4歳までとはいえ社宅での生活のことは3歳くらいからの記憶は残っています。イチゴやスイカ、バナナなどにコンデンスミルクをかけたおやつ…。
ポン菓子屋さんの車が団地に来ると、米と砂糖を持って同年代の子たちと走って行きパンっという大きな音に耳をふさぎながら大はしゃぎしたこと…。
社宅の2Fにもかかわらず、ベランダの柵の向こう側をてくてくと歩いてるところを母が部屋の中から発見し、腰を抜かしそうになるくらい驚かせたこと…。
そんな思い出が沢山つまった社宅から、祖母と叔父の暮らす母方の実家へと引越すことになりました。母が妹を妊娠したのをきっかけに、叔父や叔母が近所に暮らす実家に引越すほうが良かったのだと思います。
引越しの日…可愛がってくれていた同じ棟のおばさんが私を抱きしめて泣いていました。4歳の私は「お別れ」の意味もわからず、なんで泣いているんだろう?と不思議な感覚だったことを覚えています。同年代の子たちにも「またね」とあっさりとお別れしました。この母方の実家への引越しが私の運命を大きく変えたのです。

母方の実家は父にとって苦痛以外の何物でもなかったのでした…。

少し引っ込み思案な性格ではありましたが、みんなに愛された社宅での生活が終わりました。
私は1970年代の大阪の街に、大手電気メーカーに勤める父と専業主婦の母の間に長女として生まれました。

詳しい経緯はわからないのですが父は、子供のいない家庭の養子として育てられたようです。
その後その家庭に実子が生まれ、血の繋がりのない父は随分虐げられた生活をしていたということです。中学生の頃の父の写真を見たことがありますが、ご飯もろくに与えられていなかったのは一目でわかるくらいガリガリに痩せ細っていました。そんな父方のほうには親戚付き合いなどはありませんでした。
母の方は4人兄弟で、母方の親戚とは頻繁に交流がありました。
母方の祖父は私が生まれるずっと前に亡くなっていたのですが、祖母は私が初めての女の孫ということで大変喜んでくれたようです。
私は胡桃(クルミ)と名付けられ、大切に育てられました。

私は4歳まで父の会社の社宅で親子3人で暮らしていました。赤ちゃんの頃のことは当然覚えてないのですが、父は早く私の顔を見るために毎日汗だくになって帰宅し、私に自分の汗が付かないよう体から離して抱いていたといいます。
この話からも私はすごく大切にされていた事がわかります。本当にのびのびと育っていました。妹が生まれるまでは…
私は物心ついた頃から親に愛された記憶がありません。
親からの虐待は暴力だけではありませんでした。
小学5年から中学2年まで実の父親からレイプされ続けていたのです。
男性恐怖症の私は21歳の時、初めてできた38歳の彼氏ともうまくいかずに、母にこう打ち明けました。「お父さんに体とか触られたりしててん」
オブラートに包んだその言葉は、母に強い衝撃を与え、みるみる顔色が変わっていきました。

「お前は…お父さんとそんな事して38歳の中年男と付き合ってるんかっ!!変態っ!!」

その一言が、私の全てを壊しました。

「そうか…そんな事があったんか。辛かったな…気づいてあげられへんでゴメンな」

母からそう言葉が返ってくると信じていた私は、自分を大切にすることができない人間になっていきました。

虐待・自殺未遂・売春・結婚詐欺…今まで私が生きてきた壮絶な人生を少しずつ書き残していきたいと思います。