年老いる | ぽたらか

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ぽたらかは20年の歴史を閉じます

カンボジアのお寺に老人施設を寄付した。入所第一号のばあちゃんはこの後、親戚の息子と名乗る男に連れ去られて、死ぬ迄乞食を強要されるらしい。ばあちゃんはそれでもかまわないと言って住職の制止を振り切って、自ら車に乗って行ったとー。

 

カンボジアの老人は金がある人は寺に小屋を建てて、お賽銭のおこぼれで余生を過ごし、お坊さんに最後はお経をあげてもらうことが望みだという。金がない人は乞食をする。痩せたばあさんなんかはもらいがよくて、子供たちや孫たちまでばあさんの乞食の収入にたかっているなんてのはよくある話である。

 

「乞食が出来なくなったら?人に介護されるようになったら?」誰に聞いても「介護?なんのことだい。動けなくなったら死ぬだけだろ?」「いやいや、直ぐには死ねないでしょ。ボケて徘徊するようになったら、どうする?」「大丈夫だよ!カンボジアでボケて徘徊してたら、その日のうちに死ぬよ。何せ、暑いから…。」そういわれると、何も言えない。

 

落語に出てくる江戸の長屋なんてのは、子供に先立たれた年寄りと親を失った子供は長屋の大家にお上から給付金が出て、地域の宝として面倒をみることが当たり前の時代だったらしい。

 

私の師僧は明治27年の生まれだったから、親は江戸末期の生まれなわけで、家庭では親でも子供を呼び捨てにはせず、学校では男女平等に席を並べて、先生でも生徒同士でも「…さん。」付けで呼んでいたという。

 

満の98歳で亡くなった師僧は、亡くなるその日にも朝から往復13㎞の散歩をし、帰って一番風呂に入り、ロシア語の革命家を歌いながら、湯に入ったまま、息を引き取った。よく、枯れ枝のように倒れて死ぬという理想的な死に方の例えの通り、亡くなったのである。

 

献体をしていたので、1年後遺骨を引き取りに行った時、解剖の結果を聞いたが、死因は肝臓癌だった。痛いとか、苦しいとか我慢が全くできない人なので、本当に何ともなかったのだと思う。少々からだがだるくたって、これだけ歳を取っているんだもの、こんなもんだろうって思っていたに違いない。

 

歳を取って死ぬのは当たり前の話。しかし、今は高度医療のおかげで、苦しくても長生きはできるが、楽には死ねない時代になった。カンボジアのばあさんが可哀そうとは思えなくなったこの頃…。

 

わがぽたらかのじいちゃんは死期が近づいたら、何もしない。何も我慢しない。いつも通り。

 

翌朝、往診のDr.が死亡診断書を書いてくれる。みんなでにぎやかに通夜をする。それだけ。