自然界の「美」 | PRAINSのブログ

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イメージ 1昨日の投稿、歴史と言う意外な分野でしたが(笑)今日も意外な分野でお送りしたいと思います。
 
実は僕は「蝶マニア」でもあるんです(笑)
まあ正確に言うと蝶マニアだった になりますが。
 
小学校の時蝶の標本に目覚めてけっこう沢山の標本を作っていました。
実家の裏がすぐ山だったので暇を見つけては網と採取した蝶を入れる為の三角紙(トレーシングペーパーを切って制作した物)三角紙を入れておく三角ケースを持って野山を駆け回っていました。
 
残念ながら標本は保管状態も悪かったんでしょうが全て腐敗してしまいましたが、標本箱や三角ケースはおそらく実家の何処かにあると思います。
上の写真の標本箱みたいに安っぽい物じゃ無くちゃんとした木枠でガラスが入っていました。
 
イメージ 2なぜ蝶の標本みたいな物にハマったのでしょうか?
 
実は子供の頃実家の隣に当時お父さんと息子さん二人っていう方が住んでいて下の息子さんが僕の事を凄く可愛がってくれてました。
 
家庭環境的にも高校に行ってないようだったので高校生位の歳だったのかもしれません。
彼は N さんと言う方でしたが今考えて見ると今で言う「オタク」だったのかもしれません。
当時のフォーク歌手のように髪も長髪で当時何の仕事かは分かりませんが作業服を着て朝出て行くのを良く見かけてました。
 
小学生の僕は当時良くしてくれるお兄さんって言う認識しかありませんでした。
毎月発売される当時の芸能雑誌「平凡」「明星」も欠かさず借りてましたし漫画も当時発売されていた全種類を買っておられたので全部読んでました。
 
イメージ 3
レコードも当時のアイドルからフォーク、ロックまでコレクターのように買っておられたので全てテープに録音させて貰ってましたし古くなったレコードを良く貰いました。
 
だから僕は学校の同級生より大人な事を凄く良く知っていたのです。
吉田拓郎も井上陽水もキャロルも初めて聞いたのは N さんの家でした、小学生にして拓郎や陽水、キャロルを聞いていた訳です(笑)
 
凄くインドアな趣味が多い N さんでしたが唯一アウトドアな趣味が蝶の標本作りでした。
 
彼の部屋に飾れている蝶の標本見て当時小学生の僕は凄く興味を持ちました。
全ての知識を教えて頂きよく一緒に裏山に蝶を捕りに行きました。
彼はいつも熱く語りました、どの蝶がどういう所に居るのか、季節的な事、蝶の種類、、、
知らない間に僕は蝶の博士のようになっていました(笑)
 
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そんなある時 広地区の小学生を集めて蝶の標本作りって言うセミナーが広市所で開催されました。
スライドを見て蝶の名前を当てるのですが アゲハ蝶やモンシロチョウ位はみんな知っていましたが僕が全問正解するので先生も驚いてましたが僕にはなんて事ない事でした(笑)
 
自然界に生息する蝶の美しさにも惹かれましたが もう一つは「集める」ってとこに楽しみを覚えました。
 
男って集める事が好きなんです(笑)
 
記念切手にしても仮面ライダーカードにしても とにかく人より多く集めたい、男の本能かも知れませんね。
 
今はもうあまり沢山の蝶の名前覚えていませんが当時は図鑑に載っている蝶の名前は全種類覚えてました。
知ってます?蝶ってオスとメスでは同じ蝶でも模様や色が全然違うんですよ。
 
イメージ 5
掲載した蝶の写真 僕が当時好きだった蝶の一部です。
一番上がアオスジアゲハ、二番目がミヤマカラスアゲハ、三番目がツマグロヒョウモン、左の蝶がルりタテハです。
 
どの蝶がどの季節に裏山のどの辺に居るか当時は全て把握してました。
N さんと灰ヶ峰に遠征に行った事もありましたねー。
 
 
 
 
イメージ 6
今でも暖かくなって来て蝶が飛びだすと ふと
採取に行きたくなる事があります。
 
小学校の時以来蝶の採取には行っていませんが僕の事ですから またいつか始めるかも知れません(笑)
今は他にいっぱいやる事があって時間的にも無理ですが、、、
 
右の写真の蝶はオオムラサキと言って日本の蝶の王様です。
当時も僕は持っていませんでしたが どうやら国の天然記念物に指定されたみたいです。
当時は保護指定無かった様に記憶していますN さん持っていたように思うんですがねー。
 
それにしても N さん元気なんですかねー、
40年近く会っていませんが何処でどうしてるんでしょうか、50代も後半になっているでしょうね、
まさか今でも蝶の標本作っているんですかねー(笑)
 
Nさんには色んな事を教えて頂きました、この場を借りて当時のお礼を言わせて頂きます、
「ありがとうございました。」
またいつか縁があったら お会いしたいと思います。
 
懐かしい昭和の思い出のひとつでした ジャンジャン!