自分のルーツを辿ってみる 15 旅立ち | PRAINSのブログ

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時々、我が町「呉」と お仕事「美容」、「美味い物」
よろしくお願いいたします!

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     1984年(昭和59年)前年二十歳になった僕はミヤニシに就職してようやく3年目を迎えていた
          成人を迎えた僕であるが未だ大人にも社会人にもなり切れず美容師になるという
                モチベーションも上がらないまま時間だけが過ぎていた
 
  お店では後輩達も増えてきてスタッフ間の立場では中間近くなりようやくカットの練習を始めた頃だった
  宮西先生を始め技術者がロンドンのサッスーン美容研修に行くという話が持ち上がったが僕には
  時期早々という思いがあり、お店が半月休みになるという事で「ラッキー!」くらいに思っていたのだが・・・
 
    「馬鹿かお前、お前もロンドンに行くのよ! 金は銀行で借りるんよ これはチャンスで!
 カット云々の話じゃのうて最先端のロンドンやサッスーンを見て視野を広げる事が大事な事よ・・・」
 
                尊敬する先輩城戸君の鶴の一声で僕は自分の思いに反し
                  100万円の借金をしてロンドンに研修に行く事になった
 
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                       (当時のパスポート写真だったと思う)
 
       今思えば僕の運命はこの頃から僕の知らない所で動き始めていたように思う
 
   自分の意思に反して僕を取り囲む人達の影響を受け、新たなステージへと向かおうとしていたのだ
         もちろん当時の僕はそんな事まったく思っていなかったし自覚もなかったのだが・・・
 
  80年代も半ばに差し掛かり数年後には未曾有のバブル景気が始まるのだが当時の僕には知る由もない
       ブラウン管の向こうではアイドル達に混じってニューミュージックが台頭して来ていた
 
                              そんな時代だった・・・
 
 
          悲しみがとまらない/杏里 1983 作詞・康珍化  作曲・林哲司
 
         I Can't Stop The Loneliness こらえ切れず 悲しみがとまらない
         I Can't Stop The Loneliness どうしてなの 悲しみがとまらない

             あなたに彼女 会わせたことを わたし今も悔んでいる
             ふたりはシンパシイ 感じてた 昼下がりのカフェテラス

          あの日電話が ふいに鳴ったの あの人と 別れてと 彼女から
         I Can't Stop The Loneliness どうしてなの 悲しみがとまらない

            誤解だよって あなたは笑う だけどkissはウソのにおい
             抱きしめられて 気づいたの 愛がここにないことを

           恋はちいさな アラシみたいに 友だちも 恋人も 奪って
         I Can't Stop The Loneliness 彼を返して 悲しみがとまらない

 
         I Can't Stop The Loneliness だれか救けて 悲しみがとまらない
         I Can't Stop The Loneliness こらえ切れず 悲しみがとまらない
         I Can't Stop The Loneliness どうしてなの 悲しみがとまらない
 
                                               I Can't Stop 
 
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      古いアルバムを捲ると、僕達が日本を出発したのは1984年9月20日という事が確認できる
    記憶が曖昧な所もあるが確か広島駅から新幹線で大阪まで行き、大阪空港から国内線に乗って
               成田空港まで行き国際線に乗り換えたように記憶している
 
   僕はその時が人生飛行機初体験だったが当時国内線はプロペラ機でずいぶん揺れた記憶がある
              成田からロンドンまで当時18時間くらいかかると聞いていたので
 
               「18時間もこんなに揺れて大丈夫か・・・?」って思った
 
     誰かが「国際線はジャンボジェットじゃけんこんなに揺れんよ・・・」って言ってましたね
 
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        大阪から成田まではJALでしたが成田からの国際線はKLMオランダ航空だった
       当時ヨーロッパに行くには北回りか南回りのどちらかのルートで行くしか出来なかった
 
         それは旧ソ連が、ソ連領内に着陸せずにソ連領空を通過する外国航空会社の
                       運行は認めていなかったからです
 
   ソ連領空を迂回してヨーロッパまで無着陸で飛べる機体が当時ありませんでしたから僕達北回りは
    アンカレッジで給油する必要がありました、その為18時間と言う時間を要していたんですよね
               ちなみに南回りだと20時間以上かかるって聞いていましたね
 
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                 成田空港だと思いますが両手に花は誰かは知りません
                  適当に声を掛けて写真を撮ったんだと思います 笑
 
    当初ロンドン研修は自分の本意ではありませんでしたが、この段になるとそんな事はすっかり忘れ
            初めて見る異国の地に思いを馳せテンションも上がってましたね~
                         僕も若かったですからね 笑
 
