2019年5月1日(wed)

 

森吉山ダムは、米代川水系阿仁川の支川・小又川に建設された中央コア型ロックフィルダム。中央コア型とは、ロックフィルダムの中心部に遮水壁を設ける構造を指す。Flood control(洪水調整)、Normal function of the river water(流水の正常な機能維持)、Agriculture(農業)、Water supply(上水道)、Power generation(発電)の5つの目的を持つ多目的ダム。(写真/奥にみえるのが、ダムの広報館と能代河川国道事務所森吉山ダム管理支所) 
 

森吉山ダム

昭和48年(1973)に調査事務所が開設されたときは、阿仁川ダムを名乗っていたが、昭和63年(1988)、地元町の要望で、この地域を象徴する森吉山(写真奥)に因んで森吉山ダムに改称されている。 

 

森吉山ダム

米代川流域は、秋田天然杉に代表される森林資源は元より、阿仁鉱山から主に銅が産出され、舟で運搬されていたという。しかし、この流域は大雨による氾濫を幾度となく繰り返しており、「暴れ川」の側面も持ち合わせていた。昭和47年(1972)戦後最大の大洪水に見舞われ、甚大な被害を被ったことからダム建設の声が上がる。(写真/右岸からダム堤体をみる) 

 

堤高は89.9㍍、堤頂長は786㍍、堤体積は585万立方メートル。国土交通省東北地方整備局が管理している。(写真/天端は歩いて渡れる。堤頂長は、東北地方のロックフィルダムとしては最長を誇る) 

 

森吉山ダム

昭和48年(1973)実施計画調査に着手。阿仁川ダム調査事務所を開設するものの、200戸とされる全戸移転が終了したのは平成8年(1996)。なんと38年の月日を費やし平成23年(2011)森吉山ダムは竣工した。(写真/ダムサイトをみる) 

 

森吉山ダムでは、技術的な中立性を保ちながら、設計や工事発注方式の検討、工程管理、コスト管理などの各種マネジメント業務を行うCMR(コンストラクション・マネージャー)を日本初で導入している。この工事では、堤体工事と原石山工事(ダムの材料となる岩石などを採取する工事)が別々に発注されており、両方の施工調整もCMRが担ったという。(写真/堰堤に点在する空気抜きのようなものにみえるが実際何なのかは不明) 

 

堤体の下部には倉庫のような建物もあるが、これが何かもわからない。さらにその左奥にはトンネルの坑口もみえるが、これが建設工事用に掘られ、そのまま監査廊に通じるものなのか、単に想像するだけで真実に踏み込めない。平日なら一人でもダムの見学に応じてくれるそうなので、近くに住んでいれば参加して、謎を解き明かしたいものだ。 
 


森吉山ダム Vol.2に続く