市政会館航空会館を出て、日比谷シティを越えてゆくと、市政会館が見えてくる。日比谷公園の端に建つ古色蒼然たるビルだが、それもそのはずで、昭和4(1929)年、早大建築学科の創始者・佐藤功一の設計により竣工。施工は清水組。この角度から見ると東大安田講堂に似ている。いい時計だなあ(笑)建設は、関東大震災被災後の東京市長として、復興の陣頭に立っていた後藤新平の強い希望によるもので、安田財閥の多額の寄附が事業を支えた。上は、落成時の写真。なお、都の銘板は外観をネオバロック様式とするが、だいぶ無理のある呼び方ではなかろうか。そんなことよりも、この建築の斬新さは、オフィスビルとコンサートホールを合体したことで、今のオペラシティなどのはるかな先蹤とも言えそうだ。オフィスビル部分が市政会館。コンサートホール部分は、戦前戦後の音楽シーンの中心・日比谷公会堂だ。オフィスには同盟通信・時事通信が本社を構えていた。BELCA賞受賞の銘板。宮廷貴族の垂纓冠(すいえいかん)の図柄が珍しい。なお、日比谷公会堂については別項立てるので、のちほど。