BONDS OF ROCK'N ROLL Johnny Forever 広島 (総括) | PRAINSのブログ

PRAINSのブログ

昭和と趣味と日記のブログ
車・バイク・音楽・映画・ファッション・釣り・ゴルフ・・・
時々、我が町「呉」と お仕事「美容」、「美味い物」
よろしくお願いいたします!

イメージ 1
 
さて、今週5日間に渡ってクラブ クリーム広島にて開催されたジョニー大倉さんの追悼ライブ
「BONDS OF ROCK'N ROLL Johnny Forever 広島 」の記事をお届けしましたが
本日最後の記事は「総括」と題して僕の独り言を書き綴ってみたいと思います
 
 
Jonny Be Back/坂本つとむ・ケンイチ大倉 2015 作詞・大倉賢一 作曲・坂本つとむ
 
 
真っ赤なぐたーをかき鳴らすテディボーイ
その笑顔に街中 おお(OH!)騒ぎ
 
ツイスト踊れば あの子もロックンロール!
いかした奴らも 今宵(こんや)はパラダイス
 
Jonny Be Back Jonny Be Back Rock'n Roll 
Jonny Be Back Jonny Be Back
 
黒い革ジャン素肌のテディボーイ
シャレた言葉に街中 おお(OH!)騒ぎ
俺達そろえば ファンキーロックンロール!
 
陽気な奴らも 今宵(こんや)はパラダイス
Jonny Be Back Jonny Be Back Rock'n Roll 
Jonny Be Back Jonny Be Back
 
神様みたいな俺らのテディボーイ
甘い歌声(ボイス)に街中 おお(OH!)騒ぎ
 
炎に包まれ 燃えつきるまで!
いかした奴らも 今宵(こんや)はパラダイス
 
Jonny Be Back Jonny Be Back Rock'n Roll 
Jonny Be Back Jonny Be Back
(リピート)
 
イメージ 2
 
「BONDS OF ROCK'N ROLL Johnny Forever 広島 」最後のアンコール
ケンイチ君が父、ジョニーに捧げるために書き下ろした「Jonny Be Back」をゲスト全員で歌い
〆でキャロル「ファンキー・モンキー・ベイビー」を会場全員が大合唱して幕を閉じました
 
先週土曜日のライブ告知の記事で僕は老婆心ながらジョニー大倉さんのご子息である
ケンイチ大倉さんに僕の思いの丈を書き綴りました
 
ケンイチ君が自分の世界、音楽を創り、ジョニー大倉という壁を超え
我々リスナーに感動を与えるようなミュージシャンや俳優になれば
世間や往年のジョニーファンは必ずケンイチ大倉を讃えるだろう
 
そしてその事が亡くなられた父親であるジョニー大倉さんへの
最高の恩返し、更には親孝行になると思います」
 
 
まあ家族でも親戚でもスタッフでもない部外者の僕がどう思おうと、どう言おうと、
まったく大勢に影響はないとは思いますが僕はステージを観て改めてそう思いました
 
今後のケンイチ君の活動に期待して見守りたいと思いますね!
 
イメージ 3
 
土曜日のその時の記事ではこうも書きました
 
        「決して「売れる」という事や「メジャーになって金を稼ぐ」事だけが
人として幸せな事でもないしミュージシャンとしての成功でもないとは思う
 
    しかしプロを名乗り、その世界で飯を食っていくなら
                    一人でも多くのリスナーに感動を与えないとね~・・・」
 
 
今年4月に文化会館ホールで行われた
永ちゃん率いる「Z's」のライブは確かに素晴らしかった
 
「さすがYAZAWA!」
 
と、色んな意味で改めて思いました
 
Z'sライブの会場だった文化ホールで働いているお客様が先日ご来店下さいましたが
ライブチケットを求める人が発売日の前日から徹夜して並んでいたという事を言っていた
 
永ちゃんにはそれだけ多くのリスナーを引き付ける魅力があるという事は確かでしょう
 
イメージ 4
 
しかし個人的にZ'’sライブBONDS OF ROCK'N ROLL Johnny Forever 
どちらが楽しかったかと問われたら僕は後者と答えるだろうと思う
 
僕のイメージで言えば永ちゃんは確かに凄いし僕の憧れの人だという事には変わりはないが
僕には手が届かない遠い世界の人って気がする
 
しかし追悼ライブのゲストの面々は彼らが歌うと唾がかかるくらいの距離で見る事も出来るし
こうして実際に話ができたりサインをいただいたり、写真を撮ったりする事も出来る
 
