チャンドラ・ボウスの眠る蓮光寺を後にして、環七沿いを妙法寺に向かう。
20年ほど前には何ということもない距離だったが、いまはえらく遠い。
やれやれと思った頃に、参道の商店街の入口が見えてきた。
こんなところまで来てサミットに用はない。
目指すは鉄門である。
これがジョサイア・コンドル設計と伝わる門だ。
明治10年、妙法寺が工部省に発注してなったとされる。コンドルの来日も明治10年。そこからコンドルの来日第一作とする資料も多い。
ただ、この門を重文指定した文科省が、コンドルの名を挙げることに消極的とする記述も見た。
全体の構造はヨーロッパ式の構えで、ここはコンドルの設計で良さそうだ。気になるのは装飾部分で、日光東照宮に似た意匠は、工部省の棟梁たちによるものかも知れない。
妙法寺が発注した意図もはかり難いが、徳川家の保護下にあった名刹が、維新政府に対してとったアプローチとして考えれば、面白いのではないか。
廃仏毀釈の雰囲気が色濃い時代である。