POST NOTHING 何も無いを超えて

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欲しい作品でなくて、必要な作品を紹介します。
自主映画を作ろうと思うので、プロジェクトに関わりたい人はコメントなど・・

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宮崎駿のシュナの旅です

宮崎駿の作品を見てるといつも感じるのはこのロリコン兵器マニアの分裂です。
たぶん戦争になったら真っ先に飛行機乗りに志願して爆死するようなタイプの人間なのに、平和の時には平和を支持してみたりする、いってみれば
「良い奴ばかりが死んじまったなぁ」
と回顧されるであろう良い奴が生まれる時代を間違って亡霊のように僕らのところにいるという感じがするのです、こいつには。というかアニメーターという人種が生まれる時代を間違えた良い奴らなのだとも思える。

本の内容はチベットの民話です、貧しさがどうのこうのといういつものやつ。確かに人間と自然について語るとそれっぽくなるのは誰もが承知の助でして、物質社会を否定するのもやっぱり形にはなる。でも僕らはそこにいるのであって、そこで生きてるんだからただ単に否定してもしょうがないし自己欺瞞でしかない、それも宮崎が抱える分裂の一つで、この時代の「良い奴」全員が抱えてる分裂でもある。

分裂しないためには芥川が太宰のように死んでみるしか道はないのでしょうか・・・


タルコフスキー監督のノスタルギア
この前書いたドキュメンタリーの完成バージョンです

タルコフスキー映画には批評の介在する場所はないと思われます、彼の映画にはストーリーではなく詩があるのみだから、そして詩を表現するのがビジュアル・アートの役割なのでしょう、物語を語るには映画は人間の野蛮で稚拙な欲望を刺激するのに適していますが、内容が浅はかなものに成ります、しかし詩ならば、はるかに多様で広がりを持った表現ができるでしょう。

特にエヴァンゲリオンが好きな人に見て欲しいと思います、エヴァがガンダムとロボットアニメの歴史の集大成であって、結局のところ商業アニメの枠にとどまっているのに比べノスタルギアはべートーヴェンの歓喜をどのように使っているのか、ともかく恐ろしく感動的な映画です。

今日、ドストエフスキーに関するラジオ講演を聴きながら散歩していると、公園で子供が遊んでいた

カラスにゴミを食べられないように設置された金網のボックスの中にケイドロ捕まえられた子供が入っていて、マントヒヒみたいにガシャガシャと叫びながらそれをゆらすのだが、上には違う子供が乗っかっていて出られない。金網の中に捕まえられた子供がどんどん入れられて警察がそれをあざ笑う、ヒステリックなくらいゲラゲラ笑っていた

残酷な遊びだと言いたいわけじゃない、彼らを批判したいわけじゃないただ檻に入れられた奴隷のような姿と、それを支配する大勢の子供たちが、隠されなくなった奪い合いの現代を写しているのような気がして、どうかしてしまう気がした