山本 周五郎
青べか物語

昭和初期の浦安(本書では「浦粕」)を舞台にそこに生活する人々を描いた掌編集。

「はじめに」「「青べか」を買った話」「蜜柑の木」「水汲みばか」「青べか馴らし」「砂と柘榴」「人はなんによって生くるか」「繁あね」「土提の春」「土提の夏」「土提の秋」「土提の冬」「白い人たち」「ごったくや」「対話(砂について)」「もくしょう」「経済原理」「朝日屋騒動」「貝盗人」「狐火」「芦の中の一夜」「浦粕の宗五郎」「おらあ抵抗しなかった」「長と猛獣映画」「SASE BAKA」「家鴨(あひる)」「あいびき」「毒をのむと苦しい」「残酷な挿話」「けけち」「留さんと女」「おわりに」「三十年後」の33篇。

きれいごとではなく、主義主張があるわけでもなく、淡々と著者と人々の交流や、聞いた話しなどを書いています。
今の日本にはこのような場所はもうないでしょうが、アジアやアフリカの寒村に行けば、まだ素朴でおおらかなこういう生活があるのかもしれません。
登場人物が生き生きとしていて、暖かい気持ちになれます。

「青べか」は青く塗られた「べか船」のことで、著者の分身である蒸気河岸の先生が芳爺さんから売りつけられた船です。

佐藤 賢一
アメリカ第二次南北戦争

2013年1月3日、ダラスで米国大統領が暗殺され、犯人逮捕に関するFBIの横暴に南部諸州が反発し、アメリカは南部を中心としたアメリカ連合国ともともとのアメリカ合衆国との内戦状態になる。
2016年、休戦となったアメリカに取材に訪れた日本人サトルが、義勇兵の結城、イタリア系アメリカ人ヴェロニカらとともに合衆国から連合国に向い、そこで出会うフランス人のファビアンと内戦再開のきっかけを作ってしまう、というような物語です。
著者には珍しく、歴史小説ではありませんが、歴史小説の視点も随所に見られる気がします。
また、フランス人ファビアンを通して語る話、旅を続ける中でのエピソードなどに、著者のアメリカに対する批判的な見方が見て取れます。

荒唐無稽な設定ではありますが、確かにアメリカが内戦を起こして、世界に対して正義の押し付けを起こさないようになれば日本や欧州にとってはそのほうがいいかもしれません。

町田 康
浄土

「犬死」「どぶさらえ」「あぱぱ踊り」「本音街」「ギャオスの話」「一言主の神」「自分の群像」の7編が収められています。
あり得ないシチュエーションにあり得ない人物と独特の文体という町田ワールドが炸裂しています。
すべてどうでもいいというか役に立たない話ですが、文学というより、読んで面白い、それだけでいいのではないかと思います。

市川 繁之, 鈴木 克憲, 織田 淳太郎
脳を鍛える筋トレ PNFとはなにか

「松井秀喜、野茂英雄、若乃花、貴乃花など、数多くのアスリートの体調管理を行い、“メイクミラクル”“メイクドラマ”時の読売巨人軍を陰で支えた市川繁之と、駒大苫小牧の躍進を医学面からサポートした鈴木克憲の二人が、スポーツパフォーマンス向上や肉体管理に絶大な効果を発揮するPNFの一端を、わかりやすく語る」ということなのですが、前半はプロ野球の成績の話ばかりで、PNFの説明もあまりなく、野球にそれほど関心のないぼくには興味が持てませんでした。
PNFというのは、proprioceptive neuromuscular facilitationの頭文字を取ったもので、日本語では、「固有受容性神経筋促通法」となります。
人体に存在する感覚受容器(レセプター)に抵抗、牽引、圧縮などの刺激を与えることで、身体機能を向上させるリハビリテクニック、ということです。
個人でのトレーニングについても説明はされているので、見よう見真似でできるのかもしれませんが、スポーツを本格的にやっているひと以外にはあまり関心が持てない内容だと思います。

小川 洋子

「海」「風薫るウィーンのたび六日間」「バタフライ和文タイプ事務所」「銀色のかぎ針」「缶入りドロップ」「ひよこトラック」「ガイド」の7編が収められています。
正直言ってあまり印象に残る作品はありませんでした。
小説ですから、別に何かを主張する必要はありませんが、読んでいて、何でこういう話を書こうと思ったのか、よくわかりませんでした。
著者の作品は「博士の愛した数式」はよかったのですが、それ以外はどれもぼくには合わないようです。


三浦 しをん
まほろ駅前多田便利軒

東京のはずれに位置する‘まほろ市’の駅前にある便利屋「多田便利軒」の多田と転がり込んできた高校の同級生行天が主人公です。
変人行天とハードボイルド風の多田、娼婦のルルとハイシー、10代の麻薬売人元締め星、小学生の由良にチワワのハナなど、登場人物のキャラクターはそれなりに面白く描かれています。
ただ、ハードボイルドとしてもユーモア狙いとしても、物語の展開やちょっとしたセリフなどに物足りない感じがするのは、作者がまだ若いからなのでしょうか。
「池袋ウエストゲートパーク」と似たようなテイストを感じるのですが、それには及ばない作品という感じです。
悪くはないのですが、これが直木賞を受賞するレベルなの?とは思ってしまいます。

