さて、材料技術研究所に度肝を抜かれてボーッと歩いていたら、西早稲田の交差点に着いた。
ここから早稲田通りを反対側に渡って、高田馬場駅まで戻るとする。
西早稲田の交差点にはずいぶん前から寿司屋がある。
看板に明治元年創業と謳ってある。明治元年は1868年。ゆうに150年を超えている。私は入ったことがないが、なんでもカッパ巻発祥の店だとか。ホンマかいな(笑)。
加藤嶺夫の写真集に平成3年の同店が写っている作品が載っている。
昭和も古いが、平成もずいぶん古い。ちょっとショックを受けた(笑)。八幡寿司という表記だったのだね。もとは看板建築だ。
こちらの看板建築は大観堂。古書店にしか見えないが、じつは新刊書店だ。もっとも客が入っているところを一度も見たことがない。誰に聞いても、知ってはいるが、入ったことがない(笑)。
死ぬ前に私が入ってみせよう。
そしてこれが、中国・洋楼風にかなりアレンジした看板建築。こういうものや、逆に装飾系を取り払ってしまったものなども含めると、東京にはまだまだ看板建築の名残がたくさんある。
これがゼイタク煎餅の店。
申し訳ないが、最中も煎餅も食ったことがない。
死ぬ前に食ってみよう(笑)。
えぞ菊は行ったことがあるので安心してもらいたい(笑)。50年近く前の話になるが、店内にハワイ出店のポスターが貼ってあって驚いたのを覚えている。
店主は同世代とみた!
さて、もうすぐ駅だが神田川のほうへ下る道にいったん入る。
とんでもないものがあるのだ。
アミアン大聖堂ではないよ。結婚式場だ。
いまはだいぶ古びが付いて落ち着いて来たが、建った当時のフェイク感と言ったらハンパなく、見るたびにげんなりしていたものだった。
最後に寿司屋(笑)。
ここも入る勇気がない。
幸寿司。ここも古い。たぶん平安時代からやっているんではないか。一時、立ち食い蕎麦の部11時〜、寿司の部17時〜、なんていう変な貼り紙を出して多角経営に乗り出したが、いまは学生に金を貸しているようだ(笑)。
昔、高田馬場の広告代理店に勤めていた友人があった。その友人に聞いた話だ。
なんでも代理店の社長は夜毎、幸寿司に飲みに行き、カッパ巻、納豆巻、かんぴょう巻、たくあん巻の無限ループをやらかしていたそうだ。
私は、死ぬ前に幸寿司には行かないだろう(笑)。
以上、全巻の終わりぃ!