故郷から離れているからこそ・・・ 彼女は新たな土地から "新しい風" を吹き込むことが出来る。
当BLOGも " #おかえりモネ1周年 " に乗っかることにして(笑顔)。
さて、Perfumeさんの主題歌がキッカケで、注目し始めた若き実力派女優の清原果耶氏。 今ではその透明感と凛とした佇まいの虜になっている。そして・・・・・ 彼女の代表作の連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』の作品としてのクオリティの高さとその世界観に完全に嵌ってしまった。
間が空いたが、前回のエントリーでは第3週を中心として書いていた。今回のエントリーは翌週の第4週・『みーちゃんとカキ』を取り上げたい。この週もこの作品の軸となる重要なエピソードが多い。前週に引き続き、主人公の永浦百音(モネ 演・清原果耶)が亀島に帰省しているという話の続きとなる。
○故郷と永浦家の未来を背負って立とうとする、たった一人の妹・未知
百音の妹・未知 (みーちゃん 演・蒔田彩珠氏)は、水産高校に通う高校二年生。元遠洋漁業の漁師で現在は牡蠣の養殖業・「永浦水産」を営む祖父の龍己(演・藤竜也氏)の手伝いをしながら、牡蠣の地場採苗の研究に没頭している。
父の耕治(演・内野聖陽氏)は銀行員で家業を継いではいない。姉の百音は亀島から出て行ってしまっているので、未知は、「永浦家を背負って立つのは自分しかいない」と考えている節がある。
その理由としてとして、百音が4ヶ月ぶりの今回の帰省で『こんなの作ったんだ・・・・・』と、牡蠣の作業場に本格的な研究機材が置いてあることに驚くシーンがある。
百音が今まで知らなかったということは、彼女が亀島から出ていく以前には、この研究機材は無かったという証拠だと思う。そしておそらく未知は百音が亀島から出ていくということを聞いて、本格的に牡蠣の地場採苗の研究に取り組み始めたことが分るエピソードだろう。
未知はこの地場採苗の研究に入れ込んでいて、時には祖父の龍己とぶつかることも少なくないようだ。そのことでトラブルを起こす。
○妹・未知の空回り
稚貝をなるべく多く増やしたい未知と、夕方から雨が降るためその前に原板を上げておきたい祖父の龍己。未知が龍己の意見に強く抵抗することで原板を上げるタイミングが遅くなり、天候も急速に悪化するという危険がはらむ中で、龍己は海に出ざるおえなくなった。
このような危険な状況で作業を行ったため、龍己は足関節を捻挫してしまった。
今回の事故のことを母の亜哉子(演・鈴木京香氏)にたしなめられる未知。しかし龍己は、『亜哉子さん、もう怒らなくて良い。たかが高校生の自由研究です』と言って止める。それを聞いた未知の感情が爆発し、龍己に牡蠣の養殖における地場採苗の重要性とその未来を説くが、さまざまな費用をどう工面するのだと龍己は一蹴する。
父の耕治も子供相手に本気になるなと割って入るが、未知の感情はさらに高ぶっていく。
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『違う!! おじいちゃんもお父さんも・・・・・ なんで高校生とか子供とかいうの!! 私は地場採苗は絶対に必要だし、実現させなきゃいけないと思ってるし、不可能じゃないって言えるだけのデータを集めてる。高校生の自由研究ってバカにしないでよ・・・・・ 本気で一緒にやってよ!!』
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ここで父の耕治は、震災後の永浦水産の厳しい経営状況を未知に話す。このシーンで注目してもらいたいのが、やはり登場人物の立ち位置と構図だ。
祖父の龍己、父の耕治、母の亜哉子、そして妹の未知は同じ部屋で話し合っているのに・・・・・ 百音だけは隣の部屋で一人だけ離れて佇んでいる。永浦家の重要な問題を、家族揃って話し合っているのにも関わらずだ。これは以前にも取り上げた、両者の間に境界線を感じさせるような空間の画作りにすることで、
" こちら側とあちら側には大きな隔たりがある "
といったようなことを表現する、やはり典型的な手法なのだ。要するに、百音は自ら亀島を出て行った人間のため、家族の重要な問題を話し合っているにも関わらず、口を挟むことすらできないということを視覚化して表現していることが考えられる。
さらに父の耕治は永浦水産の厳しい経営状況を話し続け、『今は・・・・ 未知の夢にまでは手が回らない。今、この家では地場採苗は無理だ』と諭す。ここで未知は捨て台詞を吐く。
