テレパシー39日目:化粧品と力こぶと魚の鰭と黒豆♪
テレパシー39日目、毎日続けられるのは平穏無事な証拠だなぁと幸せをかみ締めていたのですが、昨日に続き送信しようとした途端、テレパシーメンバーに一大事が。あかんたれ君の大事なパートナーが倒れたと連絡があり、気分転換にと、薦めてみた所無事送信してくれました。病状はわかりませんが早く回復してほしいです。
ではいつもどおり、一番左がエミリオの送信した元絵、右となりがあかんたれ君、その隣が金木犀君、一番右が仮性イチゴ君の受信した絵となっております。
今日の気分は化粧品です。別件でこういうのを描きたくて資料を探していたので、受信者が混乱しないようにこのまま化粧品をテーマに、描きやすいよう簡略化した化粧品の絵を描きました。メーカーは一応シャネルかな。少し違うかもしれないけど。
ではまずあかんたれ君。よく送ってくれましたね。ありがとう。力瘤はまさしく今の君に必要な力。現実の力瘤ではなく、心のほうのね。早くパートナーが元気になるようお祈りしていますよ。
では金木犀君。あなたも昨日は大変でしたが一山越えてよかったですね。
「海中をきらきら、ひらひら泳ぐなにかのひれが見えました。見えるのはひれだけで、人魚なのか魚類なのかもわかりません。ただ、いきいきと泳ぎ回るさまを楽しく眺めました。また別の世界に行ってしまったのかしら(泣)」
やや別世界ですね。でも送信前の私のイメージはゲランのこの化粧品だったんですね。ですから魚類の鱗みたいですからあながち間違いともいえないのです。それにヒレはブラシの先と形がかぶっています。きらきら、はその通りかもしれません。
では次に仮性イチゴ君。
「今日の電波状況報告っす。
湯上りさっぱりこんとしたところふと携帯をみたらば
隊長からの指令が。
なにゅ!!あかんたれくんの連れ合いがたおれた~~?!
いかーん。元気になるよう平癒祈願じゃあああと
思った瞬間になにかとてつもなく大きい白いもんが
ぼわ~~っとやってきまいた。ぼわ~~~~っと。
うひょ~~~なんだこのとてつもないパワーはぁ~~~~と
よろめきつつ今度は隊長の電波受信をこころみたところ
・・・・・なんだこれ。丹波の黒豆?音符?
とにかく黒光っておりまいた。つやつや。そして笑っていました。」
コメント前半の説明をいたしますとイチゴ君風にいえばあかんたれ君の連れ合いの病気平癒を祈り、パワーを送るように召集をかけたのです。この話はまた別項でいたします。黒光りする黒豆、いい線いってますよ。豆ではありませんが丸いですからね。ま、画力がヘボいのでマメに見えたのかもぐすん。ケースはシャネルですのでまさしく黒光りですよ。いやらしいぐらいツヤンツヤンです。笑っているのは・・・なぜだろう。お菓子を食べていたのがバレたかな(笑)
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ではいつもどおり、一番左がエミリオの送信した元絵、右となりがあかんたれ君、その隣が金木犀君、一番右が仮性イチゴ君の受信した絵となっております。
今日の気分は化粧品です。別件でこういうのを描きたくて資料を探していたので、受信者が混乱しないようにこのまま化粧品をテーマに、描きやすいよう簡略化した化粧品の絵を描きました。メーカーは一応シャネルかな。少し違うかもしれないけど。
ではまずあかんたれ君。よく送ってくれましたね。ありがとう。力瘤はまさしく今の君に必要な力。現実の力瘤ではなく、心のほうのね。早くパートナーが元気になるようお祈りしていますよ。
では金木犀君。あなたも昨日は大変でしたが一山越えてよかったですね。
「海中をきらきら、ひらひら泳ぐなにかのひれが見えました。見えるのはひれだけで、人魚なのか魚類なのかもわかりません。ただ、いきいきと泳ぎ回るさまを楽しく眺めました。また別の世界に行ってしまったのかしら(泣)」
やや別世界ですね。でも送信前の私のイメージはゲランのこの化粧品だったんですね。ですから魚類の鱗みたいですからあながち間違いともいえないのです。それにヒレはブラシの先と形がかぶっています。きらきら、はその通りかもしれません。
では次に仮性イチゴ君。
「今日の電波状況報告っす。
湯上りさっぱりこんとしたところふと携帯をみたらば
隊長からの指令が。
なにゅ!!あかんたれくんの連れ合いがたおれた~~?!
いかーん。元気になるよう平癒祈願じゃあああと
思った瞬間になにかとてつもなく大きい白いもんが
ぼわ~~っとやってきまいた。ぼわ~~~~っと。
うひょ~~~なんだこのとてつもないパワーはぁ~~~~と
よろめきつつ今度は隊長の電波受信をこころみたところ
・・・・・なんだこれ。丹波の黒豆?音符?
とにかく黒光っておりまいた。つやつや。そして笑っていました。」
コメント前半の説明をいたしますとイチゴ君風にいえばあかんたれ君の連れ合いの病気平癒を祈り、パワーを送るように召集をかけたのです。この話はまた別項でいたします。黒光りする黒豆、いい線いってますよ。豆ではありませんが丸いですからね。ま、画力がヘボいのでマメに見えたのかもぐすん。ケースはシャネルですのでまさしく黒光りですよ。いやらしいぐらいツヤンツヤンです。笑っているのは・・・なぜだろう。お菓子を食べていたのがバレたかな(笑)
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お酒は「リセット」の効果がある。
お酒は百薬の長といいますけど、使い方次第では毒にもなるし、使う側の人間の質を問われる飲み物だと思います。大昔はお祭りのようなハレの日に飲む特別な飲みものだったわけですが、今はどんな庶民も好きな時に好きなだけ飲めますよね。現代に生まれてヨカッタ。
さて、お酒には美味しく飲んでちょっと酔っ払ったり、仲良くなったりが一般的で、それも楽しいお酒の効用だけど、他にもいろんな飲み方、使い方があります。正しい、といってももちろんウチュウジン流の話(笑)ですけどね、ウチュウジンに限らずチキュウジンから教えてもらったことも沢山ありますよ、って殆どそうなんですけど。
お酒の特性は「リセット」の効果です。例えばケガをしたら傷口に焼酎をかけると消毒になる。(ちょっと荒っぽいですけど)アルコール除菌スプレーなどはそういう発想ですよね。神社などでもお神酒はお清めの効果があります。
仕事の帰りにちょっと一杯、はリセットの効果なんですね。お仕事のために演じていた「仕事の出来る自分」から、プライベートの「素顔の自分」に戻るためにちょっとした儀式がいる。厳しいお仕事をされている人ほど、「一杯」のお酒がリセットになって心にも体にもいいのだろうと思います。
もしアンティークなど中古の家具を買った場合、前の持ち主の念が残っている場合があります。何も感じないという人のほうが多いでしょうが、私には少々そういうものがあるのがわかります。あまりにオソロシゲな念の憑いているものは鈍い人でもあまり近寄りたくなくなるようで大抵売れ残るのですが、少々なら皆、気に入って手に入れたりします。しかし、モノには大なり小なり「人の記憶」が刷り込まれていたり場合によってはそのモノ自体に魂が入ることもあるのです。知識として知っているだけでも、家具との付き合いが変わってくると思います。大切にされている家具は大切にされた香りがするのです。
できれば前の持ち主の運気はいいか悪いかわからないのでリセットしておきたい。ですからお酒を混ぜて拭けばいいのです。水拭きがむかない場合はセージやお香を焚きしめるのもいいです。
お風呂にもお酒はとてもいいです。飲むより体が温まるしリセット効果は抜群です。お肌も綺麗になりますがお酒の弱い人には向きません。
ヒーラーは飲んだらやらないという人が多いです。受ける側がお酒を飲んでいる場合は効き難いようなのです。もちろんヒーラーが飲んでいる場合も効き難い。
あるヒーラーに聞いたところやはり「リセット」効果があるからだと言っていました。飲んだら能力が落ちるとかそういうことではありません。もちろんめちゃくちゃ酔っ払っていたら判断力が鈍ったりするから、というのもあるでしょうけど、酔うほど飲んでいなくても、アルコールを摂った時点でヒーリングは出来なくなると言っていました。彼は前に飲み会にきて、「みんなにやってあげたいから」とお酒が大好きなのに一滴も飲まずにやってあげてました。もちろんシラフの人にだけでしたけど。
ですから私は何かヘンな念がまとわりついているな、と感じたら一杯やることにしてます。自分がおかしな考えに堂々巡りしてる時にも「リセット」に一杯はとても効きます。反対に「継続して集中したい」時には飲まない。だってリセットかかっちゃマズイですもんね♪
