Ⅱ. これまでの経緯と仮説


(フィールドワーク)
・ 東京電力パワーグリッド大町線(2018年3月17日、5月20日、6月24日、
  9月2日、9月23日、11月23日、12月2日、2019年2月10日)
・ 昭和電工青木送電線【廃止】(2018年10月6日、11月3日)
・ 昭和電工青木発電所 → 昭和電工大出水路センター → 昭和電工常盤発電所 
  →昭和電工広津発電所を結ぶ導水路(2018年11月11日、11月18日)
・ 昭和電工常盤送電線(2018年11月11日)
・ 昭和電工広津送電線(2018年4月28日、11月18日)
・ 東京電力リニューアブルパワー高瀬川第一発電所(2019年3月2日)
・ 東京電力パワーグリッド高瀬川第一線(2019年3月2日)
・ 東京電力パワーグリッド高一水路線(2019年3月9日)
・ 中部電力パワーグリッド宮城昭電広津線(2019年5月11日、6月9日、
  11月16日、12月1日)
・ 東京電力リニューアブルパワー高瀬川第五発電所(2019年5月25日)
・ 東京電力パワーグリッド高瀬川第五線(2019年5月25日、6月1日)
・ 中部電力パワーグリッド中房第五分岐線(2019年6月1日)
・ 中部電力パワーグリッド中房宮城線(2019年6月1日)
・ 中部電力宮城第一発電所(2019年6月1日、7月6日)
・ 東京電力パワーグリッド大町線常盤支線(2019年12月15日)

(中間報告)
本編 歴史探訪 高瀬川電源開発史(1922-1924)(2019年4月20日)
本編 昭和電工大町事業所に接続する送電網(2020年1月2日)

(これまでの調査から事実関係を整理)
① 昭和電工大町事業所の変電設備の中に、大正14年(1925)3月と表示された中部電力パワーグリッド宮城昭電広津線第133号の最終鉄塔が存在する。それは昭和電工青木送電線の最終鉄塔を兼ねていた。
② 時を同じくして、大正11年(1922)から大正14年(1925)に掛けて森矗昶氏を建設部長とする東信電気株式会社は高瀬川に五基の水力発電所を建造し、大正13年(1924)8月5日に関東に向けて送電を開始している。
③ 昭和電工大町事業所に接続している送電線は5路線(その内、昭和電工青木送電線は現在廃止されている)。その中で最も古いと確認されている路線が昭和13年(1938)運用開始された東京電力パワーグリッド大町線常盤支線(当時は東信電気高瀬川送電線常盤支線と思われる)。ただし、中部電力パワーグリッド宮城昭電広津線の運用開始がいつなのかは確認されていない。
④ 昭和電工株式会社大町事業所がある現在地に最初に工場を建てたのは、森矗昶氏が経営する日本沃度株式会社昭和アルミニウム工業所。その設立は昭和8年(1933)。
⑤ それから遡ること14年前の大正8年(1919)日本軽銀製造株式会社信州工場が大町に誕生しアルミニウム電解実験が開始されている。この時の開発責任者だった藤森龍麿氏を森氏は、日本沃度株式会社昭和アルミニウム工業所大町工場の工場長として迎えている。

(疑問点)
なぜ昭和8年(1933)現在地に建設された現昭和電工大町事業所の敷地内に大正14年(1925)3月に建造された送電鉄塔が存在するのか。


■ 送電鉄塔のプレートを写す(2019年12月撮影)


(仮 説)
昭和アルミニウム工業所を設立する以前から森矗昶氏はアルミニウムの生産工場を大町に造ろうと考えていたため、日本軽銀製造信州工場に高瀬川の水力発電所から電気を供給したのではないか。同信州工場は現在の昭和電工大町事業所に立地していたため、大正14年(1925)の送電鉄塔が同敷地に存在するのではないか。戦後になって、宮城昭電広津線に譲渡されたため中部電力が所有しているのではないか。さらに送電路線について以下のような仮説を立てた。

① 以前は、高瀬川の水力発電所と現昭和電工大町事業所とを接続する送電路線が存在していたが、現東京電力パワーグリッド大町線常盤支線(当時は東信電気高瀬川送電線常盤支線と思われる)の完成に合わせ不要になり廃止された。
② 昭和14年(1925)以前の路線も実は常盤支線と同じで、例えば昇圧する必要が生じて建替えられた。
このいずれにしても、中部電力パワーグリッド宮城昭電広津線第133号送電鉄塔は、唯一残っている当時の鉄塔である。
 


個人研究ノート(2021) Vol.3に続く