長浜 入江神社祭 | PRAINSのブログ

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時々、我が町「呉」と お仕事「美容」、「美味い物」
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      先週の週末、11月2日の夜から3日にかけて呉各地では毎年恒例の秋の小祭りが行われた
 
                呉では11月3日の文化の日に各地の神社で小祭りが行われ
                  9月終盤から始まる各地域の秋祭りが締め括られる
 
              小祭りが終わると そろそろその年も終わるというイメージになり
                 早い所ではクリスマスの飾りつけも見られるようになる
 
                       2013年も2カ月を切ったという事だ
 
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                11月3日は僕の故郷である長浜も秋祭りが行われる
        僕は仕事の関係でお祭りには参加できないが毎年前日夜の夜頃には顔を出しに行く
 
          この歳にもなって祭りを楽しみにしているという訳でもないが長浜の後輩達が
      「長浜祭り愛好会」という組織を立ち上げて少子高齢化に伴い過疎化している故郷の
                         伝統行事を守ろうと頑張っている
 
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                微力ではあるが彼らに協力してやりたいという思いと
                   やはり故郷を思う気持ちもありますからね
 
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       という事で2日夜、仕事を終えた僕は大明神と万凛ちゃんを連れて故郷長浜に帰りました
        昨今見慣れた光景になりましたが やはり僕が子供の頃と違って人出も夜店も少ない
 
    特に子供の姿が少ないと感じますね、小学校も統廃合しましたから子供がいないのも当然です
                 寂しい事ではありますが これが現実という事ですよね
 
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                   それでも故郷に帰ると懐かしい顔に出くわします
                   まあ毎年祭りで見る面々は同じ顔ですがね~ 笑
 
                子供の頃に覚えた笛や太鼓も けっこう覚えているものです
                やはり何事も子供時代に身に付けると忘れないものですね
 
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             長浜には「入江神社」「西脇神社」という二つの神社があります
 
                11月3日に行われる秋祭りは入江神社で執り行われます
                西脇神社は8月14日の夜に夏祭りとして執り行われます
 
      昭和40年代に子供時代を過ごした僕にとっては どちらの神社も当時恰好の遊び場でしたね
         小学校時代の夏休みのラジオ体操も僕の実家のある明神地区は入江神社だった
 
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           「ろくむし」「ランチン(ビー玉)」「ピンポン野球」「メンコ」「缶蹴り」「肉弾」・・・
               境内の床下に入って「蟻地獄」を取ったりもしていましたね~
 
          デジタルなゲームなどなかった昭和40年代に子供時代を過ごした僕達は
          放課後や休みの日に連絡を取り合うでもなく集まって遊んでいましたね
 
                  現代のように携帯電話もメールもない時代ですからね
                そう言った事が自然とルーティーンになっていたという事です
 
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   入江神社の白い御影石の鳥居には「奉獻 海上安全」「明治八年乙亥十一月十五日」と刻まれていて
                 135年前の1875年に奉納されたものと分かります
 
        しかしこの神社はとても古い歴史を有して初代宮司は備中国浅口郡中島城主である
             二階堂近江守藤原氏竹の次男・二階堂太郎左衛門氏義だそうです
 
           岡山備中の国からの落ち武者が興したお宮で、氏義自ら神官になったが
              その後現在の地に「入江神社」が鎮座することになったそうです
 
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     入江神社には多くの神様が祀られていて、相殿には五神、奥の本殿には六神がお住まいです
 
        石碑の説明によれば簡単に言うと源平合戦で負けた平家の落ち武者が往時人家なき
       当入江の浦に身を潜め、平家一門の守護神たりし厳島神社の祭神市杵島姫神を以って
                 持護神として勧請し崇敬したのが始まりと書いてあります
 
        だから入江神社の神紋は厳島神社の神紋と同じ三亀甲を用いているという事です
 
       う~ん 平家の落武者が切り開いた入江(長浜)の村落が初めとしても、岡山備中出身の
                   宮司変遷の謂れとは どこで融合したんだろうか・・・?
 
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                 しかも本殿が出雲大社と同じ造り様式になっています
            ここには天照大御神もお住まいだから出雲大社とも関係あるのか・・・?
 
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   入江神社では「明神祭お供舟」という引き舟行事が過去には毎年11月3日の小祭りに行われており
               昭和51年10月1日に呉市有形文化財として指定されています
 
   その昔、長浜の船方商人九右衛門の息子、惣四郎、惣吉兄弟が鮮魚買いに出た伊予の沖合いで
  暴風雨に遭い遭難しかけたところ、新宮大明神(入江神社の前身)が伊予国九町浦の神主の夢枕に立ち
   親交厚い商人たちを救助するよう求めたお陰で兄弟たちは無事に助かったという故事に因んでいます
 
       その話に由来するお供船が、以前は曳き船として行われていましたが交通事情も変わり
      県道を使用することが難しくなったため現在お供舟は平素厳重な建屋内に保管されています
 
 
     長浜の入江神社祭は江戸時代に仰誓(ごうせい)という学僧が全国の念仏者の逸話を集めた
          「妙好人伝」の第二編に登場する妙好人を伝える全国でも珍しい祭りです
 
                 その「妙好人伝」の一説が上記した九右衛門の息子
              想四郎と想吉兄弟が海で遭難したときの話であるという事です
 
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          (昭和42年だろうと思う保育園時代の七・五・三の時の当時の入江神社 僕は右端)
 
    地域の過疎化に伴い寂れてきた長浜の入江神社祭ですが、それでも、太鼓と御輿が子どもたちの
            提灯・旗を先導に長浜を練り歩く姿は僕が子供の頃と変わってはいません
 
            後輩達による長浜祭り愛好会を中心に太鼓をかついで回す姿は勇ましい
             是非来年の11月3日は長浜の入江神社祭に足を運んでみてくださいね!
 
                   という事で、これを読んでいる長浜の後輩達
          「しっかり宣伝させてもろ~たけんの~!」 笑! ジャンジャン!!