姜 尚中
愛国の作法

目次は以下の通り。
第1章 なぜいま「愛国」なのか(1.なぜいま「愛国」なのか2.「愛する」とはどんなことか)
第2章 国家とは何か(1.国家と権力2.国家と国民3.国家と憲法4.国家と国家)
第3章 日本という「国格」(1.「自然」と「作為」2.「国体」の近代3.戦後の「この国のかたち」4.「不満足の愛国心」)
第4章 愛国の作法(1.何が問題か2.「愛郷」と「愛国」3.「国民の〈善性〉」と「愛国」4.「愛国」の努力)
むすびにかえて―「愛国」の彼方に
「愛する」とはどういうことか、「国家」とはなにか、ということから始め、 「愛国」をエトノス(自然‐民族‐血-感性)とデーモス(作為‐社会契約-理性)に峻別し、「美しい国」や「国家の品格」などのエトノスに流れる安易な言説を批判します。
また「国体」の概念など日本の「国格」について説明し、第4章で「愛国の作法」を論じます。
ここでは「愛国は愛郷の延長ではない」ということが強調されています。
「美しい国」では安易に愛郷の延長として愛国を語っていますが、著者は在日韓国人としての経験にも触れながら、論理的に「愛郷」と「愛国」とを峻別することを説いています。
そして敗戦の秋に出された石橋湛山の「東洋経済新報」社論「靖国神社廃止の儀」を引いて、「生きている者たち」が担うべき課題は、「もう一度やり直す」ことであり、また明治時代の「国民新聞」記者竹腰与三郎の「人民読本」などを引いて、国家が誤りを犯すならば、これを糺し「匡正」することこそ「愛国心」であると述べ、ただ美しい日本の伝統や国土、その文化や情緒をナルシシズム的に吹聴する「愛国」と区別しています。
現在の政治状況を鑑みると、必読の書と言えると思います。

佐野 洋子
覚えていない

著者はいま68歳とのことですが、著者が50代の頃、1990年前後に書いたエッセイをまとめたものです。
「本の雑誌」に書かれていたエッセイは読んでいた記憶があるのですが、久しぶりに著者のエッセイを読みました。
女としての「入り口」が違うので、男や息子の友人からまでも恋愛相談を受けてしまう「女の入り口」、策略を使う女に比べ、働いて女房子供を養う男のほうが善人であると語る「悪女と善人」など軽妙な筆致で描かれています。
一番面白かったのは「山小屋の渡辺淳一」。女友達と山小屋に行ってたいくつしのぎに渡辺淳一の本を読むわけですが、おばちゃんふたりの突っ込みは笑えました。

奥野 修司
心にナイフをしのばせて

1969年春、川崎にある男子高校で、一年生が同級生に殺されるという事件が発生、被害者はめった刺しにされた上、首を切断されていた…。
神戸の「酒鬼薔薇」事件の28年前に起こった事件です。
本書は、「酒鬼薔薇」事件をきっかけに筆者が掘り起こし、被害者遺族を襲った悲劇を追ったルポルタージュです。
被害者の遺族は、父母と妹。父は既に取材時には亡くなっており、母と妹からの取材を中心に語られています。
事件から30年が経過し、周辺取材も限られたものとなったことから、主に、被害者の母、妹の一人称で語られている部分が多くを占めています。
被害者の母は、事件後何年も寝込み、人格障害を疑われるような状態となり、その時期の記憶すら失ってしまいます。
父は気持ちをすべて飲み込み、母を支えますが、妹は感情を表せなくなり、両親に反抗し、リストカットまでします。
家庭崩壊寸前まで行きながら、なんとか立ち直り、暮らしていた家族ですが、犯人の少年Aは、少年院を出たあと、なんと弁護士となって地方で法律事務所を経営していたことが判明します。
しかも、連絡を取っても謝罪はなく、少年Aの親が契約したこととはいえ、慰謝料の7百万円も支払わないという非常識さです。
被害者家族の悲惨さがよく描かれているとともに、筆者の言うように少年法のいう「更正」の意味を考えさせるものでした。

平谷 美樹
銀の弦

渓流釣りに出かけた先で、持ち物までそっくりの「もうひとりの自分」に出会った片倉。その日から世界がゆらぎはじめ、記憶が混ざり合う。本人による本人の殺人…。
パラレルワールドの話で、それが超ひも理論等により説明されます。
前半の世界が交じり合う話は面白く読めたのですが、後半、理論的な説明になってからはちょっとムリがあったように思います。
理論的に新しい説明がなければ新味がないのかもしれませんが、下手な理論的説明はつけずに、前半の話をうまく完結させてほしかったと思います。