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さて、お酒には美味しく飲んでちょっと酔っ払ったり、仲良くなったりが一般的で、それも楽しいお酒の効用だけど、他にもいろんな飲み方、使い方があります。正しい、といってももちろんウチュウジン流の話(笑)ですけどね、ウチュウジンに限らずチキュウジンから教えてもらったことも沢山ありますよ、って殆どそうなんですけど。
お酒の特性は「リセット」の効果です。例えばケガをしたら傷口に焼酎をかけると消毒になる。(ちょっと荒っぽいですけど)アルコール除菌スプレーなどはそういう発想ですよね。神社などでもお神酒はお清めの効果があります。
仕事の帰りにちょっと一杯、はリセットの効果なんですね。お仕事のために演じていた「仕事の出来る自分」から、プライベートの「素顔の自分」に戻るためにちょっとした儀式がいる。厳しいお仕事をされている人ほど、「一杯」のお酒がリセットになって心にも体にもいいのだろうと思います。
もしアンティークなど中古の家具を買った場合、前の持ち主の念が残っている場合があります。何も感じないという人のほうが多いでしょうが、私には少々そういうものがあるのがわかります。あまりにオソロシゲな念の憑いているものは鈍い人でもあまり近寄りたくなくなるようで大抵売れ残るのですが、少々なら皆、気に入って手に入れたりします。しかし、モノには大なり小なり「人の記憶」が刷り込まれていたり場合によってはそのモノ自体に魂が入ることもあるのです。知識として知っているだけでも、家具との付き合いが変わってくると思います。大切にされている家具は大切にされた香りがするのです。
できれば前の持ち主の運気はいいか悪いかわからないのでリセットしておきたい。ですからお酒を混ぜて拭けばいいのです。水拭きがむかない場合はセージやお香を焚きしめるのもいいです。
お風呂にもお酒はとてもいいです。飲むより体が温まるしリセット効果は抜群です。お肌も綺麗になりますがお酒の弱い人には向きません。
ヒーラーは飲んだらやらないという人が多いです。受ける側がお酒を飲んでいる場合は効き難いようなのです。もちろんヒーラーが飲んでいる場合も効き難い。
あるヒーラーに聞いたところやはり「リセット」効果があるからだと言っていました。飲んだら能力が落ちるとかそういうことではありません。もちろんめちゃくちゃ酔っ払っていたら判断力が鈍ったりするから、というのもあるでしょうけど、酔うほど飲んでいなくても、アルコールを摂った時点でヒーリングは出来なくなると言っていました。彼は前に飲み会にきて、「みんなにやってあげたいから」とお酒が大好きなのに一滴も飲まずにやってあげてました。もちろんシラフの人にだけでしたけど。
ですから私は何かヘンな念がまとわりついているな、と感じたら一杯やることにしてます。自分がおかしな考えに堂々巡りしてる時にも「リセット」に一杯はとても効きます。反対に「継続して集中したい」時には飲まない。だってリセットかかっちゃマズイですもんね♪
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飲み会の不思議
忘年会やクリスマスパーティーの季節、エミリオは飲み会が大のニガテです。好きな人たちと飲むのは嫌いではないしむしろ大好きなのですが、人が大勢いるところで騒ぐ、という行為そのものがとてもニガテなのです。それでも、みんながとても楽しそうだし礼節を尽くす意味でも顔を出すこともあるのですが、エミリオ、チキュウでどうしてもなじめないというか、理解できないことがあります。それは一気。一気飲みの一体、何が楽しいのだっ?!
この間、とあるパーティに参加しました。大半が心優しいチキュウジン達の集まりで楽しそうでいいなぁとほのぼの眺めていたのですが、突然はじまった一気大会。幸いわたしのいるテーブルの隣の出来事だったので見ているだけですんだのですが、ピッチャーを用意して順番にどれだけ飲めるかを競うというもの。もちろん「いっき、いっき、いっき!」の掛け声とともに。音頭をとっているのはええ年したオッサンです。まぁ大抵オッサンがやりたがるのだけど。場を盛り上げるのにどうやら一気が便利なのでしょうか。いやぁ久々に見ました。
学生のコンパじゃあるまいし、楽しいのかどうか聞いてみたい衝動をガマンしました。だって、沢山飲むことの、何が楽しいの?それに沢山飲めた人は何がすごいの?エミリオ、どうしても理解できません。それとも「盛り上がってる」という儀式の一種なのでしょうか?
世の中にはお酒が飲めない人もいるし、嫌いな人もいます。アルコール依存症を克服し禁酒している人もいます。肝臓のアルコール分解酵素が少ないために急性アルコール中毒になるので一滴もダメという人もいるのです。パーティや忘年会にはいろんな人がいるのだから全員がお酒を飲めるわけでも好きなわけでもない。みんなと楽しくやりにきてる人もいるというのに、なぜ飲むことを競い合うゲームをしたり強要するのでしょう。
エミリオの友人で一滴で真っ青になって倒れる人がいたのですが、上司に「飲めない分飯を食え」とごはんの一気食いを強要され、なんとか飲めないことで座をしらけさせず毎回切り抜けるので別の意味で辛い・・・」とこぼしていましたがやがてやめました。有名酒造会社だったので、これがまた強い人ばっかりだったんですね。飲めないのはシラケル・・・未だにそんなことがあるのかとビックリしました。
昔みたいにあからさまな強要をするバカ上司は流石に減ってるのでしょうが、それでも「飲める人が主体」のバカ騒ぎなことにはあまりかわりがないように思います。そういう遊びはそれが楽しいと思う人だけで「お酒大好き同好会」でされればよろしいのではないかと思うのです。
ちなみにエミリオは駆けつけ一気をしても空腹でなければ大丈夫ですし、家や気の置けない仲間の家でだとすぐ酔っ払うのですが、こういう場で飲む場合のみあまり酔いません。呂律が回らないほど飲むのはカッコワルイのでどういうわけかいくら薦められても意思の力で酔わなくなるのです。便利ですがトイレが猛烈にチカくなるのが欠点。(笑)だから弱いというほどではないし、飲むのが苦痛というわけでもないのですが、こういう飲み方を美味しいと思わないのです。エミリオは自分のペースで飲みたいからその邪魔をされたくないのだっ
人それぞれのペースで楽しんではいかんのかっ?!
それに弱い人が輪を重んじて無理して楽しいフリをして飲んでいるのを見たりすると、周囲ももう薦めるのをやめようよと思います、なぜ気づかないのか。そうまでして他人に飲ますような思いやりのない飲み方が楽しいのだろうかと。口でこそ言わないまでも固辞する人に対して、内心「しらけるなー、場の空気を読めよ~一杯ぐらい呑めばいいだろうが」と思っているのが、エミリオ聴こえてしまうことがある。そういう時やりきれない怒りがフツと沸きます。
大抵パーティや忘年会は安くて不味いものを食べながら質の悪いお酒を延々と飲み続けるわけですが、ほどほどに会話が楽しめるのならばそれも良いでしょう。が、しかし大抵やかましいのだ。喧騒といっていいぐらいよくわからない周波数の音が多方面から責めてくるし、場所によってはノイジィな音楽がガンガンかかっています。低音が響くので心臓を直撃するのでドキドキするから自分はドキドキするぐらい盛り上がったり興奮しているとそのせいで勘違いして、盛り上がった気になったりしますが、エミリオはもう少し波動の種類を精妙に違いがわかりますので、盛り上がれません(泣)むしろその粗い波動にやられたりします。
なぜ、みんな楽しいのだ?
なぜ、次の日胃薬のお世話になるほど
飲まなければいけないのだ?
日本ではそれなりに飲める人のほうが多いけど、では全く飲めないマイノリティにはあまり楽しくないのが飲み会ではないでしょうか。実際に、忘年会シーズンになると胃腸薬のCMが倍増することからも、みんなかなり無理してるのではないかな。調子が悪いと途中しんどくなるから予防法をいろいろ取ったり。凄い人だと途中で一度吐いてまた飲むのだそうです。本当は飲める人が多数派なのではなくて、飲めるフリをするタイプが多数派ではないかなと思うのです。
飲めなければしらけるから
しらけたら楽しくないから
盛り上げるためそこそこを振舞う。
オンナノコはちょっと飲めないフリというキャラもありだし
イケルというのをウリにする人もいるけど、オトコノコは
ノメルのが未だにえらいみたいなのだ。
ノメルのがえらい、ということは、
本当に強い人はそんなにいないということです。
忘年会シーズン、飲む前のケアや飲んだ後の二日酔い防止の策を考えるより先に、自分に程よいペースで飲めるような楽しみ方が堂々と出来る大人の付き合いを選ぶようにすればいいと思うのです。みんながそう振舞えば、おのずと会社も忘年会のスタイルは変わるかもしれない。
とずーっと思ってるのだけどあまり代わり映えしないところを見るとみんなはちょっと無理してでも楽しいのでしょうね。そして少数派は辛さを耐えて人の輪を取るという事なのでしょうか、どうなんでしょうか。
エミリオの周囲のウチュウジンはどうかって?
