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出ベンゾ記

ベンゾジアゼピン離脱症候群からの生還をめざして苦闘中。日々の思いを綴ります。


事情があって更新が滞った。順番に行く。

まずドアの扉だけがハシゴにくっついている設備。





じつはプログレ子さんから、とっくにご教示いただいていたのが、私の都合でお返事がひどく遅れてしまった。お詫びします。

遅れついでに、答えを出す前に、施設全容をご覧に入れる。

















なんでもNシステムとか言って、速度違反車のナンバーを記録する施設だそうだ。



ドアは市販品だそうだ(笑)。



商品サイトでは「ステップ昇降禁止板」とある。

ようは外付けハシゴによじ登る、不届き者を撃退する装置だ。

久しぶりに実感した。

モノにはかならず名前がある。



荻外荘を続ける。



公開が始まったとは言え、完成と言うにはまだ遠く、玄関(図右下)から左の正面側は侵入禁止。もっとも膝より低いロープで遮られているだけなので、いずれ整備が終わればここも公開されそうだ。



玄関から、客間、食堂を側面から見たところ。

このあたりを背景に、近衛と吉田茂の姿を写した写真の展示もあった。



吉田は意外だったが、終戦後1年ほど荻外荘に住んでいたことがあるそうだ。



食堂の床の寄木。



食堂の壁紙。



この窓の美しいこと。

外はまた春に見に来たい。



平面図で倉庫とある部屋。蔵だ。大礼服は真新しいが、これが長身痩躯の近衛のサイズなのだろう。



大礼服足元の金物が気になる。暖炉はなかったようだが…。



書斎。



茶室としても使われたのか、アーチ型の花頭窓のようなものが見える。

敗戦後、GHQからA級戦犯の指定を受けた近衛は、収監期限の朝、この部屋で服毒自殺を遂げた。

日本の首相経験者では暗殺などはあるが、自殺は唯一の例だそうだ。








日中戦争開戦時から終戦に至る動乱の時代に、3度にわたって内閣を組織し、日本の現代史に大きく関わった近衛文麿。

その近衛が、後半生を過ごした杉並区荻窪の「荻外荘」が、10年に及ぶ修復工事の最終局面に入り、昨年末から公開されている。





入口は、意想外に狭い玄関ではなく裏側。

設計は名匠・伊東忠太で1927年の創建。築地本願寺をはじめ、モニュメンタルな作品で名高い伊東だが、荻外荘は、それら物々しい作品群とは異なる控えめな設えが珍しい。







平面図がこれだが、移築されていた右半分が、今回、豊島区より返還され、ほぼ原状に復した。修復は隈研吾建築都市設計事務所。



玄関に掲げられた西園寺公望筆の扁額。


応接室は中国風。テーブルと椅子の螺鈿細工が見事だが、ちょっと新しすぎるような気も。



天井には龍がモチーフの絵が4点。





客間前の廊下から外を見る。外はまだまだ整備されるんだろう。欄間の意匠がシンプルで美しい。



ロッカー?



客間の天井。





モノクロ写真は、歴史に残る荻窪会談の様子だが、壁の亀や海老まで元のままだ。左・近衛、右・東條英機。

海老、デカくない?

というわけで、以下続く。