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出ベンゾ記

ベンゾジアゼピン離脱症候群からの生還をめざして苦闘中。日々の思いを綴ります。


さて、続きだ。






前回、金田一京助、春彦旧居の脇の路地を入ったところで終わったが、この近辺は明治文学の濫觴の地であって、それにちなむブログの数も決して少なくはない。ここではそうしたブログにない話題を少々取り上げてみたい。



金田一旧居に鐙坂をはさんで対面するのは、2棟の「団地」。関東財務局の真砂町住宅だ。都内各地に散在する財務局官舎でも、古いものに入るのではないかな。

路地に戻る。奥へ進んでどん詰まりのあたりで、かなり急な石段に出る。

階段上からの見下ろしを撮影し忘れたが、この梯子は初出かも(笑)





あとで調べると、ここは鐙坂と並走する菊坂をつなぐ路地で、石段を下ると樋口一葉旧居跡だ。



入って来たときと同じようなゲートがあるから、両ゲートの間は町内だったのか。






石段の左の引き戸の建物には、一葉ハウスのプレートが掲示されている。



ググってみると、不動産屋のサイトが現れ、物件として下のような写真が。築90年とある(笑)。


こうやって守られてきたのだろう。



いつの写真かわからないが、ほぼ原型は維持されているようだ。



一葉旧居跡の石畳。



これはお馴染み一葉の井戸だが、ごく最近の修復後か。



石段を下って膝がヤバい筆者(笑)











2年前くらいまで、本郷というと東大に銀杏の黄葉を見に行くくらいだったんだけれど、最近になって鰻屋の鮒兼に通いだして、にわかに付近を探索しはじめた。



まず鮒兼で冷酒を飲んであとは成り行き。行先は調べない。



和菓子の喜久月。以前も紹介したが、その時は店の人がいっこうに出てこず、あきらめて帰った(笑)。

幸い今回は先客がいたので外で待つ。3人入るといっぱいいっぱいだ。


商売っ気があるのかないのか、こんなポスターが。



おかあさんの前の木製レジスターに注目(笑)。ちなみに「雁」「おぼろ月」は絶品だった。



いったん大通りに戻って、行きあたりばったりに横道に入る。

現役の民家。

その前を通り過ぎると、似たような建物に出会う。





石塀に古びた銘板が。



旧真砂町。婦系図の先生の住まいがあったところだ。



銘板に見入る筆者(笑)



鐙坂(あぶみざか)を見おろす。影は筆者(笑)





真砂町の銘板から少し離れてこんなものが。ここで金田一京助と啄木の交流があったのか。



正面からあらためて。



これは建物右脇の階段を上ったところのゲート。



路地の奥へ、長屋風に建物が続く。

お話も次回に続く(笑)





交響詩というジャンルはどうも苦手だ。形式の軛のない自由な音楽だが、それだけに恣意に流れやすく、何を聴かされているのか分からなくなる。ラフマニノフのこの曲もそんな感じで、はじめに作曲の背景を頭に仕込んでおかないと、かなり退屈な曲だと思う。老練インバルの指揮は、退屈ということはないけれど、もう一度聴きたいかと問われればNO。















前川國男の東京文化会館は、いつ見ても美しい。

後半、バービイ・ヤールはヘンテコな曲だが、これは名演だった。

バービイ・ヤールは地名で、ウクライナのキーウ近郊。独ソ戦中にナチスがユダヤ人の大量虐殺を行った土地だ。指揮者インバルはエルサレム生まれのユダヤ人だから、昨今の複雑な世界情勢に鑑みても、なかなかにアクチュアルな選曲だ。

ただし、インバルは感情移入などとは無縁の冷徹な芸術家。怒りや悲壮感などとは距離をおいて、純音楽的アプローチだ。

もとより、ショスタコーヴィチの曲も、バービイ・ヤールの惨劇は最初の楽章で扱うのみで、あとはスターリン死後の解放感やら、ソ連の体制への痛烈な風刺やら。インバルと都響はそこを苛烈にかつ整然と、ショスタコのアイロニーとサタイアを激しく描ききった。

久しぶりに、インバル+都響の全盛期のパフォーマンスが聴けた一夜だった。



89歳・インバルの右は独唱のシュカルパ。エストニアの合唱とともに、難曲を見事にこなした。

しかしインバルの音楽は若い。円熟なんてものは蹴飛ばす勢いだった。