![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190724/16/prains/04/ba/j/o1024076814511428577.jpg?caw=800)
僕の友達に「増田建基」さんと言う元マツダのワークスレーサーだった人がいます。
友人と言っても一回り以上上の方で 現在65歳位の方です。
彼は地元の車好きの人達からは「伝説の人」って言われています。
10代の頃からモータースポーツに勤しんで当時地元にあった野呂山のサーキットの立ち上げと共に数々のレースで優勝を飾っていたそうです。
その実力を見込まれて当時のマツダワークスのドライバーになりました。
特に有名なのは当時無敵だった日産のスカイラインGTRの50連勝が掛かったレースで見事サバンナで連勝を阻止した事でしょう。
その他にも1971年12月12日富士ツーリスト トロフィーレースでサバンナを駆って優勝。
1972年10月10日富士マスターズ250キロにカペラを駆って黒沢選手のスカイラインGTRとデットヒートを繰り広げ優勝、その世界で当時のレーサー生沢徹、浮谷東次郎、高橋国光 等そうそうたるメンバー達とデットヒートを繰り広げたそうです。
当時の彼のマネージャー役だったNさんとも今でも親しくさせて頂いてますが 彼の雄姿、武勇伝等聞くと とても凄いと思うし 実際凄くハンサムなんで夜の武勇伝も数多く あったそうです(笑)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190724/16/prains/ca/9f/j/o1024076814511428581.jpg?caw=800)
この写真は72年のマスターズで優勝した時の表彰台での写真です。
中央が増田さんですが なるほどハンサムですね(ページトップの写真は左から3番目が彼です)
マネージャーのNさんに聞いた話なんですが当時増田さんは本当に速かったそうです。
でも性格が性格なんで 人に頭を下げるのが大嫌い、マツダ本社のお偉いさんにもマツダワークスのキャプテン片山義美さんにもスポンサー関係の人にも頭を下げない、随分困らせてくれたそうです(笑)
代わりにNさんが全部頭を下げて回っていたそうです。
当時のエピソードも数多く本人やNさんから聞いているのですが あまりにも多いのと文章に書けない事が 多いです(笑)
その中から2つばかし話しますね。
1つは当時スカイライン全盛期でレース場のレストラン内も日産勢が幅を利かしており他のチームは隅に追いやられていたそうなんですが増田さんは日産チームに運ばれてきた料理を横から取って食べていたそうです(笑)
当然日産チームは怒りますよね、でも「カンケ―あるかい」ってキョろっと していたそうです。
その時も 謝りに行ったのはNさんだったそうです。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190724/16/prains/2a/f5/j/o0800051114511428585.jpg?caw=800)
もう1つは当時あるレース場で新人レーサーにアドバイスを頼まれたそうです。
増田さんの性格ですから めんどくさがって断ったらしいんですがスポンサーサイドからの頼みと言う事でNさんが説得すると しぶしぶOKしたそうです。
その新人レーサーの走行を見て駄目だししてお手本を見せたそうです。
その新人レーサーって誰だと思います? 日本人初のF1レーサー若き日の中島悟選手だったそうです。
上の写真富士マスターズでの黒沢GTR(15)と増田さんカペラ(32)のデットヒートです。
コーナー抜けながら睨み込んでます、ありえませんね(笑)
実際彼から聞いた話ですが やはりマツダロータリーに比べてGTRの方がマシンのポテンシャルが高かったそうです。
ロータリーが勝っていたのはボディーの総重量が軽かった事位だそうです。
ヘアピンの立ち上がりで車重の軽いロータリーが早く立ち上がるのにS字コーナーに入ると足回りの弱いロータリーは車体が降られてGTRに抜かれていたそうです。
最終的にGTRに勝つためにはぎりぎりまで怖がらずにブレーキングを遅らす度胸と車体を降らさないようにコーナー回りきるテクニックだったそうです。
後は やはりチーム戦なんでいかにチームでブロックするかって言われてました。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190724/16/prains/99/2b/j/o0700044314511428586.jpg?caw=800)
僕は訳有って増田さんとは18歳の頃から親しくさせて頂いてますが周りの先輩たちでさえ名前も覚えて貰えないほど上から目線の人でした。
ゴルフも凄く上手くて地元の某ゴルフ場でクラブチャンピオン連続何度も取って日本の記録になってるらしいです、昔は良くゴルフも連れていって頂きました。
釣りも 一緒によくやりましたが釣りは僕が師匠で増田さんが弟子でした(笑)
四国にも釣りに行きましたが夜中宇和峠を彼が運転するんです、速い速い、、、でも安心感がありましたね。
そんな彼も近年糖尿病を患ってずーっと入院しています、時々見舞いに行くのですが見ている方が辛いです。
わがままな子供がそのまま歳を取った様な方ですので今でもベットの上からでも時々わがままを言います。
でも それくらいの方が僕としては嬉しいです。
不器用な性格なので損をしてきた事も多いでしょうし僕も何度か頭にきた事もあります。
でも自分でやって来た事だし そう言う事も含めて彼なのです。
糖尿病も分かって居ながら不摂生するんですから 何とも言えません。
今はただ元気になってくれる事を心から願っています。
ちなみに上のゼブラカラーのサバンナ 京商だったと思いますが増田建基モデルとしてミニチュアも販売されています。