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出ベンゾ記

ベンゾジアゼピン離脱症候群からの生還をめざして苦闘中。日々の思いを綴ります。




前回の最後、都心には珍しい出桁造りの建物を取り上げたが、これをも少し。

樋口一葉が菊坂に住まっていたとき、貧苦のなか、しばしば通った質屋が、ここ伊勢屋質店だ。

ひととおりの関係ではなかったと見えて、一葉夭折の折り、伊勢屋主人は香典を供えて葬儀に連なったという。



裏に回ったところ。伊勢屋は跡見学園が取得して、保存に努めているそうだ。

さて、伊勢屋のある菊坂が本郷通りにぶつかると、そこは東大農学部の前。右手に向かうと赤門だ。

この農学部から赤門に至る道は、看板建築が立ち並ぶが、ほとんどが廃屋だ。



こんな人気を感じる家は珍しい。



頑張って維持してもらいたいものだ。



さて、何気なく撮った写真だが、このすみれ堂がなかなか手ごわい。

テントに書かれた「さるかにせんべい」が気になるが、すみれ堂はバタータンという商品でラジオCMをうつほど人気になったことがあるそうだ。

ただし、情報は混沌としていて、本社は北区にあり、直営店が都内や埼玉などにあったとか。ここ本郷の店は本社ではなかろう。



まだ活気があった頃の本郷店。



バタータンの写真をWebから拝借した。バター風味の短冊型せんべいでバタータン(笑)。



南陽堂は元書店のようだが、貸店舗の張り紙がある。そして恐ろしいことに10年以上前の写真を見てもこのとおりだ。



これも有名店だが、すでに廃業したフルーツパーラー万定。

昭和3年の竣工だそうだ。


わが師・玉城徹は、東大の美術史科に在学中、学徒出陣。広島の任地から復員して、久々に大学に行ってみたら、本郷通りが防空壕だらけになっていて驚いたそうだ。

防空壕が残っていたのだから、空襲は免れたわけだろう。万定も焼けずに残ってここまで続いて来たのである。

まだ修復可能に見えるがなんとかならぬものか。







これはまだ営業中の頃。

というわけで、のらりくらりはここまで。




去年発見して、すっかりお気に入りになった鰻屋「鮒兼」で一杯。ご機嫌で本郷界隈を歩き回った。



鮒兼の入口に置かれた睡蓮鉢の金魚。



日本基督教団弓町本郷教会。建物は1920年代創建とか。ここはパイプオルガンの公開演奏をやっているそうなので、それを聴いてまた報告しようと思う。



教会の前の巨木。都心の一本立ちの木としては最大級かも。樹齢600年。










恐ろしいような急勾配の炭団坂。石垣は明治以来とか。

常盤会跡というのは逍遥の去った旧居跡に出来た下宿、常盤会宿舎のこと。正岡子規が入居し、漱石も訪れたそうだ。



ズボン堂(笑)。ズボン専門店です。



このあたりにたくさんあった旅館の生き残り「鳳明館」。名所なので深入りはせず。







蔵が。





スゴイものが残っているんだなぁ。



質屋だ。樋口一葉御用達(笑)。ここは内覧できるようなので、中に入ってあらためて報告する。

続く。












樹木の葉がすっかり落ちて、建物がよく見える真冬のNHKホール。



ステージから客席を見たところ。これは鳴らないよなあ。

しかし、この日のトゥガン・ソヒエフとN響は、そんなことを微塵も感じさせない上質の音響を生み出した。

ショスタコーヴィチのレニングラード。この曲が、これほど明るく豊かに歌われたことがあったろうか。

緻密なアンサンブルと豪快な大音響の合体。そんなふうに言えば、私はかつてのインバル+都響のコンビを思い出す。

冷徹なほど精細な合奏を基礎に、インバルはオケを煽るように駆り立てて、限界に挑むかのようなクライマックスを築き、そこにはなにか魔性とでも呼びたくなるような特別な空気が生まれた。

ソヒエフ+N響のアンサンブルは、インバル+都響を超えていたかもしれない。しかし、ソヒエフの音楽には魔も聖もなく、あくまで地上の人間の喜怒哀楽をモニュメンタルに歌い上げる。

この日、レニングラードという奇天烈な楽曲に、新たな有効な解釈が生まれたようだ。



多分、今年のベストテンに残る演奏だったと思う。