◾︎花魁 ◾︎③ | (^з^)-パワフル朱伽のブログ☆Chu!!

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嶋原 末廣屋 葵太夫のブログ


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まず、花魁というのは娼妓全てのことを言います。
     ※娼妓(遊女・女郎)。

あの姿をしてる者だけが、花魁の様に思われているのが本来の間違いです。


芝居などで「吉原」が取り上げられることが多いので、「吉原」にしかいないというイメージが強いと思います。
全く違います。
全国にいました。
京都ですと、黒染遊郭や撞木町遊廓、中書島遊廓にいました。


花魁の語源は、田舎から売られて来た女の子が遊廓で身体を売る遊女になる。その子がどんどん売れて売れっ子になる。そうすると田舎訛りが目立ってくるので、田舎訛りを誤魔化すために「ありんす言葉」が生まれました。

「わちきは○○でありんす」=オラ(オイラ)は○○だべ

と、自分を指す説と、

「おいらんの姐サァ(自分が付いている姉遊女)」

と言う、禿が言うていた説の二つがある。




又、字の【花魁】花の魁…は、吉原では春になると道筋(メインストリート)に桜の花を植えた。
それが売れっ子の花魁がお金を出して競ったらしい。
で、お付きの禿が

「おいらの姐サァの桜がいっち綺麗。」

とか、

「おいらの姉サァの花が一番先に咲いた。」

つまり花の魁。
て言うたことから、当て字にこの字が当てはめられている。



花魁の語源が東の方の言葉なので、関西弁違います。

「Wikipediaや辞書や本では一緒に書いてある」とおっしゃってましたが、これは悲しい時代の流れ、現代のようなネット環境がありませんから、口伝えだったり、資料を持ってる方でも気づかなかったり・・・


実は、吉原では280年位前までの文献には、ちゃんと「太夫」と「花魁」は別々に書いてありました。
花魁の下に囲や端女郎などが書かれていて、太夫と花魁は違うことがわかります。
吉原がどうしても有名やからそこだけを取り上げられるのは、江戸時代のお江戸の繁栄ぶりがわかりますね。




「花魁でも太夫と呼ばれていた」という質問ですが、
「太夫」と呼ばれてると、その方がお金が取れるからです。
でも!その呼び名は廓の中でしか通用しません。

「高尾太夫」の件ですが、高尾太夫も花魁です。
太夫を育て上げるのはお金も時間もかかります。
遊女は買って来た時の元手だけで、芸事はいらないのでお金かかりません。
売られて来た子は借金返さな年が明けて一般社会に出られないんですね。


そこで!賢い子はその時借金してでも芸事や知識を身に付けて売れっ子になったら早く出られる!と考えるわけです。
そうすると良いお客も付くんですね。
そういう考えの遊女から高尾太夫の様な女性を生んでいるんです。
芸も知識も身に付けて努力してきたからこそ花魁でも廓の中では太夫と呼んでもらえるんです。
あと、そう呼ばな、吉原でも身分の高い客が来た時相手させられへんからです。





吉原の最後の遊女屋の当主とお会いしたときに

「昭和33年3月、売春防止法ができてうちは店を閉めた。わしらの花魁も廃業になったのに、何で嶋原は無くならないんだ。どうしてあんたらだけ残ってるんだ?」

て言われました。
ちゃんと説明しました。


「吉原は遊廓どすやろ。嶋原は花街どす。花魁は身体売る娼妓さんどすやろ。うちら太夫は芸を売る芸妓の部類やから、町も太夫も残ってんのどすえ。」

と答えると

「あ~そうか。それで納得した!ン十年となんでだろうと疑問だった。」

て言われました。


無くなるその時までしてた人さえわかってなかったんですから、素人さんが知らんで当たり前ですね。


しかしながら、昭和33年までは売春は違法では無かったので、花街の芸妓でもお金が絡んで寝ることも、舞妓も水揚げ等でお金が絡んできても不思議で無かったんです。また少数ではあるが娼妓もいました。