私の知る限り、どの人も殆ど参加しないので、特にサラリーマンはとても付き合いの悪い人と思われている事が多いです。仕事に支障が出ると笑っていました。ははは、飲み会に行かないと本来、プライベートの付き合いなど自由なはずなのに、付き合いが悪いと仕事に響くんだ!エミリオ、これまたチキュウの謎ですよ。
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この間、とあるパーティに参加しました。大半が心優しいチキュウジン達の集まりで楽しそうでいいなぁとほのぼの眺めていたのですが、突然はじまった一気大会。幸いわたしのいるテーブルの隣の出来事だったので見ているだけですんだのですが、ピッチャーを用意して順番にどれだけ飲めるかを競うというもの。もちろん「いっき、いっき、いっき!」の掛け声とともに。音頭をとっているのはええ年したオッサンです。まぁ大抵オッサンがやりたがるのだけど。場を盛り上げるのにどうやら一気が便利なのでしょうか。いやぁ久々に見ました。
学生のコンパじゃあるまいし、楽しいのかどうか聞いてみたい衝動をガマンしました。だって、沢山飲むことの、何が楽しいの?それに沢山飲めた人は何がすごいの?エミリオ、どうしても理解できません。それとも「盛り上がってる」という儀式の一種なのでしょうか?
世の中にはお酒が飲めない人もいるし、嫌いな人もいます。アルコール依存症を克服し禁酒している人もいます。肝臓のアルコール分解酵素が少ないために急性アルコール中毒になるので一滴もダメという人もいるのです。パーティや忘年会にはいろんな人がいるのだから全員がお酒を飲めるわけでも好きなわけでもない。みんなと楽しくやりにきてる人もいるというのに、なぜ飲むことを競い合うゲームをしたり強要するのでしょう。
エミリオの友人で一滴で真っ青になって倒れる人がいたのですが、上司に「飲めない分飯を食え」とごはんの一気食いを強要され、なんとか飲めないことで座をしらけさせず毎回切り抜けるので別の意味で辛い・・・」とこぼしていましたがやがてやめました。有名酒造会社だったので、これがまた強い人ばっかりだったんですね。飲めないのはシラケル・・・未だにそんなことがあるのかとビックリしました。
昔みたいにあからさまな強要をするバカ上司は流石に減ってるのでしょうが、それでも「飲める人が主体」のバカ騒ぎなことにはあまりかわりがないように思います。そういう遊びはそれが楽しいと思う人だけで「お酒大好き同好会」でされればよろしいのではないかと思うのです。
ちなみにエミリオは駆けつけ一気をしても空腹でなければ大丈夫ですし、家や気の置けない仲間の家でだとすぐ酔っ払うのですが、こういう場で飲む場合のみあまり酔いません。呂律が回らないほど飲むのはカッコワルイのでどういうわけかいくら薦められても意思の力で酔わなくなるのです。便利ですがトイレが猛烈にチカくなるのが欠点。(笑)だから弱いというほどではないし、飲むのが苦痛というわけでもないのですが、こういう飲み方を美味しいと思わないのです。エミリオは自分のペースで飲みたいからその邪魔をされたくないのだっ
人それぞれのペースで楽しんではいかんのかっ?!
それに弱い人が輪を重んじて無理して楽しいフリをして飲んでいるのを見たりすると、周囲ももう薦めるのをやめようよと思います、なぜ気づかないのか。そうまでして他人に飲ますような思いやりのない飲み方が楽しいのだろうかと。口でこそ言わないまでも固辞する人に対して、内心「しらけるなー、場の空気を読めよ~一杯ぐらい呑めばいいだろうが」と思っているのが、エミリオ聴こえてしまうことがある。そういう時やりきれない怒りがフツと沸きます。
大抵パーティや忘年会は安くて不味いものを食べながら質の悪いお酒を延々と飲み続けるわけですが、ほどほどに会話が楽しめるのならばそれも良いでしょう。が、しかし大抵やかましいのだ。喧騒といっていいぐらいよくわからない周波数の音が多方面から責めてくるし、場所によってはノイジィな音楽がガンガンかかっています。低音が響くので心臓を直撃するのでドキドキするから自分はドキドキするぐらい盛り上がったり興奮しているとそのせいで勘違いして、盛り上がった気になったりしますが、エミリオはもう少し波動の種類を精妙に違いがわかりますので、盛り上がれません(泣)むしろその粗い波動にやられたりします。
なぜ、みんな楽しいのだ?
なぜ、次の日胃薬のお世話になるほど
飲まなければいけないのだ?
日本ではそれなりに飲める人のほうが多いけど、では全く飲めないマイノリティにはあまり楽しくないのが飲み会ではないでしょうか。実際に、忘年会シーズンになると胃腸薬のCMが倍増することからも、みんなかなり無理してるのではないかな。調子が悪いと途中しんどくなるから予防法をいろいろ取ったり。凄い人だと途中で一度吐いてまた飲むのだそうです。本当は飲める人が多数派なのではなくて、飲めるフリをするタイプが多数派ではないかなと思うのです。
飲めなければしらけるから
しらけたら楽しくないから
盛り上げるためそこそこを振舞う。
オンナノコはちょっと飲めないフリというキャラもありだし
イケルというのをウリにする人もいるけど、オトコノコは
ノメルのが未だにえらいみたいなのだ。
ノメルのがえらい、ということは、
本当に強い人はそんなにいないということです。
忘年会シーズン、飲む前のケアや飲んだ後の二日酔い防止の策を考えるより先に、自分に程よいペースで飲めるような楽しみ方が堂々と出来る大人の付き合いを選ぶようにすればいいと思うのです。みんながそう振舞えば、おのずと会社も忘年会のスタイルは変わるかもしれない。
とずーっと思ってるのだけどあまり代わり映えしないところを見るとみんなはちょっと無理してでも楽しいのでしょうね。そして少数派は辛さを耐えて人の輪を取るという事なのでしょうか、どうなんでしょうか。
エミリオの周囲のウチュウジンはどうかって?
私の知る限り、どの人も殆ど参加しないので、特にサラリーマンはとても付き合いの悪い人と思われている事が多いです。仕事に支障が出ると笑っていました。ははは、飲み会に行かないと本来、プライベートの付き合いなど自由なはずなのに、付き合いが悪いと仕事に響くんだ!エミリオ、これまたチキュウの謎ですよ。
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テレパシー38日目:チョコレートとトゥシューズと星のピラミッドとダイヤ柄のピエロ
テレパシー受信、38日目。いろいろと今日はアクシデントがあり受信が無理かと思われましたがこうやって全員揃いました。考えてみれば毎日毎日同じ時間にこうやって集えるというのはいかに我々が平穏無事に過ごしているかという記録でもあることに気がつきました。うーんテレパシー実験は奥が深いかもしれません。ではではいつもどおり一番左がわたくしエミリオの元絵、右となりがあかんたれ君、その隣が金木犀君、一番右が仮性イチゴ君の受信した絵となっております。
今日、エミリオは大きなチョコレートの箱をもらいました。小さな一口サイズのチョコが正方形に仕切った箱の中にぎっしりと詰まっていて、ひとつひとつ味が違います。アーモンドが乗ったのや、イチゴクリームが詰まったのや、チェリーや、苦いのや。いやぁ蓋を開けただけで綺麗なのといい香りでとてもとても幸せになりました。コーヒーを淹れて幾つかいただきながら描きました。
というわけで、まずはあかんたれ君。
「今日は昨日の丁寧に包装された
プレゼントを開けたのか、
大変美しいトゥシューズが見えました。
デュシャンの花嫁のようです。」
トゥシューズ綺麗ですね。気分はなんとなく出てますよね。トゥシューズ、慣れるまでとても足が痛いそうです。美は一日にしてならず、ですね。
では金木犀君。
「遅くなってすみません。
まだ間に合うかしらん。
てっぺんに星のある四角錐が浮かびました。」
あぁよかった、今日は金木犀君、受信時間に急用がはいり今日はお休みと連絡があったのに、よくぞがんばってくれました、ありがとう。そして一部当たっています。少しわかりにくいのですがチョコレートの左前方と後方のはピラミッドの頭をちょんぎった形のチョコです。いろんな形を乗っけてみたのです。
そしてお皿は四角い形。○と◇を組み合わせてみたのです。星も気分が出てますね。星ではないのですが、どのチョコも頭に何か絵があったりアーモンドが乗っかってたり、してるのです。
では仮性イチゴ君。
「本日車中での電波タイムとあいなりました。
イチゴ。ちょっと。思うことがあり(隊長はご存知ですが)
むふふとどきどきがいりまじった状態だったので
どうだろー?といったところです。でへ。
まずダイヤ柄が浮かびました。
続いて道化師ピエロの姿がぽわわ~~んと。
輝けるエンターテイナーってことでしょうかね。
たっはっは。」
おぉまたも車中受信、お疲れ様です。ダイヤ柄はまさにチョコレートのお皿です。それにチョコの入ってた箱もそのような形に仕切られていました。ピエロはいませんが、チョコレートのメーカーは女の子のシルエットのデザインです。輝けるエンターティナーは多分、今日のイチゴ君の働きでしょう。
今日は結構モティーフがうまく届いたようですね。全体に絵から伝わる空気感が似ているように思えます。どうせ気分が伝わるのだからやはり楽しいものを描く方がいいですよね。
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ウチュウジンの見たデュシャン展
