『岡上淑子全作品』 | 出ベンゾ記

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『岡上淑子全作品』(岡上淑子/河出書房新社/2018.1.30初版)



5年ほど前、高知県立美術館で開催された大回顧展「岡上淑子コラージュ展はるかな旅」の公式図録である。幻の作家と呼ばれる美術家の全作品150点が収録されている。


美術家といま書いたが、作品はフォトコラージュがほぼすべて。作者22歳から、結婚によって創作から離れる29歳までの、わずか7年間の作品である。



29歳の年は1957年。60年以上も前のことだ。現在も95歳で高知県に在住という。



若い頃は東京に暮らしており、東洋英和を経て恵泉女学園で洋裁を学び、同校で若松浅香と知り合い交友を結ぶ。若松は後の武満徹夫人である。


ついで1950年、22歳のときに文化学院に入学。ちぎり絵の課題からヒントを得て、フォトコラージュを独自に作りはじめる。素材は進駐軍が読み捨てた「LIFE」「VOGUE」といった雑誌だった。



若松を通じて作品を見せられた武満が、日本のシュルレアリスムの領導者・瀧口修造を紹介、瀧口によって、初めてマックス・エルンストの存在を知ることになる。




エルンストは『百頭女』ほかの作品集によって、表現としてのコラージュの可能性を開拓した、いわば創始者である(下がその作)。



25歳のときタケミヤ画廊で初の個展を開くも、しだいに行き詰まりを感じ、結婚を機に創作から離れた。


再発見はなんと68歳のとき。ある展覧会で岡上作品4点を見た学芸員が自宅を訪問。茶箱にしまわれていた100点ほどの作品を託されたという。



作品はエルンストの影響がやはり色濃い。とはいえエルンストの素材は銅板画であり、岡上のそれは写真であるからはるかにモダンなものだ。そのモダンな素材を使いながら、視線は過去に向いているように見えるのが岡上作品の魅力であって、森茉莉、合田佐和子、萩尾望都、山尾悠子といった女性たちとの親近性を強く感じる。そして、その時代性も。



ゴージャスでクールでノスタルジックでモダン…なんとも素晴らしい世界である。