僕にとっては永ちゃんも、ムラさん始めクールスの面々も翔さん、コニーさんも
ヤンチャしてた思春期の頃憧れたアーティストであり個人的にはそこの部分に優劣はない
 
しかも皆さんは日本の音楽史において一時代を築いた方達なのだ
 
イメージ 5
 
たしかに興行収入や今の稼ぎという部分で言えば永ちゃんは別格でしょう
これはやろうと思っても誰もが出来る事ではないし誰もが永ちゃんになれる訳でもない
 
広島から夜汽車に乗ってスターになる事を夢みて上京した永ちゃんは自分の力で今の地位を築いた
 
築いた地位を継続する事も素晴らしいし300億円騙されても逆境をパワーに代えるという
自分を信じて突き進む強いハートは常人の沙汰ではない
 
そうしたカリスマ性がYAZAWAがYAZAWAたる所以だという事は僕にもよく分かるが
追悼ライブのような和気あいあいとしたスタイルの方が僕は楽しかったしトキメいた
 
イメージ 6
 
なぜ僕がこんな事を言うかと言えば追悼ライブに出たゲストと
僕が人生を歩んで来た道に似たようなニュアンスを感じるからだ
 
僕も18歳で美容師になり、24歳で独立開業し
憚りながら呉では一時代を築いたという自負はある
 
ミヤニシ在職中にコンテストで名前を売り、自信満々で独立を果たした
全てが右肩上がりとはいかなかったものの一時は店も3店舗になりスタッフも30人近くいた
 
当時は若かったから体力もあったし野心もあった
何でも大きい事、多い事が成功の証しだとも思っていたし一番になりたいとも思っていた
 
昭和の時代に永ちゃんが歌った「ゴールドラッシュ」や、著書「成り上がり」」に感銘を受けた
 
しかし途中ふと立ち止まって自分の足元を見ると
自分の力量以上の場所に立っている事に気付き
息苦しくなり、その場から逃げ出したいような衝動にも駆られた
 
もちろん自分が蒔いた種だし、自分の不徳の致す所も沢山あったと思う
天狗になってた部分も否定できない
 
しかし当時の立場に息苦しさを感じた自分がいたし、自分には向いていない
てか、自分でも気づかないうちに自分の力量以上の立場へとなっていたという事だ
 
それは美容師としての技術の話ではない
人をまとめ上げ組織を機能させ向上させるという立場での話だ
 
イメージ 7
 
そして僕は紆余曲折して約10年前に店を縮小して現在のスタイルになった
 
今現在、あの当時とどちらが充実しているかと問われれば僕は「今」と答えるだろう
確かにあの当時も充実はしてたし、あの時代を経験したから「今」があるとも言える
 
世間的に見ればPRAINSも昔は凄かったけど・・・って思われるかもしれない 笑!
冗談じゃない! 今の方が充実しとるし、良い仕事しとるど!
 
って心から言える!!
 
イメージ 8
 
今現在、お店ではスタッフのKAIさんや時々手伝う長男も含め
お客様との会話も弾み笑顔や笑い声が絶える事がない
 
昔からご来店下さってる常連さんも
「前の店の時は眉間に皺寄せてカットしてたから、もっと怖い人かと思ってた・・・」
ってよく言われる
 
決して他人が思う程儲かってる訳ではないが、自分が好きな「物作り」の仕事をして
家族旅行に行ったり、ツーリングに出たり、ライブに行ったり、イベントを開催したり・・・
 
ホント、50歳を過ぎて日々の充実を感じるし
お客様を始め、家族、仲間・・・僕に携わってくれている人全てに感謝でいっぱいですよ
 
これまでの人生で僕は実際に体験してみて僕の古巣であるミヤニシや尊敬する城戸先輩が営む
スノッブのようにはなれない・・・てか、そのスタイルは向いていないと悟った
 
僕は永ちゃんのようにはなれなかった・・・
 
しかし自分や家族も幸せになり、人に喜んでもらえるというスタイルに辿り着いたのだ
 
イメージ 9
 
きっとこのメンバーもそうなんだと思うな~
一時代を築いた人達も紆余曲折して今のスタイルに落ち着いたんじゃないかな~
 
そりゃ永ちゃんや舘さんと比べたら大変失礼ですが世間の評価は低いかもしれない
でも永ちゃんや舘さん以上に気持ち的には充実してるかもしれない
 
僕のように彼らのステージを観て昔を思い出し感動・感激してる人もいっぱいいると思う
 
だから僕も彼らのステージを観て、彼らと接して思うのは、今の僕を信頼してくれて
喜んでくれる人に精一杯の仕事や付き合いをしなくちゃと思うんですよね
 
前の記事にも書きましたが当日僕は会場で沢山の人に声を掛けてもらった
そんな縁を大事にしなきゃいけないって思うんですよ
 
イメージ 10
 
最後になりますが、こんな体験をさせて頂けたのもツアーを取り仕切ってるTさんのおかげです
Tさんの経緯はどこまで公にしていいかわからないので書くのは避けますが本当に感謝してます
 
ま、Tさんを紹介してくれたのは広島市のリーゼントONLYの理容室「ブルーベルベッツ」を営む
同級生のカキちゃんなんですけどね!
 
これも仲間あっての事だし、人と人の縁ですよ、大事にしなきゃね!
と、言う事で今日はこれまで!ジャンジャン!!