・」
 
って発言されています
 
とうぜんクールスのリーダーは舘さんですから何をするにしても舘さんが窓口になって決めてた
 
この頃、漫画「男組」をクールス出演で映画化する話が出てたみたいですが
舘さんが主演で他のメンバーは脇役という台本だったそうだ
 
その事実に不満を言う人、映画に出る事に異論を唱える人・・・
結局映画「男組」にはピッピさんとジェームスさんは出演拒否して出ていない
 
僕もこの映画は観ましたが個人的にはクオリティーも低く
前作の「暴力教室」と比べても不出来だったように思いましたね~
 
男組 少年刑務所の僕が書いた記事
 
 
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前出の遠藤夏樹さんの著書によればメンバーが舘さんの真意を理解せず
ギャラに対する不平不満を言ったり、メンバーが犯した不祥事を
舘さんが一人で背負いこんだりしたという件がありますが
この辺りはメンバーじゃないと真実は分からないし立場が変われば見方も変わると思いますね
 
そんな状態だったクールスですが夏にリリースした「ロックンロール・エンジェルス」は好調で
ツアー会場も盛り上がりを見せていたようです
 
しかし、舘さんとメンバーの間に出来た溝は日々深まるばかりで
移動中の車内、ホテル、楽屋での会話はなくなりツアー後半からは
楽屋すら別々に取るようにもなったそうです
 
ステージが始まると何事もないかのように演奏は繰り広げられたそうですが
それは「まやかし」で舘さんが飛び上がってキメるはずのエンディングに誰も合せず
舘さんの体だけが虚しく宙を舞ったそうです・・・
 
 

彼女はダイナマイト/クールス 1976 作詞・たちひろし 作曲・ジェームス藤木
 
 
ドキドキするよなchopperとばして となりの街まできどってドライブ
オレの自慢のカスタム・メイドさ うかれた気分の 今夜は saturday night
 
ドキドキするよなchopperとばして 口笛まじりの きままなドライブ
シャレたcoffee shopでひろった ブロンド娘に I sad Hold me tight
 
洗いざらしの blue jean 赤いブーツが トッポくて
とぼうぜ down town come with me
Juke boxで dance just rock'n roll
 
洗いざらしの blue jean 赤いブーツが トッポくて
とぼうぜ down town come with me
Juke boxで dance just rock'n roll
 
ドキドキするよな歯のうくセリフで 口説いてみたけど きまらぬ fall in love
Funny face に気がつきゃ彼女は 男を狂わす うわさのダイナマイト・・・・
 
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と、言うのが1976年頃のクールスですが、当事者のムラさんはあれから39年経った今も
相変わらずご機嫌なロックンロールナンバーを僕達ファンに聴かせてくれています
 
先日のジョニー大倉追悼ライブでムラさんは
「ラストダンスはCha、Chaで」で登場されました
 
2曲目はクールスがジョニーさんに楽曲提供された「彼女はステディー・ガール」
もともとこの曲のオリジナルボーカルはさんですが、そんな事はどうでもいいか~ 笑!
 
ムラさんは今年4月の長崎でも見ましたが相変わらずカッコいいっすね~!
 
 
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しかしムラさんも還暦を過ぎられておられます
 
老眼も進んで最近は物忘れが激しいって言っておられましたぞ 笑!
 

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実は僕は1980年代中頃前後にムラさんと何度かお会いしてお話もさせて頂いた事もあるし
お昼ご飯をご一緒させていただいた事もあるんですよね
 
呉の後輩が上京しててムラさんと仲良くなってて当時原宿でムラさんが営んでた
「シャウト」ってブティックに遊びに連れて行ってもらったんですよ
 
さすがに僕の事は覚えてはいらっしゃいませんでしたが後輩の事は覚えてらして
 
「お~ Jって元気なの?」
 
っておっしゃってました
 
当時の僕との会話の中で広島弁「○○じゃけん・・・」っていう言葉を皮肉って
 
「君たち じゃけんの会だね~」
 
って言って笑ってたのをよく覚えています
 
その時のエピソードを話すと「そんな事言ってたっけ~・・・」
って笑っておられましたね
 
と、言う事で今日の記事はここまで!
明日はライブの総括をしてみようと思います!乞うご期待! ジャンジャン!!