テレパシー実験でおなじみ、あかんたれ君のデュシャン展の感想をご紹介します。彼は絵の知識はあまりない人ですが、ウチュウジンヴィジョンで生活しています。いわゆるインディゴチルドレンです。殆ど開きっぱなしなのでチキュウのルールがいまだによくわからないまま厳しく育ててもらったおかげで悪い方にもいかずグレず、良い子に育ちつつあるウチュウジンです。彼の性格はネズミやイヌに近いのでとても愛らしいです。ではではご紹介。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
デュシャン展。私も感想を。平日に行った。
展覧会には 入り口で財布残高300円。
銀行でおろすのを忘れてた。
美術館へ行く途中、道を尋ねてきた婦人が、
ここまで連れてきてくれたお礼にと、
入場券をおごってくれた。
ラッキーで入れた。
花嫁が1番好きです。
絵が。絵には人は集まらなかったんだけど、
絵をずっと見てた。人がほんまいない(笑)
絵は生が見たいし、ずーっと見てしまってた。
花嫁が1番伝わったというか、なんというか。好き。
デュシャンは花嫁好きだったのかな、祝わないといけないのに、
嫉妬しちゃたのかな。でもとっても綺麗だったのかな。
私には幾重にも重なった時間が勝手に見えて好きだった。
辞書のような分厚さのアルバムのページがどんどんめくれていく。
表紙を開ければ全ページ透けて見えるような。
個人的になんかとても、目線がエロいわぃ(笑)と思ったわけで。
花嫁がなまめかしく、やりたかったんやろな、とか思った(ごめんやで)
花嫁衣装着てても俺脱がしてんやぞという感じでなぁ。
その花嫁への気持ちは決して美しいものではないと、勝手に思った。
それととても占有欲を感じた。張り付く視線な。
私に絵のうまいヘタは解らないのだけど。
なんか映ってくる世界が好きでなぁ。優しく流れてくるものもあった。
普通の人には、どうしても花嫁に見えない絵なんだけど(笑)
ずーっと花嫁見てました。
なんて、勝手に感じてました。正解かどうかしらんし、知識だってない。
また別の時に見たら、印象が変わるんだろう。
なので階段シリーズと、花嫁のレプリカは同じく激怒。
蛍光灯やんけー゚・(ノД`)゚。・゚
大事に持っていたものが遺作後、全て粉砕されたから。
好きだった森村とやなぎみわさえが嫌に見えてしまった。
横尾微妙(笑)
リスペクトも間違うとこうなるのか。
誰かの真似は絶対嫌だと激しく思った。過去の私では考えられないもんだろう。
レディメイドは別にいらないというか、見るものでは
ないだろうと、勝手に思ってた。写真でいい。さっとみた。
心に残らなかった。発想が面白いだけで、
作品として見るものか?とは思う。
私の時もあそこが1番人気で人だかりでした。
みんなあれが好きなのかな。
私の好きな贈り物がなくて残念。
大ガラスはびっくりした。初めて見たから、嬉しかった。
レプリカでも嬉しかった。
トランクケースも好きで欲しかった。可愛い。こういうの昔雑誌の付録で持ってて。大事にしてた。
みんな作れるように、とあるところもいい。
グリーンのノートだったか。
あれはじろじろ見てしまった。デュシャンはすいません、何故か平面が好き。
遺作は遺作とわかんなかった。
遺作とわからず普通に見て通り過ぎ、後続者の作品群の後
出口が見えて、
「あれ?遺作ってなんですかね?」と逆戻り。
のぞき込んだアレだったのか、ごめん、全然女に見えず、
ブタが寝てるんかと思った。
もう一度戻って見た。ブタと思ったら人でした(爆)
…。あ、花嫁への気持ちだ。花嫁じゃないけど。
と勝手に思った。
私は観賞する力が無いのかもしれない。
すっごく「お笑い展覧会」に見えたから。
芸術というより、アイロニーたっぷり。意地悪なやっちゃなって印象で。
立体風刺画に見えて、おかしかった。本当におもしろかった。
遊ぶって楽しいんだね。
やっぱり芸術はわかってないです。
失格です。
マルセル・マルソー
マルセル・カルネ
マルセル・デュシャン 皆私の好きな人おなじ名だ(笑)
下手くそながら、マルソーみたいにマイムをやってみて、
ある日突然あの時はなんだったかを解りだし、
そしてある日突然、鮮烈に思い出して
本当に心に染み渡る日が来るかもしれません
一つ解ったことは皆が好きなデュシャンと
私の好きなデュシャンが違うことです
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
あかんたれ君はヘタな評論家よりも見えてますねやっぱり。
デュシャンをリアルタイムで鑑賞できない我々の世代としては、目の前に提供されたものの順番にしか鑑賞しようがなく、元を知らないまま、ちまたに溢れている現在のアーティストを先に知ることになります。たとえ焼き直しであっても、その大元の思念は偉大なので、焼き直しの作品を通してでも滲み出ているものに心引かれる。しかし元ネタのデュシャンを見てしまうと、それまで自分が好きだと思っていた何某かが実はそれを好きなのではなくそれを通して見えていた光のほうを好きだったことに気づく時、色あせてしまうのです。あかんたれ君を魅了していた元の光はデュシャンだったのでしょうね。
花嫁はエミリオ、高校生ぐらいの時に一番好きな絵のひとつでした。他のキュビズム作家の作品よりうんと色っぽくて好きです。美しくなければ芸術ではないとエミリオは思いますので便器もトランクも角砂糖も花嫁も美しい。コンセプチュアルアートの多くはコンセプトはまぁスバラシぁったとしても美しくない。キタナイものはダメです。キタナイというのはこの場合無粋なもののことです。デュシャンはお洒落で粋なのです。このバランスは勉強ばっかりやってるアホにはわかりません。あかんたれ君のような芸術のミカタなど勉強したことがない人に突っ込まれるようなゲイジュツは屁ですよね。解説がないと何かわからんようなもん、ゲイジュツではないのです。ですからレディメイドはやっぱり芸術運動ではあってもゲイジュツじゃないのですよね。
あかんたれ君、「マルセル繋がり」にやっと気づきましたか(笑)
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♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
デュシャン展。私も感想を。平日に行った。
展覧会には 入り口で財布残高300円。
銀行でおろすのを忘れてた。
美術館へ行く途中、道を尋ねてきた婦人が、
ここまで連れてきてくれたお礼にと、
入場券をおごってくれた。
ラッキーで入れた。
花嫁が1番好きです。
絵が。絵には人は集まらなかったんだけど、
絵をずっと見てた。人がほんまいない(笑)
絵は生が見たいし、ずーっと見てしまってた。
花嫁が1番伝わったというか、なんというか。好き。
デュシャンは花嫁好きだったのかな、祝わないといけないのに、
嫉妬しちゃたのかな。でもとっても綺麗だったのかな。
私には幾重にも重なった時間が勝手に見えて好きだった。
辞書のような分厚さのアルバムのページがどんどんめくれていく。
表紙を開ければ全ページ透けて見えるような。
個人的になんかとても、目線がエロいわぃ(笑)と思ったわけで。
花嫁がなまめかしく、やりたかったんやろな、とか思った(ごめんやで)
花嫁衣装着てても俺脱がしてんやぞという感じでなぁ。
その花嫁への気持ちは決して美しいものではないと、勝手に思った。
それととても占有欲を感じた。張り付く視線な。
私に絵のうまいヘタは解らないのだけど。
なんか映ってくる世界が好きでなぁ。優しく流れてくるものもあった。
普通の人には、どうしても花嫁に見えない絵なんだけど(笑)
ずーっと花嫁見てました。
なんて、勝手に感じてました。正解かどうかしらんし、知識だってない。
また別の時に見たら、印象が変わるんだろう。
なので階段シリーズと、花嫁のレプリカは同じく激怒。
蛍光灯やんけー゚・(ノД`)゚。・゚
大事に持っていたものが遺作後、全て粉砕されたから。
好きだった森村とやなぎみわさえが嫌に見えてしまった。
横尾微妙(笑)
リスペクトも間違うとこうなるのか。
誰かの真似は絶対嫌だと激しく思った。過去の私では考えられないもんだろう。
レディメイドは別にいらないというか、見るものでは
ないだろうと、勝手に思ってた。写真でいい。さっとみた。
心に残らなかった。発想が面白いだけで、
作品として見るものか?とは思う。
私の時もあそこが1番人気で人だかりでした。
みんなあれが好きなのかな。
私の好きな贈り物がなくて残念。
大ガラスはびっくりした。初めて見たから、嬉しかった。
レプリカでも嬉しかった。
トランクケースも好きで欲しかった。可愛い。こういうの昔雑誌の付録で持ってて。大事にしてた。
みんな作れるように、とあるところもいい。
グリーンのノートだったか。
あれはじろじろ見てしまった。デュシャンはすいません、何故か平面が好き。
遺作は遺作とわかんなかった。
遺作とわからず普通に見て通り過ぎ、後続者の作品群の後
出口が見えて、
「あれ?遺作ってなんですかね?」と逆戻り。
のぞき込んだアレだったのか、ごめん、全然女に見えず、
ブタが寝てるんかと思った。
もう一度戻って見た。ブタと思ったら人でした(爆)
…。あ、花嫁への気持ちだ。花嫁じゃないけど。
と勝手に思った。
私は観賞する力が無いのかもしれない。
すっごく「お笑い展覧会」に見えたから。
芸術というより、アイロニーたっぷり。意地悪なやっちゃなって印象で。
