それからは、私が父の言動を母に言わないと見越した父は、私に小銭をよこせと要求するようになりました。

よこせと言う分にはまだマシでした。

当時私は祖母から貰うお小遣いを貯めて、アイドルの写真入りのお財布を持っていました。
すごくお気に入りで机に飾ったりしていました。

ある日、そのお気に入りのお財布がなくなりました。
「お父さんや…。」
中身は500円札1枚しか入っていませんでした(当時500円はお札でした)

中身だけ抜いたらバレるから財布ごと盗ったのか、私のお気に入りの財布をなくすことも目的だったのか…とにかく私はお財布だけは返してもらおうと思いました。なるべく父の神経を逆撫でしないようにと、淡々と言いました。

「お父さん…中身はあげるから財布だけ返して。」

この言葉に父が逆上しない訳がありませんでした。
今までの虐待は本気の力ではなかったと思います。
だけど、この時は違いました。
頭を思い切り殴られました。
痛みで一瞬フワッとした感じになり、耳の奥がキーンとして、耳が取れたかと思いました。
父はこの頃から力いっぱい殴る時は頭か背中を殴るようになりました。
虐待隠しの為でもあったと思います。
虐待の始まった頃は1年生で、体も小さかったから多少手加減はしていたと思います。
でも3年生…4年生となると、体も大きくなり、もっと力を入れて殴っても大丈夫だと思っていたのでしょう。

家には祖母や叔父、母と大人が3人もいて、私に対する父の行動は本当にわからなかったのでしょうか?
子供が出すSOSに気づかないのでしょうか?
ビンタされることが多かった私は鼻血もしょっちゅう出していました。粘膜が弱くなったのか、殴られていない日も出ることがありました。そんな私をみて母は「あんまり鼻ほじったらアカンよ。」
と笑っていることもありました。
父は小学3年生の私の通信簿の父兄からの伝言連絡欄に
「どちらかの耳が聞こえにくいようです」
と書いていました。
その通信簿を見て
「自分が殴るからやんか…。」と小さく呟いてランドセルに入れました。

今でも左耳は聴力が弱く、ストレスが溜まると鼻血が止まらなくなります。

だけど私の体が、殴られる痛みだけしか知らなかったこの頃はまだ幸せだったのかもしれません…。
私は小学5年生が終わる春休みに処女を喪失しました。

相手は実の父親でした…。
私は、そのヒヨコの出来事から、益々冷めた子供になりました…。

一緒に暮らしていた母方の祖母は、孫たちが熱を出したり病気になると
「お金やったら治るやろ」と言ってお小遣いを渡していました。
私も小学3年生の頃、高熱にうなされていたらわざわざ2階にあがってきてくれて千円札を握らせてくれました。
「これあげるから…頑張れよ」と言われ、嬉しかったのを覚えています。

私も他の妹やいとこのように同じように祖母がしてくれたことがお金より嬉しかったのです。

祖母が下へ降りてから、父が部屋に入ってきました。隣の部屋で聞いていたのです。祖母からのお金を私から取り上げ
「お母さんに言ったらアカンど。また返したるから。」
と低い声で脅し、持って行ってしまいました。

せっかくお婆ちゃんがくれたのに。

私は、お金を持って出て行った父を許せなくて母に言いました。

「絶対お父さんに言ったらアカンで」
と繰り返す私に母はイライラしながら
「わかったから何やの!!」
とヒステリックな声をあげました。

その時は言おうとしてることに必死で何とも思いませんでしたが、今思うと高熱を出した9歳の子供に怒鳴るなんて私には考えられませんが…。

「お婆ちゃんにもろた千円お父さんが盗った」

その日のうちに夫婦喧嘩がありました。私は
「お母さん…お父さんに言ったんや。」
と、わかりました。
数時間後、父が部屋に入ってきて私の顔にクシャクシャに丸めた千円札を投げつけました。

「返すつ言うたやろがっ!!…お母さんに言うなて言うたのに…このアホが。こんな金返したるわ!!」
と怒鳴りながら私に往復ビンタをして、ドアを思い切り強く音をたてて閉め、出て行きました。

この時に私は、泣きながらクシャクシャになった千円札を広げながら思いました。

誰も助けてくれへんのや…。
お父さんにされたことは、もう絶対誰にも言わへん…。
ある日叔母がこう言いました。
「結衣は建治と忠雄さんに一番好かれてて、美香はお婆ちゃんとお父さんとお母さんに一番好かれてるけど、胡桃は…誰からも一番には好かれてないなぁ。」

言われなくても気づいてはいました。妹2人は大人に甘えるのが上手いし、無邪気に喜怒哀楽を出す子供でしたから…。
それに引き換え私は冷めた子供でした。可愛くない子供だったと思います。
この言葉は今でも私の中に大きな闇となって居座り続けています。
「誰か私を世界で一番に好きになって」
という思いは、大人になった私の人生をもめちゃくちゃにしてしまいました(その話はまた書きます)

可愛くない子供になったのは、父からの虐待だけが理由ではありません。

夜店でヒヨコを数羽とってきた時の話。当時はノラネコが沢山いて、隙があったら家の中に入り込み、魚や肉をとっていってました。
そんなノラネコにヒヨコを食べられたこともあります。
その時も悲しかったのですが、泣きはしませんでした。
ヒヨコは可哀想だけど、ネコもまた食べないと生きていけないと思うと微妙な感情だったのです。

でも、違うヒヨコを下の妹が庭の土に生き埋めにしてホースで水を注いでいたのを見た時はその時以上の悲しみがありました。黄色の羽が少し出ていたのでわかりました。
私は慌てて妹を突き飛ばし、ヒヨコを出しました。ぐったりと体は伸びきり、ヒヨコは目を開けることはありませんでした。
ネコの時は「ネコは生きるために食べた」という理由がありました。
妹は3歳と幼かったとはいえ、意味もなくヒヨコを殺したのです。
私はそのヒヨコを手に持って祖母と叔母と母がいる部屋に走っていきました。
「美香がヒヨコ殺したぁ~!!」
この時ばかりは私は泣きながら訴えました。すると3人は笑いながら私をバカにしました。
「ヒヨコやろ?たかがヒヨコが死んだぐらいで何泣いてんの?」
意味なく殺され、死んでも笑われて終わりのヒヨコが、なんだか私と似てるような気がして涙が止まりませんでした。
それと同時に、ネコに食べられたヒヨコを「仕方ない。ヒヨコを可哀想て思ったらネコがお腹すいて可哀想になる。」と思った自分にも腹がたちました。
自分が買ったヒヨコなんだから自分が一生懸命守ってあげなければならなかったと悔いました。

「ごめんな…。こんなんされるために生まれたんちゃうのにな…」
私は殺された2羽のヒヨコに謝りました。