自分のルーツを辿ってみる 12 ミヤニシ就職 | PRAINSのブログ

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イメージ 1さて、久しぶりのこのシリーズになりますが前回の記事では美容学校の卒業と言う所まで書きました
 
ヤクザな世界からの脱却を目指し苦肉の策で入学した美容学校でしたが、右往左往ありながら何とか卒業までこぎ着けたという事なんですよね
 
しかし最後の最後で事件を起こしてしまい危うく少年施設に送られる寸前で就職が決まっていると言う事と親と保護司さんが見放していないとの温情で助かったという事だったんですよね
 
そんな綱渡り的な美容学校生活で一歩間違えたら・・・と言う現実がありながらも実は本人的にはまったく反省の色もない
そんな精神状態での就職でしたからモチベーションも何もあったもんじゃなかった
 
面白くなければ いつでも辞めてやるくらいの思いでしたからね~ 歳こそ18歳になっていましたが精神年齢は高校入学時の時のままで遊ぶ事が楽しくて仕方ないって言うのが当時の本音だったんですよね
 
 
          時は1982年(昭和57年)ブラウン管の向こうからは こんな曲が流れていましたね
 
 
              赤いスイートピー/松田聖子  作詞・松本隆  作曲・呉田軽穂
 
 
        春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ  煙草の匂いのシャツにそっと寄りそうから
                  何故 知りあった日から半年過ぎても  あなたって手も握らない
                           I will follow you あなたに  ついてゆきたい
                I will follow you ちょっぴり  気が弱いけど  素敵な人だから
                               心の岸辺に咲いた 赤いスイートピー

          四月の雨に降られて駅のベンチで二人  他に人影もなくて不意に気まずくなる
               何故 あなたが時計をチラッと見るたび  泣きそうな気分になるの?
                               I will follow you 翼の  生えたブーツで
                      I will follow you あなたと  同じ青春  走ってゆきたいの
                                 線路の脇のつぼみは 赤いスイートピー

                                     好きよ 今日まで  逢った誰より
               I will follow you あなたの  生き方が好き  このまま帰れない 帰れない
                                   心に春が来た日は 赤いスイートピー
 
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昭和57年4月1日に僕は晴れてコアフュール ミヤニシに就職しました、正確に言うと当時ミヤニシの支店だったラ・モード ミヤニシへの配属だったんですがね 店長は美容学校に面接に来てくれたTANAKAさんだった
よく覚えていないんだけど僕が入社した頃のラ・モードは僕を含めて6人だったように記憶していますね
 
入社当日仕事を終えて本店の先生に挨拶に行けとTANAKAさんに命じられて挨拶に行った事をよく覚えています、本店に行って初めて先生を見ました、その時の印象は背は低いけど たくわえられた髭と大きな目が挑戦的に見えましたね 笑
 
「今日からお世話になる山下です よろしくお願いします!」
まあ ありきたりの挨拶ですよね、そう言って僕が頭を下げるといきなり先生に
 
「アンタねぇ~ もう学生じゃないんじゃけん その頭を何とかせんと・・・」
って言われたんですよ、実は初出勤に合わせて僕はバッチリ リーゼントをキメテいたんですよね
当時リーゼントこそ気合の入った髪型だと思っていましたからね 笑
 
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「生意気なチビじゃのぉ~・・・」って未熟な僕は思ったんですが(笑)まあ僕は支店勤務だから一緒に働く事は
ないので「まあ ええか・・・」って反論はしなかったんですよね
でも後から考えたら この出会いは僕の人生を大きく左右する事になるんですよね
 
この年の同期入社は僕を含めて5人だった、男4人と女1人でしたが高校を中退している僕は最年少だった
同期の一人は二つ上の顔見知りの先輩だった、その他の男性も3歳・5歳も年上の人だった
女の方は僕より一つ上で族上がりの人だった(笑)彼女とは同じ族上がりという事で話も合いましたね~ 笑
もう何十年も会っていないけど元気なんだろうか・・・ オバサンになってるだろうな~ 笑
 
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上から2枚目の写真は同年6月に社員旅行で松山の道後温泉に行った時の物ですが これが当時のミヤニシのフルメンバーだった このメンバーに先生の奥さんがいて当時社長だった先生のお兄さんと社長の娘さんというスタッフ体制でしたね
 
若いスタッフが多いという事と僕は最年少という事で 皆さんにも可愛がってもらい すぐに打ち解けましたね
特にKIDO君には とても目をかけてもらった、KIDO君の弟さんが僕の高校の一つ上の先輩で僕が高校在学中に仲良かったという事もあり同じ族上がりという事もあって本当によくしていただきましたね
 