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『さすが銀行員だね・・・・・ お父さんってお金の話ばっかり。具体的にどう見立てて、出来ない理由を言う。お父さんにとって、お金で損するのが一番の悪だもんね。返済が正義だもんね。そうやって、りょーちんのお父さんにも船を諦めさせたもんね!!! りょーちん家、あんなに大変だったのに!!! 』
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ちなみに " りょーちん " とは百音の幼馴染の同級生で、亀島中学吹奏楽部の元メンバーの及川亮(演・永瀬廉氏)のことだ。そして亮の父・新次(演・浅野忠信氏)は、耕治と親友関係でもある。
母の亜哉子が初めての出産の時、どうしても本土に搬送して処置せざるおえなくなった。台風が迫り、海がシケる中で無理をおして船を出して本土まで搬送してくれたのが、耕治の親友の新次だった。そしてその時に生まれたのが百音だ。百音の命の恩人は新次だった。
その新次の船があの震災で流されてしまった。再建のために、耕治の勤める銀行へ融資を申し込む。耕治は親友のために奔走するが・・・・・ 力及ばず審査が通らなかった。
耕治にとっては・・・・・ 一番痛いところを未知に付かれてしまった格好だ。見かねた亜哉子が『いい加減にしなさい!!』 と割って入るが、家族間の空気は最悪となり、その場の空気が凍りつく。
その場の空気が最悪の時に・・・・・ 百音は父・耕治が登米に来ていた際、広葉樹の材料で作った "木の笛 " を取り出して、凍りついた空気を振り払うが如く、一気に吹き鳴らす。
この演出も非常に興味深い。先ほど取り上げたように、家族と百音では隔たりがあるのは、百音が自ら亀島を出て行った人間だからだと指摘したが、もう一つ理由があるとオレは考えている。要するに、
震災当日に津波を目にして、その恐怖感を体験している家族 ・・・ 龍己、亜哉子、未知
震災当日の津波を目にしていなくて、その恐怖感は体験していない家族 ・・・・ 耕治、百音
あるいは、
家業に何らかの形で従事している家族 ・・・・ 龍己、亜哉子、未知
家業には従事していない家族 ・・・・ 耕治、百音
といった対立構造を作っているようにオレには思えてならないのだ。そうなると今回のシーンで言うと、父・耕治は百音の近くの立ち位置になるはずだが、永浦家の家長でもあるため、このシーンでは離れた立ち位置には出来ない。そこで耕治の象徴となる " 耕治が登米で作った木の笛 " を百音に持たせることで、この対立構造を成立させているのではなかろうか。
○音楽と " 木の笛 " は父と娘との絆の象徴
さて、父・耕治と百音は性格が似ているということもあってか音楽が好きで、父と娘は昔から音楽で繋がっていた。まぁ、娘の名前に " 音 " を入れるぐらいだから・・・・・ 耕治のその思い入れは想像に難くない。
*第3週・14回 『故郷の海へ』より
何より音楽が大好きだった百音が・・・・ なぜか音楽から離れてしまい、 元来の明るさは消えて無気力状態のようになってしまった。百音の心の奥が分らない・・・・・ そのような思いを抱えて耕治は登米へと出向いたとき、もう一度 " 音楽の力 "を信じて、木材で一生懸命に気持ちを込めて笛を作り、百音に渡す。
*第2週・7回 『いのちを守る仕事です』より
そう、この木の笛は " 父・耕治 " そのものであり、父と娘の絆の象徴でもあるのだ。そして登米での林間学校の行事の際に百音と小学生が山で遭難した時は、この木の笛に百音は助けられている。
*第2週・10回 『いのちを守る仕事です』より
そして、この木の笛を遭難した小学生にプレゼントしようとしても・・・・・ 結局は百音の傍から離れることは無かった。
*第2週・10回 『いのちを守る仕事です』より
上京することになっても、この " 耕治が登米で作った木の笛 " は、決して百音の傍を離れることは無かった(まぁ、この木の笛は、後に祖母がリインカーネーション [輪廻転生] するということもあるのだろうが)。
*上京する百音が " 耕治が登米で作った木の笛 " を一緒に持っていくと語るシーン。第9週・45回 『雨のち旅立ち』より
しかし・・・ 巧みな伏線の張り方と後の壮大な回収劇。木の笛の伏線回収は、この後もさらに続くからなぁ・・・本当に凄い脚本だ。
繰り返しになるが、この木の笛は " 父・耕治 " そのものであり、父と娘の絆の象徴でもあるのだ。
○百音はこの土地に " 新しい風 " を吹き入れる
