血の中傷 | 初瀬蒼嗣の保守言論

初瀬蒼嗣の保守言論

保守の立場から政治思想を中心に意見を述べていきたいと思っています。

2017年05月08日
血の中傷

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血の中傷
wikipediaより

ユダヤ人についての事実無根の噂がでっち上げられた例は各時代、各地方において確認され、それは膨大な数に上る。

中でも有名なのが、過越しのパン(マッツァー)の中にキリスト教徒の子供の血を混ぜるという噂であった。これが「血の中傷」という言葉のそもそもの由来である。だが、この噂が広範囲に流布されるに及んで、ユダヤ人に対する中傷一般を指す概念として用いられるようになった。

血の中傷はユダヤ人差別の象徴として、彼らに対する憎悪を一層掻き立てる機能を果たした。

特に過越祭の期間にその機運が高まったが、それは過越祭そのものが他の祭に比べて民族主義色が濃く、ユダヤ教の起源、習慣、信仰といったアイデンティティをより具体的に表現していたことも関係している。

ユダヤ教には殺人についての厳格な禁止事項があった。また古来より、肉食には細心の注意を払っており、タルムードでは人肉食についての警告を発してもいる。

にもかかわらず、ユダヤ教徒は特別な儀式において祭具に滴らせるキリスト教徒の血を必要とし、そのために密かにキリスト教徒の子供たちを殺害し、その遺体から血を絞り出しているといった噂が公然と囁かれていた。

ユダヤ人によるキリスト教徒殺害という観念はイエスの受難を連想させ、その再現とさえ見なされていた。

その種の噂は以前からあり、単純にキリスト教徒に対するユダヤ教徒の復讐であると説明されていたが、その後、反ユダヤ主義者にとって都合の良い別の説が定着するようになる。

それが上述の、過越のパンにキリスト教徒の子供の血を混ぜるというものであった。さらには、過越の晩餐に供されるワインにも血が注がれているといったと尾ひれが付くようになり、年を追う毎に、過越し祭が繰り返される度に話が膨らんでいった。

血の中傷にまつわる流言は、中世以降の800年間におよそ200のバリエーションが数えられているが、そのいずれもが核心部分にはほとんど手が付けられていなかった。

よって、世代を通じて固定観念が形成されるようになり、血の中傷についてのおおよそのストーリーが完成するに至った。

それによると、

過越祭の数日前になると突然、キリスト教徒の子供が行方不明になる。

祭が終わった頃になると子供の遺体がユダヤ人の家の近辺で発見される。

その遺体には血を抜き取られた形跡がある。

つまり亡くなった子供はユダヤ人の過越しの生贄として犠牲になったという話の流れである。

当時のキリスト教徒は、自分たちのことをユダヤ人よりも啓蒙され、より文明的であると考えていた。

よって、キリスト教社会では穢れた職業として禁忌されていた金融業にユダヤ人が携わっているのならば、儀式においても人肉を食したり血をすすったりするような野蛮な信仰、習慣を保持しているに違いないと当然視していた。

血の中傷は、当初はイギリスとフランス国内でのみ、まことしやかに囁かれていたが、この両国を中心に各国へと伝えられ、やがてはヨーロッパ全土を席巻するに至った。

 

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血の中傷とは英語ではBlood libelといい、ユダヤ教徒側からの呼称である。キリスト教徒側からは儀式殺人とも呼ばれる。

「生贄の血を飲む」という文化は世界中でよく見られるもので、必ずしも血の中傷のケースが固有のものではない。現代においても、ユダヤ人の血の中傷の噂は絶えない。

IT革命以後、「血の中傷」または「儀式殺人」の噂は広く流布されており、事件があった地域に限定されることなく、世界中に広まっている。

古代からヨーロッパではキリスト教徒によるユダヤ教徒のこの「血の中傷」を背景とした虐殺事件が後を絶たなかった。

宗教改革をおこなったマルティン・ルターは『ユダヤ人と彼らの嘘について』において痛烈にユダヤ教を批判した。

 1 シナゴーグやイェシーバーを、跡形残らず徹底的に焼き払うべし
 2 更にユダヤ人の所有する家をも打ち壊し、所有者を田舎に住まわせるべし
 3 宗教書を取り上げるべし
 4 ラビの伝道を禁じ、従わないようであれば処刑すべし
 5 ユダヤ人を撲滅するための方途を穏便に実行すべし
 6 高利貸しを禁じ、金銀を悉く没収し、保管すべし
 7 ユダヤ人を農奴として働かせるべし

