アリとキリギリスの話の反論に対する違和感 | きぬちゃん(姓名:絹笠幸久)の知恵

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東工大院卒、元Sonyのエンジニア、研究職。現在は作家&旅人。
学んだことを応用して、生活を楽しむのは、完全に自由です。
僕なりの応用の仕方や事例を徒然にまとめております。

◆アリとキリギリスの話の反論に対する違和感

アリとキリギリスの話は、
夏に歌い踊っていたキリギリスさんと、働いていたアリさんにおいて、
冬場に、アリさんがキリギリスさんを助けなかったという話ですが、
この話で、アリさんはキリギリスさんに対して、

優しさが無く酷いという反論を言っていた人がいました。

言われてみれば、そう見えるかもしれないねと、
僕は思ったけど、同時にその反論に違和感も感じていました。

この違和感について僕はこうは思うのです。
もし、キリギリスさんの歌と踊りに価値があるというのであれば、
投げ銭を入れる箱を用意して、演じればよかったのでは?と思うのです。

価値を感じたアリさんの中で、

千円を投げ銭してくれるアリさんもいるかもしれません。

投げ銭入れの箱等を用意しておけば、

キリギリスさんは冬場寒い想いをせずに済んだかもしれません。

僕がこの人の意見に違和感を感じた点は、
価値が何によって決まるかという点が異なっているためでした。

この人は、キリギリスさんの歌と踊りの価値は、キリギリスさんが決めているという価値観です。
僕は、価値を決めるのは他者という視点なので、キリギリスさんの歌と踊りの価値は、

アリさんが決めるという価値観です。
キリギリスさんは価値を提案することまではできると思いますが、

最終的な価値をいくらと決めるのはアリさんというのが、僕の価値観です。

そこで、双方が合意できれば取引が発生し、合意できなければ物別れに終わります。

僕はこの人とは、経済的な価値観が合いそうにありません。