立体風刺画に見えて、おかしかった。本当におもしろかった。
遊ぶって楽しいんだね。
やっぱり芸術はわかってないです。
失格です。
マルセル・マルソー
マルセル・カルネ
マルセル・デュシャン 皆私の好きな人おなじ名だ(笑)
下手くそながら、マルソーみたいにマイムをやってみて、
ある日突然あの時はなんだったかを解りだし、
そしてある日突然、鮮烈に思い出して
本当に心に染み渡る日が来るかもしれません
一つ解ったことは皆が好きなデュシャンと
私の好きなデュシャンが違うことです
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
あかんたれ君はヘタな評論家よりも見えてますねやっぱり。
デュシャンをリアルタイムで鑑賞できない我々の世代としては、目の前に提供されたものの順番にしか鑑賞しようがなく、元を知らないまま、ちまたに溢れている現在のアーティストを先に知ることになります。たとえ焼き直しであっても、その大元の思念は偉大なので、焼き直しの作品を通してでも滲み出ているものに心引かれる。しかし元ネタのデュシャンを見てしまうと、それまで自分が好きだと思っていた何某かが実はそれを好きなのではなくそれを通して見えていた光のほうを好きだったことに気づく時、色あせてしまうのです。あかんたれ君を魅了していた元の光はデュシャンだったのでしょうね。
花嫁はエミリオ、高校生ぐらいの時に一番好きな絵のひとつでした。他のキュビズム作家の作品よりうんと色っぽくて好きです。美しくなければ芸術ではないとエミリオは思いますので便器もトランクも角砂糖も花嫁も美しい。コンセプチュアルアートの多くはコンセプトはまぁスバラシぁったとしても美しくない。キタナイものはダメです。キタナイというのはこの場合無粋なもののことです。デュシャンはお洒落で粋なのです。このバランスは勉強ばっかりやってるアホにはわかりません。あかんたれ君のような芸術のミカタなど勉強したことがない人に突っ込まれるようなゲイジュツは屁ですよね。解説がないと何かわからんようなもん、ゲイジュツではないのです。ですからレディメイドはやっぱり芸術運動ではあってもゲイジュツじゃないのですよね。
あかんたれ君、「マルセル繋がり」にやっと気づきましたか(笑)
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デュシャンのレプリカをレプリカする人々
デュシャンの偉大さは作品ではなくその思想にあると思います。ですから作品そのものになんの魂もないのは当然で「抜け殻」でなくては彼の主張したいこと、狙いどおりにならないのですね。
芸術などといっても創作などたかだかモノの寄せ集めで、たとえば絵の具ですら画家は自分で作れず、所詮ヒトの作ったものを寄せ集めてでしかモノヅクリなど出来ない、揶揄がレディメイドだと私は思っています。今の時代から見れば「ありきたりの表現」に見える作品も「最初にやった人」だからこそ値打ちがあって、はじめて「無価値なものの寄せ集め」という概念が生まれたのはデュシャンのおかげ。無価値なものに、サインをすることで、価値を持たせるのがアーティスト或いは人間であるとも言えるし、胴捉えた所で変わらない事実はデュシャンより前にオブジェなし、なのです。オブジェはレディメイドの子供でありながら、寄せ集めを発展させて「意味」を作ろうとした人々が出てきたもの。ですからそのつもりでデュシャンの便器を見たって作品から解釈など出来はしないのです。便器を解釈しようと一生懸命になる人とアートを見て何かブツブツ言い出す芸術評論家は同じと言ってるのかもしれませんしね。
なんにせよ、オブジェはその後、「技術がなくても芸術家になれる」可能性を作った。ま、カンタンにいえばアートは大衆化したのです。誰でも才能なんかなくても努力しなくても不器用でも、大丈夫になった」ついでにいうと「自分のオリジナルなどなくてもよくなった」
いや、最後のこれは過去からずーっと継承されている「その他大勢の芸術家」たちの専売特許ですからあながち新しいものとはいえない(笑)
デュシャンが笑いたかったのはまさしくこの他人のふんどしで飯を食う「その他大勢の芸術家気取り」ですから。
デュシャンのレディメイドもレプリカ、大ガラスもレプリカ、遺作もレプリカで、絵でいえばちょうど贋作ばかりの展覧会なのだけど、既製品を元にこしらえた作品だけに、遺作までレプリカはデュシャンらしくていいのかもしれませんね。
これといった垣根もなく突然他のアーティスト達のコーナーがあって、一応デュシャンの影響を受けたアーティスト達なのですが、「魂」はこちらにももちろんひとつも入っていません。そういう宿命ですからね。
しかしレディメイドを一歩進めてそこに何某かの価値や意味、精神性を持たし「表現に使おう」と思う人たちが生まれたのは素敵な誤算。リキテンシュタインやウォーホールは「描かない画家」の時代を引き継いだともいえます。
ただ、大半の作家は「何もわかってはいないのだなぁ」と笑う気にもなれず、それをまた「現代アート」として展示しているあたりに、現代アートの堕落というか、いや常にアートはそういう宿命にあるのだろうかといった皮肉を表現していたのだとしたら、大阪美術館でこの企画をした人はちょっと素敵だなと思います。本当にうんざりしたから。
一体彼らはなにがしたくてデュシャンのオマージュをするのでしょう?
アコガレからなら、ファン心理は美大生の間に済まそうよ(笑)
そして売名なら逆にしたたかだと思います。
そしてとてもとても恥知らずだ。
前者はまだ微笑ましいが、後者は恥だ。
賢いが恥だ、とエミリオは思います。
エミリオなら恥ずかしくて一生外を歩けないよ。
ヘタクソでいいから自分の絵を描こうよ。
描くのってもっと楽しいことじゃないですか?
なぜ、芸術の原点を忘れてしまうのだ。
芸術は熱いたぎるような内側の思いを現実化する、
その一連の流れを楽しむことが最初にあるわけで
どのように評価されるか、自分はワカッテルとワカラレタイから
表現をするわけではないだろうに。
ワカッテルとワカラレタイ人ほどワカッテナイ人同士で
ワカッタフリをしていて泣けてきます。
それが現代アートの流れならば、デュシャンに罪はないが
デュシャンの罪は大きい(笑)
結局、デュシャンが便器に偽名でサインアップして
一石を投じた心意気なんて、何十年たってもさほど変わってない。
大きく変わったのは誰でもゲイジュツカになったことだけ。
エミリオ、それは素敵だと思ってます。
そしてデュシャンの便器がワカラナイ人ほど、
デュシャンの褌でいまだに飯を食うのだね。
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芸術などといっても創作などたかだかモノの寄せ集めで、たとえば絵の具ですら画家は自分で作れず、所詮ヒトの作ったものを寄せ集めてでしかモノヅクリなど出来ない、揶揄がレディメイドだと私は思っています。今の時代から見れば「ありきたりの表現」に見える作品も「最初にやった人」だからこそ値打ちがあって、はじめて「無価値なものの寄せ集め」という概念が生まれたのはデュシャンのおかげ。無価値なものに、サインをすることで、価値を持たせるのがアーティスト或いは人間であるとも言えるし、胴捉えた所で変わらない事実はデュシャンより前にオブジェなし、なのです。オブジェはレディメイドの子供でありながら、寄せ集めを発展させて「意味」を作ろうとした人々が出てきたもの。ですからそのつもりでデュシャンの便器を見たって作品から解釈など出来はしないのです。便器を解釈しようと一生懸命になる人とアートを見て何かブツブツ言い出す芸術評論家は同じと言ってるのかもしれませんしね。
なんにせよ、オブジェはその後、「技術がなくても芸術家になれる」可能性を作った。ま、カンタンにいえばアートは大衆化したのです。誰でも才能なんかなくても努力しなくても不器用でも、大丈夫になった」ついでにいうと「自分のオリジナルなどなくてもよくなった」
いや、最後のこれは過去からずーっと継承されている「その他大勢の芸術家」たちの専売特許ですからあながち新しいものとはいえない(笑)
デュシャンが笑いたかったのはまさしくこの他人のふんどしで飯を食う「その他大勢の芸術家気取り」ですから。
デュシャンのレディメイドもレプリカ、大ガラスもレプリカ、遺作もレプリカで、絵でいえばちょうど贋作ばかりの展覧会なのだけど、既製品を元にこしらえた作品だけに、遺作までレプリカはデュシャンらしくていいのかもしれませんね。
これといった垣根もなく突然他のアーティスト達のコーナーがあって、一応デュシャンの影響を受けたアーティスト達なのですが、「魂」はこちらにももちろんひとつも入っていません。そういう宿命ですからね。
しかしレディメイドを一歩進めてそこに何某かの価値や意味、精神性を持たし「表現に使おう」と思う人たちが生まれたのは素敵な誤算。リキテンシュタインやウォーホールは「描かない画家」の時代を引き継いだともいえます。
ただ、大半の作家は「何もわかってはいないのだなぁ」と笑う気にもなれず、それをまた「現代アート」として展示しているあたりに、現代アートの堕落というか、いや常にアートはそういう宿命にあるのだろうかといった皮肉を表現していたのだとしたら、大阪美術館でこの企画をした人はちょっと素敵だなと思います。本当にうんざりしたから。
一体彼らはなにがしたくてデュシャンのオマージュをするのでしょう?