ルターがここまでユダヤ人を警戒したのは『血の中傷』の件も当然あったと思うが、ユダヤ教徒の聖典『タナハ(旧約聖書)』、『タルムード』などの内容故であろう。

『タナハ』は日本でも容易に手にいれるとこができるが、『タルムード』などは日本人は気軽に内容を知ることができない。その内容を深く知るためには最低でも英語が理解できる必要がある。部分的には引用が訳されている。

『タルムード』などユダヤ教の教えはラビたちによって古代から現代に至るまで延々とその解釈などが書き続けられている。

キリスト教やイスラム教がその教えを拡張できない構造になっているのとは対照的である。

ユダヤ教はラビたちによってこれからもその教えが拡張され続ける宗教なのである。そして過去のラビたちの教えは破棄されない。

『血の中傷』『儀式殺人』は実際に行われているかどうかを確認することは難しい。しかし、実際にそのことが示唆されている内容の動画などは数多くネット上で拡散されている。

個人的な推測では、ラビの教えやその教えに対する信者の意見などを考慮する限り、私個人は文明化された現代の今現在において、ユダヤ教徒のどの程度一般的であるのかわからないが、特別の祝祭においてゴイムの血は神に捧げられており、それをマッツァーの中に入れている観衆が残っていることは事実だと思っている。

あくまでもユダヤ人の解釈による偉大なユダヤの王ダビデ、ソロモン以後、ユダヤ人の王国は分裂し、その後滅びた。

このユダヤ王国滅亡後、ユダヤ教は延々とラビたちによって祖国への想いがユダヤ教徒たちに教え込まれ、ラビたちのその想いは時代をくだるに従い強烈なものになっていったものと思う。

『タルムード』の全貌、何がどの程度書かれているのかまでは推測的なものにならざるを得ないが、引用されているものだけを読むだけでも、その凄まじい憎悪は伝わってくる。

ユダヤ教において、隣人愛や誠実さというものは重大な美徳にはならない。

新渡戸稲造の『武士道』における仁・義・礼・勇・誠などは、ユダヤ教においてほとんど意味をなさない。

キリスト教の隣人愛や西欧の騎士道に見られる美徳などもユダヤ教においてはなんの意味もない。

フリードリヒ・ニーチェはキリスト教に『奴隷道徳』を見出したが、ユダヤ教におけるルサンチマンはキリスト教徒のそれとは別次元のものと見なして差し支えないと思う。数千年にもわたる異民族に対する憎悪は、敬虔なクリスチャンのルサンチマンとは明らかに異なる。

『血の中傷』など、フィクションだろうと考える人もいるだろうと思う。少なくとも現在アメリカで大問題になっている問題、「ピザゲート陰謀論」の背後には『血の中傷』『儀式殺人』の問題があるのだ。

リベラル派の首領たるヒラリー・クリントンの周辺にいる人たちの多くに『儀式殺人』の疑いがネットメディアによってかけられているのである。

そこには小児性愛の疑いもかけられている。彼らの周辺には実際に小児性愛での逮捕者まで出ている。

日本人にはこんなことは想像すらできないことである。よほど、気が狂った人間でなければ「日本政府の中枢」の人間が小児性愛者で、殺人鬼であるなどと想像しないだろう。

間接的な意味で「殺人鬼」と表現する人はいるかもしれない。しかし、アメリカで問題になっているのは、間接的な意味ではなく、直接的な意味なのだ。

世界中の富はユダヤ教徒のものであるという考えが実際にユダヤ教の教えには存在している。私たちが手にしている紙幣はごくまれに「ただの紙切れ」と表現する人がいるかもしれないが、ユダヤ金融の考えからすれば、実際に「ただの紙切れ」としか扱ってはいないのかもしれない。

