いつもご覧頂きありがとうございます。
今回はGoogle Mapをキャプチャーしながら記憶を元に足取りを追ってみたので、1か月近く掛かったこともあってアッと言う間の2021年末、(この記事が書き終わるのは12月大晦日)この忙しい時は無理しがちなので、皆さんお体にお気を付けください。
少しだらだらするかも知れませんので、飛ばし飛ばし読んでみてください。
さて前回の続きですが、オクラホマに再渡米したのは4月でした。
ウォールマートに興味を持ったものの、それまで車を持っていなかった私にはどんなディスカウントストアなのか、さほど関心を寄せていた訳ではなかったのです。
日本にはディスカウントストアと言うもの自体、規模の大きいものは無かった時代で、小さいバッタ屋のようなものがその時のイメージだったので、突っ込んで見てみたいと言うほどのものでは無かったですね。
また、父がオクラホマにはルート66が通っていると話していたのですが、そこにも興味はなく、それよりフロリダに向けての引っ越しで頭がいっぱいでした。
さて、フロリダに向けてオクラホマを出発です。
ここからまた自分独りの生活が始まります。また何も知らない遠い町に慣れない車で行くんだなと思うと、なんだかワクワクしてきますよね。
無事にフロリダに着いててくれよ!と願いつつ、楽しかったオクラホマ生活を思い出しては不安な気持ちになったりして、こういう繰り返しが少しずつ自分を成長させてくれるんでしょうか。
数千キロの道のりですから、早速、高速道路を利用します。
高速道路と言っても、速度制限の高い一般道と州を跨いで縦横に走る高速道路(インターステートハイウェイ)があります。地図のように青い▽に数字でが表示されているもので、私の場合はInter State Highway 35に乗ります。一般的にI 35(I thirty five)と呼ばれます。
Good Bye Oklahoma Road
Dallas Down Town
テキサス州I-20 ダラス ダウンタウン
ルイジアナ州に入りシュリーブポートI-49で南下
I-10で東、ルイジアナ州 州都バトンルージュへ。
I-10は西海岸ロサンゼルスから東海岸フロリダを横断する最長とも言える高速道路。
当時バトンルージュでは、日本人留学生がハロウィーン仮装中に誤射で亡くなる事件が起きた町でもあります。
あの有名なミシシッピ川を渡って左にはバトンルージュのダウンタウン。
この時は既に夜です。何せ1,300ドルのブロンコでフラフラしながら50mile/h(80km/h)で走り続け。この辺で適当に下りて、モーテルに一泊したのでした。
まず高速を降りて給油がてらエンジンオイルの量も確認したかった。
夜の人気のない所でボンネットを開けていたところ、人影が近づいて来るのが見え、数リットル入れたかったのに、1リットル入れたところで車を出すことにしました。案の定、「手伝ってやろうか」と声を掛けられ、「何でもないから」と言って走り去ったのを覚えています。夜、ウロウロするのは危険と思い、直ぐに安いモーテルに泊まり、焦らず翌日ニューオリンズに向かう事にします。
ちなみにモーテルは10ドルちょっとの記憶で、流石にボロボロだったのを覚えています。鍵のデポジットとして別に15ドル位を要求され、初めての経験でした。きっと鍵を持って行って住みつこうとするのが居るのかと思うと、管理人以外の誰かがこの部屋の合鍵を持っていたら…ベッドからドアを眺めて怖くなるものです。
特に90年代は、ルイジアナ、ミシシッピ、アラバマは人種差別が酷いと聞いていました。トイレも白人と黒人が区別されている所があるとか。治安の悪さには免疫があったので眠れない事はありませんでした。
さて、翌朝英気を養ったところで出発。
まず向かうはニューオリンズ、今も昔もジャズのメッカとして有名です。
どうしても街並みを見て見たかったし、散歩やミシシッピ川を眺めて一息つきたかった。
ようやく見えてきたダウンタウン。どの都市もビル群が見えて来た時はいつも興奮するものです。
フレンチクオーターをドライブし、路面電車を見てみたかった。
私は飲めませんが、時間があれば夜に生ジャズを聞きながらバーボンストリートを歩いてみたかったのですが、フロリダに越して誰かといつかきっと来たいと思いました。
ミシシッピ川を眺めて、ニューオリンズを後にしました。
トムソーヤの冒険をみた記憶通り、ミシシッピ川には蒸気船ですね。当時はカジノになっていました。
またI-10に戻りひたすら東に向かいます。ミシシッピ州、アラバマ州を越えればようやくフロリダ州に入ります。
ルイジアナ州→ミシシッピ州境
余談ですが、アルファベットの重複からなる MISSISSIPPI のスペルにアメリカ人もよく迷います。