アコガレからなら、ファン心理は美大生の間に済まそうよ(笑)
そして売名なら逆にしたたかだと思います。
そしてとてもとても恥知らずだ。
前者はまだ微笑ましいが、後者は恥だ。
賢いが恥だ、とエミリオは思います。
エミリオなら恥ずかしくて一生外を歩けないよ。
ヘタクソでいいから自分の絵を描こうよ。
描くのってもっと楽しいことじゃないですか?
なぜ、芸術の原点を忘れてしまうのだ。
芸術は熱いたぎるような内側の思いを現実化する、
その一連の流れを楽しむことが最初にあるわけで
どのように評価されるか、自分はワカッテルとワカラレタイから
表現をするわけではないだろうに。
ワカッテルとワカラレタイ人ほどワカッテナイ人同士で
ワカッタフリをしていて泣けてきます。
それが現代アートの流れならば、デュシャンに罪はないが
デュシャンの罪は大きい(笑)
結局、デュシャンが便器に偽名でサインアップして
一石を投じた心意気なんて、何十年たってもさほど変わってない。
大きく変わったのは誰でもゲイジュツカになったことだけ。
エミリオ、それは素敵だと思ってます。
そしてデュシャンの便器がワカラナイ人ほど、
デュシャンの褌でいまだに飯を食うのだね。
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デュシャン展:遺作のハプニング
デュシャン展で何が悲しかったかというと大ガラスがレプリカで遺作もレプリカ。どちらもやはり運搬が困難だったのかなぁ。大ガラスの複製、はっきりいってどうだってよかったです。作った人ご苦労さま、以上。
遺作のレプリカはかなり笑えました。まず列を作っている自分がおかしかった。そして順番に行儀よく待って、一人づつのぞき穴をのぞきます。私はそれが「女子用トイレ」の行列とよく似ているなぁと思いましたが友人は「わし、キャッシュカードの列に見える」と仰ってました。
遺作の作品解説は他に譲りますがカンタンに説明すると、ドアのような平面のオブジェがあり覗き穴がこしらえてある。覗いた奥には原っぱで全裸の女性の死体が転がっていて顔が見えそうで見えない。まぁこれを「花嫁」のどーたらこーたらだと解釈うすr評論がありますがそんなものは読まなくていいです。今回、覗き穴だけ製作し、ドアのようなオブジェは映像で、奥の裸体もチョッピリ立体に見える映像でそのちょっとした気配りがかえってビンボー臭さをかもし出す、というレプリカでした。
遺作はのぞき穴を発見するのもプロセスのひとつだったはずですが、アナをこしらえた白い壁に相当薄らぼんやりとした映像を写しているだけなので、何かよくわからず、しかもあんなに並んでいては発見するというよりまっすぐ目指すしかない(笑)
私の前のヒトのとき、金髪の白人女性が覗き穴を覗いているのをちょうど映写機が写していました。この映像、開館中に撮ったんだ・・・。そして私の前の男の人が覗いてる姿と女性の覗き込む姿の映像がピッタリ重なってました。大きさの再現はかなり正確なのでしょう、男性と女性はちょうど同じ身長だったので、男性が女性に覆いかぶさるように見えました。
次の瞬間、映像の女性が振り向いたので激しいデュープキスの状態にっ!!そして何事もなく女性は男性の体を通り抜けてこちらに歩いてきて、画面から消えていきました・・・と、見えたのでおかしくて。これ、誰かが意図したのだとしたら最高ですねっそれともデュシャンの指示でも残っていたのか。ちょっと調べてみたくなりました。
友達と「遺作」のぞき穴をのぞけたことより、前の人がちょうどいい背格好の男性であったがために起こったハプニングのほうがよほどデュシャンぽくて、このタイミングに出会えた芸術の神様の計らいに、デュシャン展にいってよかった!と心から思えました。
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遺作のレプリカはかなり笑えました。まず列を作っている自分がおかしかった。そして順番に行儀よく待って、一人づつのぞき穴をのぞきます。私はそれが「女子用トイレ」の行列とよく似ているなぁと思いましたが友人は「わし、キャッシュカードの列に見える」と仰ってました。
遺作の作品解説は他に譲りますがカンタンに説明すると、ドアのような平面のオブジェがあり覗き穴がこしらえてある。覗いた奥には原っぱで全裸の女性の死体が転がっていて顔が見えそうで見えない。まぁこれを「花嫁」のどーたらこーたらだと解釈うすr評論がありますがそんなものは読まなくていいです。今回、覗き穴だけ製作し、ドアのようなオブジェは映像で、奥の裸体もチョッピリ立体に見える映像でそのちょっとした気配りがかえってビンボー臭さをかもし出す、というレプリカでした。
遺作はのぞき穴を発見するのもプロセスのひとつだったはずですが、アナをこしらえた白い壁に相当薄らぼんやりとした映像を写しているだけなので、何かよくわからず、しかもあんなに並んでいては発見するというよりまっすぐ目指すしかない(笑)
私の前のヒトのとき、金髪の白人女性が覗き穴を覗いているのをちょうど映写機が写していました。この映像、開館中に撮ったんだ・・・。そして私の前の男の人が覗いてる姿と女性の覗き込む姿の映像がピッタリ重なってました。大きさの再現はかなり正確なのでしょう、男性と女性はちょうど同じ身長だったので、男性が女性に覆いかぶさるように見えました。
次の瞬間、映像の女性が振り向いたので激しいデュープキスの状態にっ!!そして何事もなく女性は男性の体を通り抜けてこちらに歩いてきて、画面から消えていきました・・・と、見えたのでおかしくて。これ、誰かが意図したのだとしたら最高ですねっそれともデュシャンの指示でも残っていたのか。ちょっと調べてみたくなりました。
友達と「遺作」のぞき穴をのぞけたことより、前の人がちょうどいい背格好の男性であったがために起こったハプニングのほうがよほどデュシャンぽくて、このタイミングに出会えた芸術の神様の計らいに、デュシャン展にいってよかった!と心から思えました。
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テレパシー37日目:プレゼントとゴルフと水色の玉と生まれた後の卵
テレパシー37日目。今日はエミリオ、夜出かけていて、この分ではテレパシーの時間にどう考えてもまだ外にいるし、満員電車の中の可能性もあって絵を描く自信がなかったので、行きの電車でうまく座れたのでその時に準備しておきました。今日の用事は金木犀君と一緒だったのですが、テレパシーをするどころではなく、予想通りその時間は移動中で、金木犀君と別れた後、一息ついたところで送信開始しました。最近は描きっぱなしにしてあまり強く念じるという方法は避けてたのですが、今回描いた時間が離れている分、そしてJRの駅構内の待ち時間というロケーションだったので雑念を払うためにもキチンと2,3分絵を見て「送る」イメージをしました。その直後、少し体調の悪い金木犀君が家までしんどくならずに無事帰れるようパワーを送っておきました。疲れたといっていた割りに、金色っぽい黄色で縁が緑で綺麗な卵型に輝いて見えたので大丈夫でしょう。後で無事帰れたとメールが来たので安心しました。
では、前置きはここまで。いつものように一番左がエミリオの描いた元絵、右隣があかんたれ君、その隣が金木犀君、一番右が仮性イチゴ君です。エミリオ、初の時間外電車内で描いたのでかなりデッサンが歪み味わい深い絵になりました(笑)一応、プレゼントのつもりです。真ん中のぐちゃぐちゃに見えるところはリボンですよ~。
ではあかんたれ君。この人も夜遅くなっていたようです。
「今日はゴルフ
素晴らしいグリーンより」
うぬ、よくわからん。何がいいたいのか。あかんたれ君はエミリオと比較にならないぐらいウチュウジン指数が高いのだなと思う瞬間。おたま・・・かと思いましたがゴルフクラブなのですね。ゴルフボールの丸いモティーフは近いかも。
では金木犀君、
「電車の中、ゆえにいつものペンが手元になく、弱々しくてすみません。しかも水色の玉って(苦笑)再挑戦したのですがやっぱり水色の玉でした。」
車内受信お疲れ様でした。ゴルフボールと玉、被ってますね。もちろん元のプレゼントの形とも、ですよ。水色の玉になってしまったのはエミリオが遠隔でパワーを送っていたせいだと思います。そちらが強く出たのでしょう。同時に二つ送ることになったのでは少し掴みにくかったかもしれません。でもそういう意味でははずれてはいないですよ。
それでは仮性イチゴ君。いつもより遅くまで起きててもらってありがとうすみません。
「萌えてまふね~~隊長~~。
そんな予感のする今日この頃。
ウチュウジン同志、生活のリズムもリンクするのでしょか。
なにがいそがしいってんじゃあないのですが
(多分あたいが一番ひまなはず)
なぜだかバタバタしてるんでぴ。
さて本日の受信ネタは
たまごが割れたあとでございます。
なんだろこれ??なにがうまれたんら???