いくつかの資料にルーズベルトもユダヤ人であるというものがあるが、少なくともルーズベルト自身が自分はユダヤ人かもしれないと思わせるような慣習がなんらかの形で伝わっていた可能性がある。日本にいたユダヤ教のラビはルーズベルトはユダヤ人だと言っている。

私たちは「アメリカ人」に伝統を破壊されたのだろうか。このことは再度検討する必要がある。私たち日本人の伝統を破壊しているのは一般のアメリカ人では決してない。

私たちはユダヤ教を凝視しなければならない。

一部で「ハザールマフィア」という言葉があるが、私のなかでユダヤ人とハザール王国の繋がりはそれほど大きなものとは思えない。

ハザールマフィアは偽ユダヤ人であり、真のユダヤ人とは違うという仮説は重要だと思わない。ユダヤ人による陰謀をハザール系に限定することで本質がずらされているような気がしてならない。

ユダヤ人の一部、実際には存在しないハザール系ユダヤ人なるフィクションに敵意を向けさせているようにすら思う。

むしろ重要なのは、現在のユダヤ人の実像であり、タルムードの実像であり、ラビたちの実像であろう。そして彼らがアメリカやヨーロッパにどれほど影響を持っているのか。

日本の文化から奪われた多くのものの一部にはユダヤ人が大切にしているもののあるとも思う。

私たち日本人から奪い取っておきながら、アメリカやヨーロッパ諸国から奪っておきながら、自分たちは、何よりも大切にしているもの、そういうものを発見するためにもユダヤ教は、個人的には韓国や北朝鮮、中国以上にしっかりと監視しておかなけらばならない存在であると思う。

『儀式殺人』は文字通り「魔術」と見なしていいだろう。まさに狂気であり、正常ではない。祭りにおけるこのような「魔術」、普段とは異なる恐るべき狂気が「精神的な異常」を引き起こさないわけがない。そしてその「精神的な異常」には「催眠効果」のようなものもあるのだろう。

現代アメリカの悪魔的な「精神異常」な音楽産業は決してユーモアなどではなく、真剣に行われている可能性がある。わたしたちはこのような文化に対して真剣に警戒しなければならない。そしてまたその対策について論じられなければならない。

 

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2017年05月08日11:18

1: 市丸利之助コメント返信ボタン

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とても秀逸な日記ですね。これが小泉竹中の新自由主義、グローバリズムの移民世界とユダヤ世界マネー支配と繋がっついるのかな?

私は体系的に歴史を追究してない人間ですが様々な、多面的な考察で真実を知る努力をしています。それに必要だったキーワードはユダヤの虐殺から生み出された[共産革命思想]、[朝鮮共産主義者]、[GHQ内部の共産主義者]です。
共産主義は嘘(そそのかし)を利用し平等、人権、自由と騙し民族を分断し民族同士の憎しみを煽る手法た続けています。
ルーズベルトもチャーチルも共産主義のようで日本人を邪魔者と考えたのは天皇を中心とした民族的社会民主主義が白人共産マネー植民地主義の邪魔者だと考えたからじゃないでしょうか?別の視点から観れば戦前から存在していた日本共産党と在日共産主義者の金天海←(重要)で日本共産党が発足した当初、党員の六分の一が朝鮮人だったそうで大日本帝国陸軍は特に朝鮮人が多かったと聞きます。今日の帝国軍人の評価が全く真逆の論調があることに私は困惑していました。辻政信など戦略の天才という人もいれば石原慎太郎のように酷評する人もいます。
要するに共産主義者の民族分断手法が内、外患罪の形で成功したまま戦争に誘導され、戦後は民主主義の逆コースに悩まされ

日本人は分断、分裂、消滅へ…そして
GHQが朝鮮人、共産、部落(松本治一郎)、日教組など分裂分子を植え付けたようですね。
マスメディア在日は満州ルーツだから電通だし朝鮮はいるし。
メディアを牛耳るのも口、女の商売、芸能、リサイクル業、金貸しもユダヤの商法であり。在日の手法です。在日アーティストがサングラスにrock'n'rollにボブディランやPPMを好み、ドナドナというユダヤソングが小学生の音楽教科書に載るのも異常です。最近は松任谷由実の曲が載っているとか。


