母の実家ということもあり、親戚が集まり鍋や焼き肉と大勢でご飯を食べることがありました。
多い時で週2~3回ペースであったと思います。

ある日の食事前、父は私にこう言いました。

「お前は肉を食べる身分やないからな。肉はみんなが食べるもんや。お前は野菜しか食べたらアカンぞ。」

小学1年生になったばかりの私は突然の父の言葉に驚きました。

え?…私はお肉食べたらアカンの?何でなん?身分て何?

頭の中は混乱して、心臓もドキドキしていましたが、私は
「うん…」と小さく呟いていました。

夜になり、みんなで集まり鶏の水炊きをみんなで囲みました。いとこは男の子ということもあり、暴れて大人の言うことなんて聞きません。天真爛漫に振る舞っています。
いつもはそれも楽しく、私も疲れるまではしゃいでいるのですが、その日はそれどころではありません…。父は私が肉を食べないか見張っています。父は親戚や祖母の前では非常に大人しい人でしたから、人がいるとそんな素振りは全く見せません。

私は鍋から白菜ばかりを取り
「胡桃はなぁ~白菜が好きやねん。」
と笑顔で白菜ばかりを食べていました。肉を食べれないことより、肉を食べてはいけないと言われているコトを誰かに悟られるほうがはるかに悲しいことにおもえていたんです。

そんな私を気味悪がり、叔母が鶏肉を私の小皿に放り込み
「胡桃!あんた白菜ばっかり食べてやんで肉も食べなさい…気持ち悪い子ぉやなぁ…。」
と言いました。

チラッと父を見ると、こちらを黙って睨んでいました。
母方の親戚は、母を含めて非情な人たちでした。
偏見や差別敵なことばかり言っていることが多く、父のことをみんなでバカにしているような感じでした。
そんな環境で父は何を思って過ごしてきたのでしょうか。
温かい家族を夢みて愛情に飢えていた父には、辛かった幼い頃と同じような環境に耐えられなかったのだと思います。
誰も味方のいない、誰にもわかってもらえない父の気持ちを考えると悲しくなります。
虐待された子の辛さは自分が身を持って体験してきたはずなのに…。


父は、その鬱憤を全て幼い私にぶつけることで発散するようになりました。
今では父に同情する気持ちも少しはありますが、許す気持ちにはなれません。

虐待は連鎖すると言われています。

何故なんでしょうか
私には理解できません…。

自分が虐待されて辛かったのであれば、自分の子にはそんな思いを絶対させない…と思うのが、普通ではないですか?


結衣が産まれた2年後には、もう1人の妹 美香が産まれました。

小学1年生になる7歳目前の2月に、私は3人姉妹の長女になったのです…。

本格的な虐待の始まりです…。
母の実家から200mくらいの距離に、母の姉の家がありました。いとこである3歳上の宏樹と同じ歳の亘とは毎日仲良く遊んでいました。

数ヶ月すると、母が出産しました。
4歳離れた妹が産まれたのです。
私は妹が産まれた嬉しさで、母が入院していた数日間少しも寂しいとは思いませんでした。
それに母が入院していた病院はいとこ宅の向かいにあったので、毎日昼間に会いに行けたので妹を連れて帰ってきてくれる日が待ち遠しくて仕方ありませんでした。
いとこの宏樹はよく私にリカちゃん人形を持ってきて
「なぁなぁ…胡桃。これと赤ちゃん変えてくれへんか?」
と言ってきました。もちろん可愛い妹を人形なんかと交換する訳がありません。「嫌や…胡桃の妹なんやで」
そんなやり取りは、大人からみると微笑ましい光景だったと思います。

妹は結衣(ユイ)と名付けられました。
私は幼いながらも、姉としての気持ちが芽生えていました。みんなに結衣が一番に可愛がられている環境が心地良かったのです。
私の大切な妹が可愛いと褒められたら、まるで自分が褒められたかのように誇らしい気持ちになりました。
だから、嫉妬や赤ちゃん返りもなく手はかからなかったと思います。

この頃から徐々に父は心の病に蝕まれていったのです。