カリメロか・・・・・。」
やはりこの人も侮れないなぁ(笑)まずはモティーフから。卵なのでいい線いってますね。他のメンバーとも共通しています。が、もっと凄いなと思ったのは、イチゴ君はエミリオの状況のほうを受信しているのです。「卵が割れて何かが生まれた」のはその通りです。エミリオ、昨日ヴォイスヒーラーの方にお会いしていて、少しチューニングをしてもらったのですが、その時出てきたのは全て「準備終了」というか、まぁ目が覚めてテストというか課題をですね、一応乗り越えて、次に進むところまで来た確認のサインばかりで、いかにエミリオ、自分のハイヤーや守護してくれてる存在たちが苦労してたかをいっぱい気づきました、それぞれが過去形で語ってくれたので、乗り越えたことがわかったのですね。それでヒーラーの方も「よかったわねぇ~」と言ってくれて、なんとかかんとかですが、わたしは進むべき方向へ自信をもっていけそうです、気合だけは一人前です(笑)というわけなので、まさしく卵の殻を割った翌日なんですよ。生まれたものが何かはちょっぴり気になりますね。カリメロか・・・エミリオ、カリメロに改名・・・しません。
もう一度、元の画像をご覧ください。全員モティーフが一致しました。丸いプレゼント、ゴルフボール、玉、卵と、丸いもので揃っています。なぜだろう、今までのパターンでは「丸いもの」の絵は一致しやすい傾向にあるようです。
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では、前置きはここまで。いつものように一番左がエミリオの描いた元絵、右隣があかんたれ君、その隣が金木犀君、一番右が仮性イチゴ君です。エミリオ、初の時間外電車内で描いたのでかなりデッサンが歪み味わい深い絵になりました(笑)一応、プレゼントのつもりです。真ん中のぐちゃぐちゃに見えるところはリボンですよ~。
ではあかんたれ君。この人も夜遅くなっていたようです。
「今日はゴルフ
素晴らしいグリーンより」
うぬ、よくわからん。何がいいたいのか。あかんたれ君はエミリオと比較にならないぐらいウチュウジン指数が高いのだなと思う瞬間。おたま・・・かと思いましたがゴルフクラブなのですね。ゴルフボールの丸いモティーフは近いかも。
では金木犀君、
「電車の中、ゆえにいつものペンが手元になく、弱々しくてすみません。しかも水色の玉って(苦笑)再挑戦したのですがやっぱり水色の玉でした。」
車内受信お疲れ様でした。ゴルフボールと玉、被ってますね。もちろん元のプレゼントの形とも、ですよ。水色の玉になってしまったのはエミリオが遠隔でパワーを送っていたせいだと思います。そちらが強く出たのでしょう。同時に二つ送ることになったのでは少し掴みにくかったかもしれません。でもそういう意味でははずれてはいないですよ。
それでは仮性イチゴ君。いつもより遅くまで起きててもらってありがとうすみません。
「萌えてまふね~~隊長~~。
そんな予感のする今日この頃。
ウチュウジン同志、生活のリズムもリンクするのでしょか。
なにがいそがしいってんじゃあないのですが
(多分あたいが一番ひまなはず)
なぜだかバタバタしてるんでぴ。
さて本日の受信ネタは
たまごが割れたあとでございます。
なんだろこれ??なにがうまれたんら???
カリメロか・・・・・。」
やはりこの人も侮れないなぁ(笑)まずはモティーフから。卵なのでいい線いってますね。他のメンバーとも共通しています。が、もっと凄いなと思ったのは、イチゴ君はエミリオの状況のほうを受信しているのです。「卵が割れて何かが生まれた」のはその通りです。エミリオ、昨日ヴォイスヒーラーの方にお会いしていて、少しチューニングをしてもらったのですが、その時出てきたのは全て「準備終了」というか、まぁ目が覚めてテストというか課題をですね、一応乗り越えて、次に進むところまで来た確認のサインばかりで、いかにエミリオ、自分のハイヤーや守護してくれてる存在たちが苦労してたかをいっぱい気づきました、それぞれが過去形で語ってくれたので、乗り越えたことがわかったのですね。それでヒーラーの方も「よかったわねぇ~」と言ってくれて、なんとかかんとかですが、わたしは進むべき方向へ自信をもっていけそうです、気合だけは一人前です(笑)というわけなので、まさしく卵の殻を割った翌日なんですよ。生まれたものが何かはちょっぴり気になりますね。カリメロか・・・エミリオ、カリメロに改名・・・しません。
もう一度、元の画像をご覧ください。全員モティーフが一致しました。丸いプレゼント、ゴルフボール、玉、卵と、丸いもので揃っています。なぜだろう、今までのパターンでは「丸いもの」の絵は一致しやすい傾向にあるようです。
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デュシャン展に行きました♪:レディメイド
エミリオ、今日は国立国際美術館までデュシャン展に行きました。ここの近くのホテルで一時仕事をしていたのですがその頃はまだこの美術館は建設中で、早く出来上がりがみたいなーと思ったものです。ようやく完成し開館記念に「マルセル・デュシャンと20世紀美術展」をすると知り、エミリオどうしても見に行きたかったのだけどなかなか時間が取れず、今日ようやく行けて大喜びでした。なんといってもこのブログのタイトルは「デュシャンの子供達」ですからね。その意味もおいおい説明するとしましょう。
国立国際美術館は新しくて綺麗で見やすいようにいろいろ工夫されていて、映画館もあるし、カテゴリーがどんどん広がり多様化していく現代美術の表現と連動して様々な「見せ方」や「用途」を考慮した空間作りを感じました。迷路のような古い美術館も好きですけどね♪新しいものは新しいで悪くないです。建物のセンスばかり鼻息荒く機能美が乏しいどこかの建物よりは断然よろしい♪
わたしは大学の時もっとも傾倒したアーティストの1人がマルセル・デュシャンで「あーもうみんな先にやられちゃったなぁ」という悔しさを1900年代初頭の魅力溢れる時代を羨ましく、あの頃あの時代に生まれたかったと思ったものです。美術の歴史を塗り替えた、20世紀美術を花開いた立役者の1人がデュシャンだと言えます。彼の作品の一番凄い所は「描けなくてもアーティストになれる」という事。つまり誰でもアーティストになれる時代を花開かせたと言っても過言ではないでしょう。本当の意味でアートかどうかは別として・・・ですけど。
このブログはウチュウジンの紹介も兼ねてますので、結論からいいますとデュシャンはウチュウジンです。はい、ウチュウジンで天才。今から100年近くも前にですよ、今の時代にやっても白い目で見られたりビックリされるようなことを彼は次から次へとやってのけ、しかも評価されたわけですから凄いことだなぁと思うのです。
直接見て確認できたことはやっぱりデュシャンってあんまり絵が上手くない。結構雑なんですよね。いや、普通の人よりはうんとうんと上手なんですよ、でも彼の時代にはなんといってもピカソやダリやマティスや本当に巧い天才がいっぱいいたわけですから。多分、私の印象では、デュシャンは飛び切りの素敵なウチュウジンだったので、多分真面目な画家達の中で特別オシャレで特別小粋な存在だったんじゃないかなぁと思うのです。彼が何か面白い遊びをはじめると仲間達は夢中になってしまうとか、デュシャンがいたら断然楽しいし、みんな芸術論を朝まで熱く語ったりしてたんじゃないかなと。デュシャンは不思議な魅力のある人だったと思うのです。
それで彼はみんなに愛されアイディアの面白さでは誰よりもリーダー格だけど、絵の巧さはそうでもない。その二つの特性と時代に要請された「既成概念の打破」という使命が彼にレディメイドを作らせたのではないでしょうか。
レディメイドは既製品に署名をしただけ、という、いわば芸術を小ばかにしたような、一石投じた確信犯です。ですからレディメイドの作品は幾つ見ても、本体そのものは大量生産されたモノに過ぎませんから、九十九神にでもなっていない限り、迫ってくるものが何もないのです。ツクモガミは少なくとも相当古くならないと神様にはならないようなので、さほど年数もたたない既製品では何かが中に入っている可能性は少ないでしょうし、少なくともそれは芸術家の魂とはいいがたい。だからこそデュシャンはレディメイドを選んだのでしょうしね。
私達のような感覚を持った人間(ウチュウジンも、人間だもの)から見れば、魂の入ったアートは、迫ってくるのです。もっと見える人だと抜け出して歩き回るそうですけどね(笑)エミリオレベルでは、せいぜい、魂というかオーラが遠くからでもぬぉぉぉぉっとほとばしっているのでそういう作品を見つけると釘付けになります。そして見詰め合って暫く「お話」します。今回では別の場所にあった3枚のピカソのうち一番時代の新しいものがそうでした。あっちにはいいのなさそうだなーとエスカレーター登ってる途中で、」なんか視線を感じるのでちょっと覗いて見たら目が合ったのでもう一度降りて見に行きました。とてもいい子でした。
