百人いれば4人は統合失調症だと言われる現代である。その確率はぽたらかにおいては、世間よりはるかに高い。統合失調症、うつ、発達障害……。若年者ホームレスにおいては八十パーセントを超えると言ってもいいかもしれない。
むしろ何かしら、精神疾患があるからこそ、長い間路上生活をしなければならなくなったのかもしれない。
統合失調症と軽い知的障害がある四十代の男性がいた。犬を見たのは初めてのようで、ゴールデンリトリバーのランちゃんにびっくりしていたが、ランちゃんは優しく彼の膝に頭を擡げて、『大丈夫だよ。』というように甘えた仕草をしていた。
おおよそ、一度も人生において口角を上げたこともない不愛想な男が、生まれて始めて笑顔を見せた瞬間だった。
そんな彼がある日、失踪して一週間が経った時だった。まだ、四十代という若さなら、自らの意思でいなくなったことも考えられるので、本来は警察に捜索願を出しても受け付けてもらえないものだが、統合失調症ということで、特別に迷子として捜してもらっていた。
神奈川県警から連絡があり、横浜で保護されているとのことで、早速迎えに行った。彼を見つけてくれたのは、所謂ミンボーの刑事さんで、何で?と一瞬思ったが、彼はなんでも錦糸町で声を掛けられて車に乗せられて、横浜の会社で働かされそうになったのだが、
「あのとおり、とても使い物にならず、放り出されたそうです。暴力団のシノギとして資金源になっているのではないかと、我々が追っていたところでして、そこへ彼が保護されたというわけです。その時、制服代として2,3万円要求されて、彼は払ったそうです。もし、そのお金を取り返したければ、被害届をだしてください。」
偶々、生活保護受給後だったから、お金があったんだな。それにしても、どうみても働ける人間のようには見えないのに、あんなのを連れて行ってどうする気だったのだろう。
「もういいでしょ?お金は返ってこなくても。」
「うん、うん。もういい。早く帰りたい。」
泣きじゃくる彼の手を引いて、電車で帰ってきた。彼を連れていった担当者は、上司にさぞかし怒られただろうな。「おまえ、少しは人を選べ!」って。
当時、まだ二十代だった高野君は首にまでタトゥーを入れているパンクな若者だが、いつもニコニコ、「ボクの先祖は吸血鬼だったから、トマトジュース飲まなくちゃいけないんですよ。」共通点は赤いというだけだが、本人がそれでいいならいいかー。
彼には兄妹がいる。しかし、何があっても連絡してくるなと言われているらしい。彼は、
「しかたないすよ。」
と寂しそうに笑うだけで、細やかな愛情の持ち主だった。
やがて、高野君は入院→転院を繰り返し、その後ぽたらかには戻ってきていない。
統合失調症は服薬治療を続けながら、社会復帰することもできるが、長期に精神病院に入院することはできず、(精神病院そのものが、診療報酬が低いので長期入院を嫌がる)結局は在宅で精神科外来に通院することをどんな状態の患者も強く求められる。しかし、家族や家がある人ならいざ知らず、家族がいても対応できないこともある。
なおさら、一人暮らしだと、服薬管理ができないし、周辺の人々には理解できない妙なこだわりがあって、トラブルも多いのでアパートから退去させられることも。
したがって、ぽたらかのような無料低額宿泊所に入ることになる。その前は、公園の野宿者になっていることも多い。
岩崎君は親に見捨てられて、養護施設で育った。二十歳前に発症し、精神科に通院した。その時の主治医が良い先生で、あの時が一番穏やかだった、あの時に帰りたいが今はその先生はいないという。
この病気は精神科医との信頼関係と自分に合う薬との出会いが一番だと思う。彼はなかなかその出会いがなかった。
やがて彼は被害妄想が激しくなり、寮で暴れるようになる。家族のように親しく付き合っていても、私たちは所詮他人。本人かもしくは家族の同意がなければ、強制入院はできない。困っているところに、彼がいつの間にか飛び出して、浅草の交番に押しかけて、大暴れしたらしい。即刻、強制入院。
入院したのは千葉の鎌ヶ谷病院。そこが彼にとってドンピシャ、だった。3か月の入院後、帰ってきたときは見違えるような好青年になっていた。でも、その後、区が推薦している精神科に通院すると、また不穏な状態になる。鎌ヶ谷病院で処方されたのと同じ薬を出してくれと言っても、医者のプライドか絶対処方してくれない。
仕方なく、彼は養護施設があった郷里に帰って、あの時通った精神科の先生を探してみると言って、退寮した。
精神科医院はデイサービスをおこなっているところが多い。中には都内各区の生活福祉課とつるんで、いや結託して、もとい連携して、生活保護受給者を囲い込んでいる所がある。
稼働年齢で生活が苦しいから、一時的にでも生活保護を受けたいと窓口に来た人は、必ずと言っていいほどに精神科を受診するように勧められる。検査結果でわかる病気ではないから、精神科医がこの人はうつだ、統合失調症の疑いがあるだのと、適当な診断書を書けば、生活保護受給が決まる。
役所の担当はそれで生活保護がうけられるのだから、良かれと思ってやっているのかもしれない。精神科医院では向精神薬を飲ませておけば、そのうち本物の精神疾患になる。
顧客確保に不自由しない。得をするのはどこだろう。
各区に生活保護受給者の精神科デイサービスを展開している所に、毎日通っていた入寮者の話では朝、車でスタッフと運転手が迎えに来る。今日は行きたくないと言っても、有無を言わさず、羽交い絞めにして連れて行く。中には窓を壊して、連れて行かれたことがあったと証言する人もいた。
デイでは、朝から晩まで日曜日を除く毎日、昼.と夕の2食の弁当が提供される。時には順番でシャワーに入ることができる。もちろん、服薬も金銭も管理される。それ以外、全く何もしない。ゲームもない、テレビもない、本もない。みんな、ただひたすらうなだれて座っているだけ。
『まだ、刑務所の方が楽しかった。』経験のある人は口をそろえてそう言っていた。精神科外来の闇は深い。
元派遣社員でスタッフ募集に応募してきた土屋君は、入寮者のおばあちゃんに手をあげていたので、辞めてもらったが、それが精神疾患を理由にクビにしたと、退寮後、首都圏ユニオンの幹部を連れて抗議にきたことがあった。
本人は言わなかったが、最初に面接した時からわかっていた。辞める時も「親御さんの所に帰って、ちゃんと通院治療しなさいよ。」と説得して辞めてもらっていたのだが、精神障害はあるけれど知的障害はないので、幾分かの悪知恵は働くようだ。
それから十数年、今でも季節の変わり目になると無言電話が彼からかかってくる。彼の番号と非通知は着信拒否にしている。そりゃ、電話の向こうで奇声が聞こえると、知らない人間が受話器をとったら、たまげるだろうから。彼なりに聞いて欲しいこともあるのだろうけど、いくら私でも、「キエーっ。」って雄叫び上げるだけではわからない。