昭和33年までは芸か身体かのどちらが主体で生業としてるかですね。

ちなみに、吉原かて芸者さんいはったんですよ。
最後の芸者さんは、みな子姐さん言うて、3年前に92歳で亡くならはりました。
この方は本にも載ってます。






【衣裳】
太夫と似た姿は、道中のときだけの姿です。
普段は長襦袢に近いものに、薄い打掛のようなもの羽織っています。
道中の帯は「まないた」と言いますが、普段の帯はしごきです。


歩き方は「外八文字」です。
太夫道中を真似ています。
ただし遊郭の中だけでしか道中はできません。














地方で花魁道中があるんどすけど、今は、若い踊りの名取さんやったり、一般公募やったり役者さんなどです。
その土地その土地での歴史がありますし、そういうお祭りをして昔のことを大事にすることはいいことですね。








勘違いさせてしまうような言葉を載せてしもたことすんまへん。
下に見てるとかやのうて、間違って伝わっていってることが悲しいんです。

太夫だって花魁たちだって一生懸命生きてきたんどすえ。

お稽古だって大変やし、ましてや身体を売ることも大変や。
男性からしたら女は楽やって思われがちやけど、考えとくれやす。
一日に何人も相手してそれが毎日毎日。
逆バージョン想像しとくれやす。


歴史が間違って伝えられていってるというのは、その当時の生きてきた人達の人生を消してるんどっせ。


現代のような環境の整った時代やないんやし。






もちろん、今現代の花街の人達もみんな一生懸命生きてます。
お稽古重ねて頑張って。

中には、白塗りしてる=色売ってるって思って寄ってきはる人もいるんどす。

だから、本出したりしはる人は、本やらネットで調べて出すんやのうて、ちゃんと自分の足で何度も通って調べて調べて出しとくれやす。

京都はよそもんなかなか受け付けへん言うのは、そらそうや。
歴史の古い場所やからこそ守らなあかん。
壊されてもあかんし、勘違いして伝えられても困るさかいそう簡単には仲良くなれへんのどす。

花街やなくても歴史のあるところはそうや思いますよ?




「Wikipediaで書いてある!」

Wikipediaってすごくええもんやとは思うんどす。
けど、あれこそ何も調べずに載せてはるし、間違いだらけなんどっせ。
ちなみにうちのWikipediaもちょっと間違ってます(笑)しかもいつの間にかできてたんどっせ。
母の司のもそうどす。
てことは本人や現地の人に聞かずに作ってるもんやってわかりますよね?

太夫の説明かなんかの写真も勝手に使われてたり。
それも全く関係のない写真を。

どこに言うたらええのかもわからへんし、追加はできても修正はできひんし、ほんまに困ってるんどす。


太夫の説明なんかも、たぶん辞書とかで調べはったと思うんどすけど、その辞書が間違ってるさかい、Wikipediaも間違いになるんどす。
辞書は10年はかえられへんってお客さんから聞いて悲しくなりましたえ。





うちらの仲良い漫画家の先生は、東京から京都まで何度も何度も足運んで調べて、現地の人とも仲良くなって、、、ちゃんと描いてくれてはります。


うちら花街の文化、遊郭の文化を何か書いたり、描いたり、メディアとして世に出す場合はよく考えてほしいと思います。

それはこの世界だけやのうて他の歴史古いとこのことも言えます。




今回、ちょっとした質問のことがこんなに大きくなって2万人以上の方に目にとめてもらえたのはほんまに有難いことや思てます。



母の司が30年かけて調べ、15年かけてこつこつ新聞作って身内から少しずつ知ってもらい、会員さんも増えたり、応援してくれはる方々がたくさんできました。
それは京都だけやなくて地方の方もたくさんいはります。


地方の花街の方々もなんとかしようと頑張ってます。


こうやって歴史に目をとめてくれはった方々、もう一度地元の歴史を知ってみとくれやす。
もしかしたらいろいろ出てくるかもしれまへんし、頑張ってる芸者さんもみつかるかもしれまへん。








ほんまに今回はみなさんおおきに。
こうやって載せるきっかけをくれはったことに感謝してます。



また少しずつ他の方の質問なども載せますし、質問あったら言うとくれやす^ - ^



おおきに。

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