といった感じで絵とは対話が成立します。絵に限らず良い作品の中には、「魂」を持つものがいるので、更に鑑賞され大切に扱われれ、大勢の目に見つめられ、魂は育っていくことがあるのです。贋作でも「魂」が入るということはあるかもしれませんし、ホンモノでも魂のカケラも感じないものもあります。こればっかりは鑑定結果とか美術的価値と必ずしも一致するとは限らないのですが、デュシャンのレディメイドの殆どはそういう意味では「何も感じない」のです。レディメイドも見つめられ続けることで「魂」を獲得できるかどうかが今回私にとってとても気になっていた事だったのですが、今となってはもう天井から何かをぶら下げた所で誰も驚きませんから、レディメイドはアートではあってもアートの魂は入らないのかもしれません。
何が私が驚いたかというとレディメイドのコーナーでは列が出来更に混雑していたことです。レディメイドはアートとしてその精神には偉大な価値がありますが作品としては空っぽなので、長時間鑑賞する何があるというのか、私は不思議でしたがやがてわかりました。タイトルや解説を読んで作品の「解釈」をしたり「意味」を探そうとみんなしていたのです。あぁなるほど。人はそれが美術品ですよと言われると、しかも飛び切りすばらしいと言われるとなんとか「理解しよう」とするのだ、そして自分の観念の世界でなんとか理解しようと一生懸命なのだ、人間てなんて面白くてすばらしいんだろうと、エミリオは思いました。もしデュシャンが生きていたらさぞかしニヤニヤしたのだろうなぁ。いや、エミリオ、鑑賞する人々を観察できてこそ、レディメイドの展示を見に行ったかいがあったと思いました。デュシャンのいう「観客がいて完成する」を実感できました。こうやって何年も見つめられ、大勢の人がこれは芸術品だといい続け、信じ続けることで彼らはまさしく芸術品になっていく。
矛盾するふたつの感覚の中で、もし100年後同じ自転車の車輪を見たらどうなっているのか知りたい気がします。
気が向いたらまた続き書きます。
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わたしは大学の時もっとも傾倒したアーティストの1人がマルセル・デュシャンで「あーもうみんな先にやられちゃったなぁ」という悔しさを1900年代初頭の魅力溢れる時代を羨ましく、あの頃あの時代に生まれたかったと思ったものです。美術の歴史を塗り替えた、20世紀美術を花開いた立役者の1人がデュシャンだと言えます。彼の作品の一番凄い所は「描けなくてもアーティストになれる」という事。つまり誰でもアーティストになれる時代を花開かせたと言っても過言ではないでしょう。本当の意味でアートかどうかは別として・・・ですけど。
このブログはウチュウジンの紹介も兼ねてますので、結論からいいますとデュシャンはウチュウジンです。はい、ウチュウジンで天才。今から100年近くも前にですよ、今の時代にやっても白い目で見られたりビックリされるようなことを彼は次から次へとやってのけ、しかも評価されたわけですから凄いことだなぁと思うのです。
直接見て確認できたことはやっぱりデュシャンってあんまり絵が上手くない。結構雑なんですよね。いや、普通の人よりはうんとうんと上手なんですよ、でも彼の時代にはなんといってもピカソやダリやマティスや本当に巧い天才がいっぱいいたわけですから。多分、私の印象では、デュシャンは飛び切りの素敵なウチュウジンだったので、多分真面目な画家達の中で特別オシャレで特別小粋な存在だったんじゃないかなぁと思うのです。彼が何か面白い遊びをはじめると仲間達は夢中になってしまうとか、デュシャンがいたら断然楽しいし、みんな芸術論を朝まで熱く語ったりしてたんじゃないかなと。デュシャンは不思議な魅力のある人だったと思うのです。
それで彼はみんなに愛されアイディアの面白さでは誰よりもリーダー格だけど、絵の巧さはそうでもない。その二つの特性と時代に要請された「既成概念の打破」という使命が彼にレディメイドを作らせたのではないでしょうか。
レディメイドは既製品に署名をしただけ、という、いわば芸術を小ばかにしたような、一石投じた確信犯です。ですからレディメイドの作品は幾つ見ても、本体そのものは大量生産されたモノに過ぎませんから、九十九神にでもなっていない限り、迫ってくるものが何もないのです。ツクモガミは少なくとも相当古くならないと神様にはならないようなので、さほど年数もたたない既製品では何かが中に入っている可能性は少ないでしょうし、少なくともそれは芸術家の魂とはいいがたい。だからこそデュシャンはレディメイドを選んだのでしょうしね。
私達のような感覚を持った人間(ウチュウジンも、人間だもの)から見れば、魂の入ったアートは、迫ってくるのです。もっと見える人だと抜け出して歩き回るそうですけどね(笑)エミリオレベルでは、せいぜい、魂というかオーラが遠くからでもぬぉぉぉぉっとほとばしっているのでそういう作品を見つけると釘付けになります。そして見詰め合って暫く「お話」します。今回では別の場所にあった3枚のピカソのうち一番時代の新しいものがそうでした。あっちにはいいのなさそうだなーとエスカレーター登ってる途中で、」なんか視線を感じるのでちょっと覗いて見たら目が合ったのでもう一度降りて見に行きました。とてもいい子でした。
といった感じで絵とは対話が成立します。絵に限らず良い作品の中には、「魂」を持つものがいるので、更に鑑賞され大切に扱われれ、大勢の目に見つめられ、魂は育っていくことがあるのです。贋作でも「魂」が入るということはあるかもしれませんし、ホンモノでも魂のカケラも感じないものもあります。こればっかりは鑑定結果とか美術的価値と必ずしも一致するとは限らないのですが、デュシャンのレディメイドの殆どはそういう意味では「何も感じない」のです。レディメイドも見つめられ続けることで「魂」を獲得できるかどうかが今回私にとってとても気になっていた事だったのですが、今となってはもう天井から何かをぶら下げた所で誰も驚きませんから、レディメイドはアートではあってもアートの魂は入らないのかもしれません。
何が私が驚いたかというとレディメイドのコーナーでは列が出来更に混雑していたことです。レディメイドはアートとしてその精神には偉大な価値がありますが作品としては空っぽなので、長時間鑑賞する何があるというのか、私は不思議でしたがやがてわかりました。タイトルや解説を読んで作品の「解釈」をしたり「意味」を探そうとみんなしていたのです。あぁなるほど。人はそれが美術品ですよと言われると、しかも飛び切りすばらしいと言われるとなんとか「理解しよう」とするのだ、そして自分の観念の世界でなんとか理解しようと一生懸命なのだ、人間てなんて面白くてすばらしいんだろうと、エミリオは思いました。もしデュシャンが生きていたらさぞかしニヤニヤしたのだろうなぁ。いや、エミリオ、鑑賞する人々を観察できてこそ、レディメイドの展示を見に行ったかいがあったと思いました。デュシャンのいう「観客がいて完成する」を実感できました。こうやって何年も見つめられ、大勢の人がこれは芸術品だといい続け、信じ続けることで彼らはまさしく芸術品になっていく。
矛盾するふたつの感覚の中で、もし100年後同じ自転車の車輪を見たらどうなっているのか知りたい気がします。
気が向いたらまた続き書きます。
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あかんたれオマケ特集
あかんたれ君がついでにオマケとして送ってきてくれた絵や写メールの中から幾つかピックアップしてお届けいたします。一番左が不動パパ(仮名)の似顔絵で、ウチュウジンです。太陽が似合いますね。私も大体こんな顔に見えてますよ。
真ん中がアジアスターならぬ時代劇スター。ちょっとほしいかも♪
最後によくわからない犬4匹。右下だけなんだかネズミ・・・?これ、あかんたれ君が参加している某ユニットのメンバーでは・・(笑)1匹のぞいてウチュウジンですよね、確か。この絵の雰囲気が金木犀君の受信した猫とややかぶってるんですよね。まぁ沢山描けば描くほど確率的には被る率が上がるには上がるんですけどね。ちょっと面白かったので比較してもらうため、アップしておきました。
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最後によくわからない犬4匹。右下だけなんだかネズミ・・・?これ、あかんたれ君が参加している某ユニットのメンバーでは・・(笑)1匹のぞいてウチュウジンですよね、確か。この絵の雰囲気が金木犀君の受信した猫とややかぶってるんですよね。まぁ沢山描けば描くほど確率的には被る率が上がるには上がるんですけどね。ちょっと面白かったので比較してもらうため、アップしておきました。
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