施設でもなく宿泊所でもなく『家』 | ぽたらか

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ぽたらかは20年の歴史を閉じます

永井さんを看取ったのが、最初のターミナルだった。永井さんは末期の大腸がんで手の施しようがなかった。往診に来てもらってモルヒネを中心に緩和ケアをぽたらかで我々だけで行うことにした。

一度だけ、在宅で死を迎えるについて本人に自信がなく、近くの過去に殺傷事件のあったS病院に入院したが、一週間で退院したいと言い出した。しかし私が会計を済ませるときに痛みが襲ってきたらしく、蹲った永井さんに看護士が、決して心配するふうではなく「どうしたのお。」と声をかけてきたが、必死に体をおこして「大丈夫です。」と気丈に答えていた。具合が悪くなって退院が取り消しになったりしたら大変だと思ったのだろう。

看護士教育は決して行き届いているとはいえない病院であった。むくつけき男ばかりのぽたらかのほうがよっぽどましだったのだろう。痛みを分かち合う、想像力を持って人を理解する。普通のことなんだが。うちの連中のほうが優れているとは。

ありがとうと言える人の本当に少ない中で永井さんは癌の痛みの中で、飲み物を持っていったら「ありがとう。」おむつ交換をしたら「すみません。」どんな時でもいってくれた。最後は静かに穏やかに眠るように逝った。

葬儀が終わって数日後、妹さんと連絡が取れ、「癌だったこともホームレスだったことも知りませんでした。申し訳なかった。」といって頭を下げ遺骨をしっかりと抱いて帰っていかれた。

小林さんの場合もそうだった。問題行動があるからという事情で山谷にあるNPO法人の無料低額宿泊所を追い出された。少しは認知症が認められるものの、大人しくニコニコしている可愛らしいじいちゃんである。なんの問題行動かと思えば、たばこの火で座布団を焦がしたらしい。なんだ、そのくらい。第一、ボケているじいちゃんがタバコを吸うところを見守っていないのか。

ぽたらかではタバコは自分の小遣いで買っているのだから、取り上げる訳にはいかないが、ライターを管理している。それで充分だ。

ただ、困ったのは倒れて意識不明になることが多く、明らかに脳に異常があるはずなのになんの医療情報も届いていないことだった。

何度も以前、入院していたという病院に運んで検査してくれるように頼んだが、医者は「大丈夫です。」というばかり。

入寮してすぐに寝たきりになった。その頃一階は社員寮兼宿泊所だったので、常にスタッフがそばにいる。真夜中でも「おーい。」と小林さんが声をあげると、「なんだ?ションベンか。」と誰かか起きて顔を覗き込む。すると。小林さんはうれしそうににこにこするだけである。そんなことが繰り返され、みんないいかげんにしてくれよ、と訴えるので、

「おーい、て人を呼んでも今まで誰もきてくれなかったのかな。呼んだらきてくれるってことがうれしいんだよね?小林さん。」 

と、私が語りかけるとこれもニコニコして答える。しょうがねえなあ、とみんな納得してくれた。

そして、うちに来て一ヶ月後の早朝「小林さんが息していない。」と電話が入ってすぐに駆けつけた。小林さんの死に顔はニコニコしたままだった。

すぐに、救急車を呼んだが、もう死んでいるということで警察が来た。病気のことは知らされていないので説明できない。それで不審死ということになり、まるで私たちが毒でも盛ったのかといわんばかりのしつこい詮索だった。

結局、解剖所見から脳卒中と分かり、遺体を引き取りに来てくれと言われて警察に行き、三日後荼毘にふした。

病院からさらにその一ヶ月後、小林さんの医療情報が届いた。それには無数の病名が書き込まれていた。本来、在宅で介護するには難しい人だった。病気を明らかにすると私たちが引き取らないと思ったのか。おかげで、私たちは警察から殺人犯のような扱いを受けたのだ。

小林さんの遺骨は砕いて小さな巾着袋に入れてあった。いつかぽたらかでお墓を買ってみんなを入れるために。

ところがある日、小林さんの娘さんが現れたのだ。死亡届を出してあることに吃驚して、病院を尋ねてここまで来たということだった。最近まで連絡は取り合っていたし、病気だったなんて知らなかった。ホームレスって遠い世界のことだと思っていた。こんなに身近にいただなんて、ましてや、親がホームレスをしていたことを娘が知らなかったって恥ずかしい。

消え入りそうに恐縮して遺骨を抱えて帰って行かれた。

小林さんの認知症はぽたらかに来てから始まったのではないと思う。それにあの人恋しさぶりはよほど長い間独りで孤独だったんじゃないか。いや、家族がいてそれを守るために我慢していた人の行動のようでもあった。

小林さんの火葬を済ませて帰る道中、車中で携帯にKさんの様子が変だと、連絡が入った。慌てて帰ると、口から泡を吹いている。心臓発作だった。救急搬送し、病院で死亡が確認されたが、石川県の親と連絡がついたので親が遺体を引取りにくるという。まだ四十五歳でどこも具合の悪そうな人でもないし、入寮したばかりなのでどんな人だったか、私は把握しきれていなかった。

有限会社ぽたらかは福祉事務所からの依頼で遺品整理の仕事もぼつぼつ入るようになっていた。生活保護受給者が部屋で亡くなった場合、残置物処分費用は四万円未満までなら、保護費の中から出るらしいのだが、その範囲で請け負う業者もなく、我々としても儲けにはならないが、仕事はないよりはいいというわけで、請け負っている。

孤独死は高齢者と限らない。むしろ、多いのは四十代、五十代の男性である。独り者の男性は栄養管理もできず、病気になっても自覚症状がない。地域社会とコミニュケーションを取ることも苦手である。貧困から生活保護を申請しようとしても、まだ働けるといわれて受理してもらえない。死後、数週間経って臭いで発見されるということが多い。

ぽたらかをグループホームにしないかという提案はよくあった。実際、グループホームみたいなものだけれど、高齢者対象の介護施設であれば、若年者で保護を必要としている人を救えない。

私たちの少しのフォローがあれば、独居生活可能な人はアパートに自立させることができる。その場合は保証人だけではなく法人契約にする。でないと不動産屋が嫌がるのだ。

アパートで孤独死されると事故物件になる。私たちが入ってケアしてくれると、家賃を踏み倒されることもない。空いたら次の人をすぐに入れてくれる。第一生活保護は遠慮される。トラブルメーカーが多いのだ。

家賃を含めた生活保護費を受給日に受け取ると、その足でパチンコにいく。一週間で使い果たす人が多い。

私たちは法人宛にまとめて現金書留で送ってきた保護費から家賃・光熱水費を払って、その残りを本人に渡す。そうやってきた。

しかし、今はそれができない。私たちのような活動を貧困ビジネスと決めつけた東京都は本人が全額受け取る、公共料金等を払わなくて家賃も踏み倒して、追い出されても構わない、という方針に踏み切った。

これは人権団体の地道な活動によるものらしいが、おかげでこれから益々、孤独死も増えていくことだろう。