2017年05月08日18:51

2: 初瀬蒼嗣 編集コメント返信ボタン

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>>1 市丸利之助さん
コメントありがとうございます。

共産主義はユダヤ人によって作られた思想ですが、ユダヤ教の正統派からすると邪教です。ユダヤ人の歴史観に基づいて作られているので構造的には共産主義も正統派と近いものがあると思います。

いずれも異民族(ゴイム)の労働に寄生しないと成り立ちません。共産主義は平等をうたっていますが、指導的役割を担うものには特権が与えられます。

いずれも特権階級のユダヤ人と労働者または家畜としてのゴイムとで成立します。彼らにとってこの構造が崩れた時が問題で、特権を維持している限りさほど大きな問題ではないとおもいます。

ですから、ユダヤ人が体系化した資本主義も共産主義も実態はそれほど変わらないと思います。ユダヤ人から眺めた資本主義と共産主義には大きな違いはないはずです。

共産主義にせよ資本主義にせよ、ユダヤ正統派とは異なり異民族(ゴイム)も支配階級につくことができます。この場合、共産系ユダヤ人、資本主義系ユダヤ人、ユダヤ正統派は手を携えて工作活動をすることになります。

ユダヤ正統派のラビには直接的な権力はありませんが、ユダヤ教の「要」としての役割、指導的な役割があり、無視できない勢力です。

このような見方をすると戦前にユダヤ人に支配された米英とソ連が組んだのはなんの不思議もない話になります。

ナチスドイツがユダヤ人にホロコーストを行ったというのは正確ではなく、ユダヤ人の多くが共産主義者であったためその取り締まりの対象にユダヤ人が多かったとのだとおもいます。実際には、「血の中傷」の件もありますから、反共ということ以上にユダヤ人への敵視が大きかったとも思います。大量虐殺の証拠がないという主張には耳を傾けるだけの理屈もあります。

ユダヤ的な思考法で考えるなら竹中平蔵の理屈は圧倒的に正しいです。ユダヤ人でもない彼が日本国民を家畜のように扱おうとする感覚は当然理解に苦しみます。彼には民族的な意識もなければ、日本人固有の倫理観も当然ありません。

彼は当然ユダヤ教徒ではありませんから、シオニストのような思想はないものと思います。シオニストでもなければユダヤ正統派でもないにも関わらず、目先の利益のために国を売り渡す人間は「売国奴」と呼ぶ以外になんと呼んでいいのかわかりません。

彼を評価する人間は当然、国内にも国外にもいますが、それがどういった人間なのか、どのような価値観で生きているのかは、緻密に省察するまでもなく明らかだと思います。

共産主義の波を防ぐというのは、軍事的な側面もありますが、最も重要なのは精神性の問題だと思います。ユダヤ人とその気質が近い民族性であればあるほど、共産主義に染まりやすい、シンクロしやすいのではないかと思います。

長い歴史の中で被征服民であった中国が共産党を近い未来に打倒できるとは到底考えられません。同じ理由で北朝鮮の金王朝、韓国の左翼勢力も同じだと思います。

ただし、彼らのやっていることは厳密にはユダヤ教徒とは同じではなく、自国民を家畜のように見なしている思想に染まっているという意味ではそれ以下とも見なせると思います。

戦前の大日本帝国下の軍人の評価は難しいですね。勝敗は兵家の常ですから、勝敗の結果で評価しても仕方がありません。また「自分とは自分とその環境である」ともいいます。

どんなに優れた人間でもその環境に問題があればどうにもなりません。特定の個人に逐一評価をつけるのも一面的には無意味のような気がします。

故人の選択のどこに問題があったか、故人が善人であるのか悪人であるのかというのも確かに大事な作業なのかもしれませんが、今はそれよりも今生きている日本人自身が何を選択するかを歴史を踏まえたうえで吟味する方が大事な作業のような気もします。

ただ石原さん世代は帝国陸軍軍人と世代もそれほど遠くなく、批判したくなる気持ちはわからなくもありません。

2017年05月08日23:11

3: 初瀬蒼嗣 編集コメント返信ボタン

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私自身、シオニズムと正統派を混同しているところがありそうです。少し調べたいと思います。