ゲームは終盤よりも中盤のレベル上げが楽しい。終盤になるとやる気がなくなる。 | ともの闘病日記(うつ病)

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2017年11月6日に「うつ病」と診断され、回復までの「つぶやき」や「泣き言」を投稿してみます。
【注意事項】感情の起伏が激しい為、過激的な内容になっています。
読んでくださる前には過激な表現・内容になっていることにご注意ください。
※2020.07.03タイトルを変更

いつも闘病日記を読んでくださり、ありがとうございます。

いきなりゲームの話をして「何のこと?」とお思いかと思います。

ゲームで表現したら終わりよりも中盤のレベル上げが楽しい。

今の私もそうなのかなと思って。

病気を寛解するよりも、病気と一生懸命に戦っている自分が
誇らしいと思っているのかもしれません。

そりゃ、寛解する方がいいはずなのです。

一番今が苦しいはずなのです。その苦しい時の方が不安が
少ないのかなな。

寛解した時にどうなるのかがわからないから怖い。

寛解したら新しい人生が待っているのはわかっているし、きっと
いい方向に進んでいくんだろうなとも思っています。

ただね、その状況が怖い。

今からその状況を考えると不安で仕方がないです。

先が見えないから不安になってしまっているのでしょうね。

だから不安定ながらも今がまだ楽なのかもしれない。

これだけ苦しんでいるのに、これ以上苦しむことがあると
思うと、今のままでもいいとも思ってします。

先のことはわからないのは当然。
寛解して一般就労して生活費を稼いで老後に備える。
当然のことをしていくだけなのです。

それが不安になってしまっています。

ゲームも同じ、終盤で終わっているゲームがたくさんある。
エンディングをみないまま、レベル上げだけをしているものがたくさんある。

一区切りしてしまうことが怖い。

怖いから今の現状を維持しようとしてしまいます。

病気もここまで戦ってきて、受け入れようと決めて、さぁ、これからだという時に
限って急にやる気が低下してしまう。

自分を変えていこうとすることが怖いから。

それがたとえいい方向に変わっていこうとしていても、怖い。

なんか変だよね。寛解する自分より、今を苦しんでいる方が楽に思えてしまうなんて。

きっと先が見えないからそういう思い込みに走ってしまうのだろうな。

先が見えないのが人生。

だからこそ、頑張って生きていくんだ。

それを恐怖に感じてしまっている自分が情けなく思います。

病気を受け入れると決めたのだから、病気と付き合うと決めたのだから、
上手に共存をしていけるといい。