堀之内の二外人2 | 出ベンゾ記

出ベンゾ記

ベンゾジアゼピン離脱症候群からの生還をめざして苦闘中。日々の思いを綴ります。

チャンドラ・ボウスの眠る蓮光寺を後にして、環七沿いを妙法寺に向かう。


20年ほど前には何ということもない距離だったが、いまはえらく遠い。


やれやれと思った頃に、参道の商店街の入口が見えてきた。




堂々たるゲートだが、店はほとんどなく、スーパーのサミットが建っているばかりだ。


こんなところまで来てサミットに用はない。


目指すは鉄門である。








祖師堂の前を右手に出ると、目指す門が見えてくる。






これがジョサイア・コンドル設計と伝わる門だ。
 












明治10年、妙法寺が工部省に発注してなったとされる。コンドルの来日も明治10年。そこからコンドルの来日第一作とする資料も多い。

ただ、この門を重文指定した文科省が、コンドルの名を挙げることに消極的とする記述も見た。

全体の構造はヨーロッパ式の構えで、ここはコンドルの設計で良さそうだ。気になるのは装飾部分で、日光東照宮に似た意匠は、工部省の棟梁たちによるものかも知れない。

妙法寺が発注した意図もはかり難いが、徳川家の保護下にあった名刹が、維新政府に対してとったアプローチとして考えれば、面白いのではないか。

廃仏毀釈の雰囲気が色濃い時代である。



休憩所に据えられた湯沸しのようなもの。外神田の万代講の寄進とある。


待合の店名が特記してあった。



帰りの道で。本堂横の僧房の片隅に桐の花が咲いていた。