       出発時の僕の恰好を見ると古着のマクレガードリズラーに同じく古着のアーミーパンツ
             メンズBIGIのポロシャツドクターマーチンのオデコ靴
        ロイドメガネはペパーミントだったと思う、サングラスはレイバンのウェイファーラー
 
    今とあまり変わっていませんね~ 変わったのは髪の毛の色と量、顔に出来たシワ・シミくらいか・・・ 
                     パンツの丈が当時を偲ばせますがね 笑
 
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      ここが何処だったかよく覚えていませんが、たぶんアンカレッジ空港だった気がします
                     機体が給油する間の待ち時間だと思います
 
             実家に電話をかけたのか? それともただのポーズだったのか・・・?
 
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         とにかく今回の海外研修は多くの外国人女性に声を掛けて写真を撮りまくりましたね~
         最初は「Excuse me!」しか英語も喋れませんでしたが段々慣れてくるんですよね
 
         物おじせず単語を並べたりボディーランゲージで表現すると何となく伝わるんですよ
            日本人はシャイだって言われてましたが僕にはその言葉は当てはまらない
 
               外国人はとてもフランクで日本人と違い恥ずかしがる素振りもない
                     僕が最初に感じたカルチャーショックでしたね
             飛行機の中でも空港でも目と目が合うと「Hellow!」って挨拶してくれる
 
              やはり片言でもコミニュケーションが取れるとだんだん面白くなる
                 英語を話すのもだんだん躊躇する事もなくなりましたね
 
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        時差の関係で何日の何時なのか、どこを飛んでいるのかもよく分かりませんでしたが
                    明るくなると雲の上を飛んでる所が見えました
 
         僕もこの歳にもなると、そんな事で驚いたりもしませんが始めて見る雲の上は
                    当時の僕には異次元の世界に思えましたね
              僕は子供の頃、空を飛ぶ事を夢見てましたから感無量でした
 
   予定ではオランダのアムステルダム空港に着陸して、そこからブリティッシュ航空に乗り換えて
                    まずはパリに到着するという事になってました
 
               ロンドンに入る前にオプションでパリ観光があったんですよね
     今考えると1984年当時に二十歳でヨーロッパを体感するのは本当にいい経験になりましたね~
                      やはり若いと感受性も高いですからね!
 
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                所で少し話は反れますが「ウォークマン」って覚えてます?
       1979年に時代の寵児として発売された携帯できるステレオって事で人気を博しました
 
            通勤中のバイクでも自分の好きな音楽を聴きながら乗る事が出来ました
        カセットテープって言うのが今の時代になると泣かせますが当時は最先端家電だった
 
                  もちろん僕も愛用者でヨーロッパにも持って行きましたね
             飛行機からパリの町が見えた頃こんな曲が流れていたと記憶しています
 
 
      泣かないで/舘ひろし  1984  作詞・今野雄二/宮原芽映  作曲・舘ひろし
 
           消し忘れた煙草 回り続けるレコード 途切れたままの言葉
    そっと置いた指輪 言いかけてやめた嘘 冷めてしまった中国茶(チャイニーズティー)
                     お前の好きだった中国茶

             覚えのあるピアノ 小刻みに動く指 塗り潰された写真
      ひびの入いったグラス こわれそうな微笑 色をなくした口紅 久しぶりにみた口紅

                泣かないで 泣かないで 抱き寄せてしまうから 
       泣かないで 泣かないで 今よりもましな 優しさに会えるよ 俺の為に泣かないで

             このまま友達で さよならは言えないわ 弱くなったの私
     今も愛してるわ うつむきながら つぶやく 気の強い女だったろ 涙は嫌いのはずだろ

                泣かないで 泣かないで 抱き寄せてしまうから
       泣かないで 泣かないで 今よりもましな 優しさに会えるよ 俺の為に泣かないで
 
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              ついに僕は生まれて初めて異国の地に足を踏み入れました
                 「花の都パリ!」
 
                      これからどんな事が待ち受けているのか・・・
           それは次回からのお楽しみという事で今日はこれまで! ジャンジャン!!
 
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           おまけ
 
              一つ年下の大明神とはたぶんこの頃知り合ったんだと思います
            一つ年下の後輩が入社して来たのが僕が3年目の時だったですからね
 
            その新入社員の友人という事でお店に来るようになったんだと思います
         初めて見た時の事は覚えていませんが最初はあまり意識もしていなかったと思う
 
                まあ「可愛い娘だな~」って思った事は確かですがね・・・
             過去形かって?  いえいえ、今でもそう思っていますよ! 爆!
 
 
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