寝てばかりの1日。昨日の疲れがでているのかな。 | ともの闘病日記(うつ病)

ともの闘病日記(うつ病)

2017年11月6日に「うつ病」と診断され、回復までの「つぶやき」や「泣き言」を投稿してみます。
【注意事項】感情の起伏が激しい為、過激的な内容になっています。
読んでくださる前には過激な表現・内容になっていることにご注意ください。
※2020.07.03タイトルを変更

昨日は三女を迎えに県外の高校まで行ってきた。今日から三女は春休み。
隣接県とはいえ遠かったですね。
まぁ、三女は元気そうでなによりでした。

その疲れが出たのか、今日はぐったり中です。どこかに出かけようにも
元気がでませんでした。
ご飯を食べては寝ての繰り返しをしていました。

何か行動をしたかったけれど何もできずです。

ひたすら寝ていましたね。

本当に寝て過ごす日が増えてきたなー。去年はそれでも土日でも散歩のために
どこかに出掛けていたのにな。

去年と違うのは飲酒量は確実に増えました。
お酒がまずいのかな。
いや、確かにDrストップかかっているのですが、「飲まなきゃ、やってらんね」の
日々なので困ったものです。
鬱々した状況を打破したくて飲んでいるけれどそれも間違いなんだけれどね。

今年はなんとか寛解に持っていきたいのだけれど焦ってしまいますね。
もう今年は3ヶ月が終わろうとしていて自分の状況がかわっていないことが
焦りの原因です。

一昨年から吹奏楽活動ができなくなり、趣味と呼ばれるものもなくなり、
一人でいる時間が増えてしまった。

一人でいる時間が増えるとろくなことしか考えない。
生きていく希望がないから自◯を考えてしまう。死を望んでしまう。
死を望んでいるのじゃないな、存在を消したくなってしまうのだろうな。

日曜日に屋根のトタンの張り替えをおこなっていたけれど、高さが怖かった。
死を望んでいるなら恐怖心なんてないはずなのに、高所は恐怖心があるみたい。

どこかで生きていたいという気持ちは残っているということかな?

いきたいという気持ちが残っていないと思ったけれど、残っているんだなーと
思いました。

生きていく希望がないとよくブログに書いているけれど、どこかに残っているのかな?

承認欲求があるということはどこかで自分を認めてほしいという気持ちがあるのだろうな。

ということはやっぱりまだ生きていたいという気持ちがあるのだろうね。

そうじゃないと、1日10分学習なんかしないか。

生への執着なんてないものだと思っていたのに、どこかで生きていたいという気持ちが
あるのでしょうね。
そっかー、まだ生きていたいと思っているんだよなー。意外。

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子供のぎゃん泣きがつらい。いつまでこのぎゃん泣きは続くのだろうか。

うつ病が悪化してからというもの、子供の相手が苦痛でしかない。

あまり関わることがないとはいえ、同じ家にいるからぎゃん泣きの声が聞こえてくる。

日中は両親や娘が面倒を見てくれているので直接関わることはないけれど
いつも晩ごはんの前後はギャン泣きをする。

少しでも落ち着いてくれると本当に助かるのですが。

何歳くらいになったら落ち着くのかな。娘たちは大きくなっているから
どうだったか覚えていないや。

この病気になってからというもの早食いに拍車がかかった。
少しでも家族と一緒にいる時間を少なくしようとしてしまい、早食いになってしまっている。
体にはよくないんだろうな。

わかってはいるのですが、誰かと接する時間がしんどいから食卓から逃げてしまう。

なかなかうつ病が落ち着かないですね。