当時よくKIDO君の家にも泊りに行きましたね~ この出会いも僕の人生を大きく左右しました
彼なくしては今の僕はないとさえ言えるんですが詳細は追々と・・・
 
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もう一人僕の事を可愛がってくれていた先輩の Z 君、KIDO君とは同級生で ある意味ライバルであり友人でもあったんですが族上がりのKIDO君とは違い 都会派のシティーボーイって感じだったんですよね
ルックスもカッコよくてお洒落でしたね~ KIDO君と Z 君、この二人に僕は影響されながら価値観も大きく変わって行きましたね
 
でもビミョウだったですね~ 二人は仲も良かったけどライバルでもありましたからね~
「類は類を呼ぶ」ではありませんが僕としては やはりKIDO君に同じ匂いを感じていましたね
 
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最初こそ支店勤務だった僕ですが一カ月もしないうちに本店勤務へと配属が変わったんですよね
僕を可愛がってくれていたKIDO君と Z 君が本店勤務だった事もあり先生に交渉してくれて本店勤務に移動となったわけです
 
気の合う先輩と同じ店になったと言うのは良かったんですが一つ厄介な事があったんですよね
支店でのんびりやっていたのに本店に行くと忙しさがまるっきり違っていたんですよ
当時のミヤニシは今の時代では考えられないくらいの超繁盛店でお店に入りきらないお客さんが階段にまで並んでいたんですよね
 
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当時の本店はシャンプー台が3台で新人の3人で全てのシャンプーをこなしていたんですよ
朝の朝礼が終わって業務に入ると同時にシャンプーに入る、一度入ったら最後、蟻地獄のように抜け出せない
営業が終わるまで ず~~~~っとシャンプーなんですよ 一日何十人こなしていたか・・・
 
さすがの僕も手荒れにもなるし入社後2カ月も経った5月の終わり頃には精神的に辛くなった
「あれが世に言う五月病か・・・」って後から考えたら思うんですがシャンプー台から見える外の景色を見ながら
「ワシって毎日毎日いったい何をやっとるんじゃろう・・・」って思って悲しくなった事をよく覚えていますね
 
そりゃそうですよね、つい先日まで自由に美容学校生活を謳歌していたんですからね~
美容学校時代に遊んでいた仲間は相変わらずフラフラ遊んでいる、そう思ったら僕は何て可哀想なんだと思ってしまったんですよね、馬鹿ですよね~ 爆!
 
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就職するまで楽しみにしていた土曜の夜も遊べなくなった、日曜が仕事の僕に友人も気を使って誘わなくなった、運転免許が取り消しになってる僕は行動範囲も狭い、皆が「山賊に行く!」って言うのを聞いて どれだけ自分を惨めに思ったか・・・
 
まあ結論から言うと やはり免許がなかった事は大きかった、もし免許があって車に乗っていたら僕は仕事が続いていなかったと思う、当時は我慢できる精神状態ではなかったと思いますね
それとやはりKIDO君の存在ですよね、土曜の夜は毎週のようにKIDO君の家に泊まりに行ってましたからね
 
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自分の精神的未熟さだったんですが あの時期本当によく続いたと思いますね、就職前の生活と180度違う生活になりましたからね、一日中拘束されているんですからね、しかもなぜか先生は僕には特別厳しい事を言う
今になれば理由もよく分かりますが当時の僕には理解できなかった
 
先輩や同僚たちから なだめられながら何とかやっていましたが僕もだんだんストレスが溜まって来ていたんですよね・・・   でも楽しい事も沢山あったんですよ、ファッションについてもだんだん変わってきましたしね
学生時代オールディーズファッションだった僕も先輩たちの影響もあってDCブランドへと変わって行きましたね
 
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当時広島市内にあった「五番館」や「ミウラカンパニー」にはよく通いましたね
メンズ・ビギやグラス、パッシュ、フィッチェ、メルローズ、ピンクハウス・・・ 
今考えたら超高い買い物でしたがね~ 笑
 
当時の安月給のほとんどは洋服代に消えていましたね クレジットを組んでまで洋服を買っていましたからね
この辺りも時代性でしょうね~
 
こうやって何とか美容師生活のスタートを切った僕でしたが まだまだ本気で美容師を目指しているとは言えなかった、本気になるまでは もう少し時間が必要だったという事ですね
という事で、今回はこれまで、続きはまた今度、ジャンジャン!!
 
 
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    おまけ
 
この時期ウチの大明神は高校3年生、まだこの時点では面識はありませんでした
僕達が知り合うのはこれから約2年の歳月が流れてからという事になるんですよね!