さて話を戻すと、永浦家の問題を話し合っている際に家族関係に険悪な雰囲気が漂ったとき、百音が " 耕治が登米で作った木の笛を吹き鳴らす " というシーン。
このシーンの演出的な狙いは、亀島の地元民だけが集まって、その考え方や哲学だけで思考が煮詰まってきたときに・・・・・・ 外の土地である " 登米 " から新しい考え方やその哲学のような " 新しい風 " を吹かせることで物事を打開していく・・・・・ その象徴が " 耕治が登米の木で作った笛 " を、現在は地元から離れて登米で生活している百音が吹き鳴らす、というシーンで表現しているように思えてならないのだ。
また内輪で議論していても新しいモノや発想は生まれてこない。他の分野の考えや哲学が新しい風を吹かせて、新たなモノや発想が生み出せる。このシーンで言えば家業に従事していない、耕治や百音がそのような役割を担っているのだろう。それらを表現するために、このシーンが存在しているとオレは思うのだ。
その証拠として、凍りついたその場の空気を溶かすために、百音は登米で習ったばかりの名物 "はっと汁 "を家族みんなで一緒に作ることを提案する。
" この永浦家に・・・・・ 新たな土地から新しい風を吹き入れることが、今の私の役割なんだ・・・・・ "
そして百音のその提案によって、彼女の元に家族が集まってくる。
そして今度は家族の中で孤立してしまった妹・未知に対しても、百音は『みーちゃんも一緒に手伝って』とやさしく呼び寄せる。
ようやくみんなの元に来た未知。素直に『ごめんなさい・・・・』と謝る。姉・百音の機転がなかったら気まずい空気感は続き、未知も素直に謝れなかっただろう。 家族の危機を、それまで家族の話に入れなかった百音が救ったのだ。しかし・・・・百音はそのようには考えていなかった。
その夜・・・・ 百音は自室で月明かりの中、なぜか寂しそうな表情を浮かべる。
そして・・・・・ 静かに・・・・ 一筋の涙を流す。
ブルーのライティングが印象的であり、百音の孤独や寂しさ、悔しさ、そして心が冷え切っていることを表現しているのだろう。この作品ではこのような登場人物の心情をブルーのライティングで演出することが本当に多い。またバックに流れる高木正勝氏の劇伴が秀逸で、オレの涙腺をくすぐってくる。
*『かみあそび』 作・高木正勝(2021年)
このシーンも何度見ても胸を締め付けられるように切なくなるのだが・・・・・・ 一番最初にこのシーンを観たとき、オレは大変驚いた印象が強い。なぜ百音は涙を流すのか・・・・・ その理由が全く分らなかった。バラバラになりそうだった家族を、彼女の力でまた一つにまとめることが出来たのだから。しかし、このシーンを何回も観ていると・・・・・ 百音の感情は相変わらずこうだったのだろうと思う。
" また・・・・ 私は・・・・ 何もできなかった。力になれなかった "
家族の問題なのにも関わらず、口を挟むことすらできないという寂しさ、また力になれなかったという悔しさが、彼女の心を傷つけていたということなのだろう。そして " あの震災 "によって、百音と家族との間に出来た溝もなかなか埋まらないということを、同時に感じさせるエピソードだ。切なすぎる。しかし本当は・・・・・ このエピソードでは百音は何も出来なかったわけではない。
百音がまだ幼かった頃に・・・・ 祖父の龍己は彼女にこう言い聞かせていた。
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『何にも関係ないように見えるものが・・・・・ " 何かの役に立つ " ということは世の中にいっぱいあるんだよ。』
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本人が何の役にも立っていなかったと考えていても・・・・・・ 間接的あるいは副次的、結果的に役に立っている例は非常に多い。今回のエピソードもその典型的な例だろう。 このように今回のエピソードでは、確かに百音は何も出来ていなかったわけではなかったのだが・・・・・ 彼女自身が "そのこと " にまだ気づいていないのだ。
そして、龍己が語った "この言葉の本質 " を百音が理解できれば・・・・・・ 彼女にとっても救いとなるのだが。しかしその本質を理解するためには、彼女の人間的成長がまだまだ必要な段階というところだろうか。
さて次回のエントリーでも、この第4週・『みーちゃんとカキ』を取り上げたいと思う。なぜ百音と未知との間に溝が生まれてしまったのか。いよいよその理由に迫りたい。