写真集『東大全共闘1968一1969』 | 出ベンゾ記

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ベンゾジアゼピン離脱症候群からの生還をめざして苦闘中。日々の思いを綴ります。

『フォトドキュメント 東大全共闘1968ー1969』(渡辺眸/角川ソフィア文庫/2018.4.25初版)



原本2007年初版。本書は初公開の写真を加えた文庫オリジナル。


こういう書物について語ろうとするとき、まず必要なのは名乗りであろう。1968年、私は8歳である。東大全共闘の安田講堂攻防の成り行きは、テレビの画面で見たにすぎない。その記憶すらおぼろだ。


「『彼、何やら、全共闘とかいうものの代表になったらしいねん』と美智代さんが淡々と言った。ある日、安田講堂にこもる義隆さんに、彼女が着替えを届けに行くというので、同行した。アパートで見る、学者風な相貌とはまったく異質な、いくぶん痩せた義隆さんが、そこにいた」義隆さんとは、言うまでもない、東大全共闘代表・山本義隆である。


本文庫写真集の写真家・渡辺眸は、山本の妻との交友を介して山本を知り、やがて全共闘運動の内側に入り込んでゆくことになる。


本書に寄せた解説的文章のなかで、山本義隆は次のように書いている。


「写真学校を出て間もない渡辺眸さんが、カメラ一つ抱えて安田講堂のバリケードにやってきたのは、一九六八年の初秋であった。駒場の教養学部はすでに無期限ストライキにはいっていたが、本郷の各学部が学生大会でつぎつぎにストライキを決議していった時期である。(略)彼女は東大全共闘の闘争を長期にわたって内部から撮影した唯一のカメラマンであった」


その山本をとらえた渡辺の写真、ことに山本のその眼が凄い。凄いといったって、闘志むきだしに突き刺すような視線などというものではない。その視線は、どこまでも自らの内面に注がれ、自らの根拠を問い続けるといったふうで、高山の池塘に沈む陽光のように、一種虚無の色合いを帯びてうつろである。




これは、真実の追究のために、おのれを棄てている人の眼でもあろうか。


「本郷キャンパスは数千の学生で埋まっていた。揺れ動く渦のなか、甲革を着けた頑強な機動隊員に腕をつかまれた。私の顔を見るなり『なんだ、女かっ』と、隊員は腕を離した。つぶされそうになっている私を、助手共闘の最首悟さんが肩車してくれた。フォーカスも定まらず、ただ夢中にシャッターを切る」



渡辺の写真は、天性の才能に支えられているごとくで、その最初から、なんとも知れぬ美観を表している。写真の専門家なら、その本質を語りもできようが、私にはそれは無理だ。しかし、渡辺の写真が、運動の高まりとともに内面の高揚をみせ、激しい戦闘の最中にも、ジャズのアドリブのように、見事に風景を切り取ってゆくさまは圧巻である。対象とカメラがひとつになる瞬間を、私たちはここに見るだろう。


また、山本の解説は、当時の大学当局の欺瞞に満ちたふるまいを、いまだ真摯に追究するもので、これは昨今の官僚の精神的腐敗が、決してこと新しいものでないことを、いやというほど見せつけてくれる。



50年、半世紀前の精神が、いまだ純度を保って失われていないことに、「新鮮」な驚きをもって触れることができた。名著である。