真のアイデンティティ | バイブル・カフェ

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ハレルヤカフェのアキラの信仰生活から
神様への愛と喜びと感謝に
溢れる日々の学びや気付きを書きます。
読んでくれた方の希望や励ましになれば嬉しいです。

2015年 10月 26日 ハレルヤ!
愛するあなたへ! 今日も命が与えられ、一日が与えられました。全てを私たちの神である主に感謝して、いつも喜んで、絶えず祈り、主と共に歩みましょう!
今日の聖書箇所は哀歌2章、ペブル人への手紙2章です。共にデボーションしましょう。

  
☆今日のみことば☆
「なぜなら、ダビデは旧約聖書の詩篇の中で、こう神様に語りかけているからです。 「あなたが、こんなにも大きな関心をお寄せになる人間とは、 いったい何者でしょう。 こんなにも高い栄誉をお与えになった人の子とは、 いったいどなたでしょう。 あなたはその方を、しばらくの間、 御使いよりも低いものとなさいましたが、 今は、栄光と誉れの冠をお授けになりました。 そればかりか、この世に存在するものすべてを 支配する権威を、お与えになったのです。」 その支配を逃れるものは、何一つありません。 私たちはまだ、このことばの完全な実現を見てはいません。」
‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭2:6-8‬ ‭JLB‬‬
http://bible.com/83/heb.2.6-8.jlb



☆コラム☆
これは、すごいことが書かれています。
この意味が私は以前は解らなかったのですが、開かれました。
新改訳では『彼に栄光と誉れの冠を与え、万物をその足の下に従わせられました』と書かれています。これはイエス様の事だと思っていたから気づかなかったのです。

これは私達は何者なのか…と真のアイデンティティを語っておられると信じます。

イエス・キリストを救い主として受け入れたものは、
一生涯、悪魔によって死の恐怖につながれて奴隷になっていたものから解放されたものです。

罪から贖われ、聖とされた者なのです。
栄光と譽れの冠が与えられ万物をその足の下に従わせるものなのです!

罪ゆえに滅びゆくものから、天の御国を相続する神の子…つまり王子、王女なのです!

ハレルヤ!

ペブル人への手紙、本当に重要な啓示があらわされています。祈りつつ読み進めてまいりましょう!
そして私達は何者なのか確信としていきましょう!

あなたの上に主の豊かな恵みと平安が今日もありますように  ☆あきら☆



☆次回のカフェ礼拝は10/31土曜日5~7時PMです。メッセンジャーは真島先生です。共に集まりましょう

☆日曜日の朝、ハレルヤカフェで小さな集まりを持っています。賛美し祈り、聖書の初歩的な学びをいたします。8時から二時間ほど。まだ教会につながっていない人は、ぜひご参加ください。
(※来られる方はご一報ください)


真島先生版
■S:今日の聖書の言葉
哀歌2章18~19節
★彼らは主に向かって心の底から叫んだ。
シオンの娘の城壁よ。
昼も夜も、川のように涙を流せ。
ぼんやりしてはならない。
目を閉じてはならない。
夜の間、夜の見張りが立つころから、
立って大声で叫び、
あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。
主に向かって手を差し上げ、
あなたの幼子たちのために祈れ。
彼らは、あらゆる街頭で、
飢えのために弱り果てている。

■O:今日のコラム
哀歌は、エルサレムの荒廃を悲しむ歌です。エルサレムは乙女にたとえられています。なぜならエルサレムはキリストの花嫁の象徴だからです。聖書の最後には、新しいエルサレムが花嫁の様に整えられて降りてきます。
   この荒れすさんだエルサレムの中にまだ城壁が残されていることがこの節を見ると分かります。城壁とはやはりキリストの花嫁としてのアイデンティティーを悟っている者の事です。雅歌は花嫁の成長を描いています。そしてそれは全8章の書物です。その8章、つまり完成の領域にこの様にあります。

『もし、彼女が城壁だったら、
その上に銀の胸壁を建てよう。
彼女が戸であったら、
杉の板で囲もう。
私は城壁、私の乳房はやぐらのよう。
それで、私はあの方の目には
平安をもたらす者のようになりました。』
(雅歌8:9~10)

   その者は、昼も夜も絶えず祈りを捧げ、涙を流します。夜には大声を上げ叫び、心を主に注ぎ出します。そして、花嫁の回復のためにとりなす者となります。
花嫁の心が与えられ、主の臨在をしたい求めて、涙を流して祈る1人の者を主は選び、召してから、全体の回復が与えられていくのです。
同じ様な状況に置かれている者が歌った詩篇が42篇です。あまりにも似ています。

『鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、
神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
私のたましいは、神を、生ける神を求めて
渇いています。
いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。
私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。
人が一日中
「おまえの神はどこにいるのか」と私に言う間。
私はあの事などを思い起こし、
私の前で心を注ぎ出しています。
私があの群れといっしょに行き巡り、
喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群集とともに
神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。』(詩篇42:1~4)

あなたの周りにその様な者がいないでしょうか?いないならばあなたがそのの召しを受けているのかもしれません。誰か1人でいいのです。その1人の祈りから花嫁の回復は始まっていくのです。
   ネヘミヤ記もエルサレムの城壁の回復を描いた書簡です。つまりキリストの花嫁の回復が啓示されているのです。そのスタートは、ただ1人の涙を流して、とりなし祈る者である、ネヘミヤから始まっていきました。


■A:考えてみよう
いつもその1人の者であり続ける


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

■■ God Bless You !!! ■■