また言いにくい事から、1 Mississippiと言うと丁度一秒経過すると言われ、10秒数えて!と言うと、1 Mississippi 2 Mississippi 3 Mississippi……10 Mississippiと言います。
オクラホマから比べると、森も近く高くなってきます。湿地帯のような風景も出てきて、「ここまで来たんだ」と言う実感が湧いてきます。
看板のWelcome to Sweet Home Alabamaは、単なる「アラバマにようこそ」と言うより、レナード・スキナードの歌Sweet Home Alabamaに掛けています。ちょうどフォレストガンプでも、トムハンクスが幼馴染みのジェニーとこの曲で踊っていました。映画の舞台はアラバマ州グリーンボウ、町の名前は架空です。
昔、アリゾナの高速道路を走っていて、ウィンズローと言う町の境界線に「Standin’ on the corner in Winslow Arizona」と言う看板を見かけたことがあります。イーグルスのTake it easyの2曲目の歌詞ですが、アメリカはこういう看板が好きです。
さて、アラバマ州を走っている時はもう暗く、仮眠をとる事にします。
高速道路には数100キロ置きにレストエリア(Rest Area=休憩所)があり、車を止める事ができます。
注意点はひとけが無い事。夜はドアをキチンとロックしておかないと、誰が忍び寄って来るかわかりません。自動販売機くらいは置いてありますが、鉄格子で囲まれていて、細い格子の間に手を入れて、うまく飲み物を取り出さなければならない。
停車した後、この時の私の仮眠方法としては、シフトはニュートラルでエンジンはかけたまま、リクライニングを倒しキャップを被ってアジア人と分からない様にして仮眠しました。手には何かを握っているようなポーズで。
いざ、と言う時はシフトを入れるだけで逃げられるように、と言う準備をして寝ました。
深い眠りにはつけませんが、眠気は十分取れます。
朝にはフロリダ州に入るような予定で、暗いうちにアラバマ州のレストエリアを出発です。
I-10 East でアラバマ州モービル(Mobile=モビール)を目指します。ミリタリーの拠点でメジャーな都市です。
右手には戦艦アラバマ(バトルシップ)が展示、もう海沿いです。
大戦後は日本にも入港しています。以下wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%9E_(%E6%88%A6%E8%89%A6)
アラバマ州モービル市内に突入すると、見えてきた次なるポイント、ペンサコーラのサイン。
ようやくフロリダ州が近い証です。
そして、いよいよフロリダ!Welcome to Florida!
フロリダでは急なスコールは日常的。
まずペンサコーラに向かうため、I-10から29号線南に乗り換え、これからは下道でハイウェイ98を目指します。
左折、あとは98号線に沿って東に向かえば目的地のパナマシティに着きます。
さてここで
ペンサコーラ(Pensacola)からパナマシティ(Panama City)まで残り150kmほど。
これからは下道で目的地までもう少しです。
海沿いを走るルートで行きたかったのです。
道路わきの白い物は何だろう?と思いませんか?
初めて見た時、雪だと一瞬勘違いをしたほど実際には白くて驚きました。
フロリダの内側(Gulf of Mexico=メキシコ湾)白い砂は石英の結晶が削れたもの、手に取ると透明なだけに水晶の粒に近く、サラサラしていて歩くたびにキュッキュッと鳴ります。
フロリダの砂は塩水と太陽によって自然に漂白され、小さく丸くなったと言う説明がネット上で見つかりました。
ペンサコーラからパナマシティまでの町ディスティン。すっかり開発が進む。
途中の小さい海沿いの町、ミニチュアのような家が並ぶ別荘地シーサイド。
トゥルーマンショーと言う映画のロケ地になってから観光地化して大混雑。
パナマシティの手前から、今は高層のコンドミニアムが建ち始めています。
ようやくパナマシティビーチに来ました。左側のレストランは当時よく利用していた定食屋さん。すっかり宿泊施設に囲まれた好立地になっています。
ようやくGulf Coast Community College(現Gulf Coast State College)に到着しました。
と言っても、入学は数週間先、この時は住所不定状態で、モーテルに泊まると言ってももったいないので、このままアパート探しに向かいますが、出来れば当日入居可能のアパートが良いですね。
これからのフロリダ生活の始まりは、次に書いてみたいと思います。
それでは皆様、良いお年をお迎えくださいませ。
パワーカウンティ 高久