バイブルが語る原理・原則 「信仰」とは | バイブル・カフェ

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ハレルヤカフェのアキラの信仰生活から
神様への愛と喜びと感謝に
溢れる日々の学びや気付きを書きます。
読んでくれた方の希望や励ましになれば嬉しいです。

今日のデボーションはマタイ9章から (詩篇130)
「信仰」について考えてみたいと思います

☆聖句  三箇所から見てみましょう


さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。
すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。   
しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。 7すると彼は起きあがり、家に帰って行った。 8群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた  マタイ9:2、6-8



そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子たちも一緒に行った。 するとそのとき、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。 み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。 イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。 マタイ9:19-22



そこから進んで行かれると、ふたりの盲人が、「ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」と叫びながら、イエスについてきた。 そしてイエスが家にはいられると、盲人たちがみもとにきたので、彼らに「わたしにそれができると信じるか」と言われた。彼らは言った、「主よ、信じます」。 そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた、「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」。 すると彼らの目が開かれた。イエスは彼らをきびしく戒めて言われた マタイ9:27-30


☆バイブルの教え
イエス様は30歳になりバプテスマを受けて
荒野で試みを受けた後、宣教を始められます。

神様は病をいやしてくださる神です。

あらゆる病いを患いをいやされました。

「イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。 24そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。 」マタイ4:23ー24

ここで理解すべき大切なことは
イエス様は神ですが人として来られましたが
神を信じる信仰によって不思議や奇跡をなさったということです。

それといやす方の信仰よりもいやしを受ける側の強い信仰があったということです




①の聖句での、寝たきりの中風の人は神によって病は必ずいやされる
という強い信仰をもっていました。
その強い信仰をみてイエス様は「あなたの罪はゆるされた」といって
その人をいやされたのです。
「おきなさい。寝床をたたんで家に帰りなさい」といわれると、その人は
起き上がって家に帰ったのです

信 仰

②の長血をわずらってる女もイエス様の着物にさわれば、
きっといやされると信じていたからです。
イエス様は按手して祈ったとか、いやしの行為を何もされませんでした。
その信仰があったから着物に触っただけで治ったのです。

信仰です


③の聖句でも盲人たちは信じていました。強く強く...
イエス様だけが希望だったのでしょう。

イエスが「私にそんなことができると信じるのか」といわれると
かれらは「そうです主よ」といった。
そこでイエスは彼らの目にさわって「あなたの信仰のとおりになれ」と言われた

彼らの目は開いたのです!  見えるようになったのです

これが信仰です


「見ずに信じる者は幸いです」ヨハネ20:29

「信じない者にならないで信じる者になりなさい」ヨハネ20:27


「からし種ほどの信仰があったらこの山に『ここからあそこに移れ』といえば
移るのです。どんなことでもあなたにできないことはありません」
マタイ17:20


からし種のような小さな信仰でも
心から信じる

神を信じきる

それが信仰です

そして言葉にしましょう
「イエス・キリストは病をいやすお方
イエス・キリストを信じます!」と宣言しましょう

それは病をいやし経済を回復し、人間関係を回復し
全てを整えます。

神に不可能はありません。
神様は願いを聞いてくださる神です。

私たちの信じない心があれば、それが不可能にしているのです。


信仰によって私たちは病に、悪に、全てに勝利します
 




イエス様は人としてその信仰の見本を見せてくださいました。

そのイエス様を信じましょう。

聖書を信じましょう

信じるのは ただです(笑)

心のスイッチ一つです
(信じた方は告白すると良いです
導き祈りますのでおっしゃってくださいね(^O^))

「するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。 」マタイ8:26

いやしの祈りを妨げるものがあります。
それはサタンの声

まだ痛いだろ?
治ってないんじゃないのかい?
祈りは聞かれてないだろ?
無駄だよ

と心の隙間にささやいてきます

サタンでなくても周りの人の
心配する声が逆効果となることがあります。
「痛み大丈夫? 
医者行ったほうがいいんじゃない?
だめよ ちゃんと安静にしないと」
・・・などなど
(でもその心は本当にありがたいものです。感謝します)

「そうなの。ちょっとまだ痛くて治ってないみたい」
とか言ってしまうと信仰によるいやしは働きません

肉なる(身体)痛み・症状がたとえ残っていたとしても
医者にそう言われたとしても
(病・不具合・患いなど霊的な要素、原因が多々ありますが)
霊的には、信仰によるいやしの祈りによって
いやされます。(聖書に書いてあります)

「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」1ペテロ2:24

このみことばにあるようにイエス・キリストを信じるものは
 『キリストの打ち傷のゆえにいやされた』
ということです。

ここが重要です。

まだ痛みや症状が残っていても
サタンのささやきが聞こえてきても
神様がいやされたといっているのです。
神は嘘が言えません。
絶対なのです。
病は必ずいやされなければなりません。
この全宇宙を創造された方による
不変の法則。原理原則です。

ですから
信仰によって
病は必ずいやされるということです。

まわりからの声にはこのように言いましょう
「ありがとう。でも聖書には
『キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです』
と書いてあるから治ったと信じているの」
と...。



最初からいいますね


信仰とは

人は罪を背負って生きている
(罪については人類のはじめまでさかのぼります。詳しくは創世記1-4章をよんでください。
自己中心的な心の事といえます)
その罪があるがゆえ神との関係は断絶されている
神の御子イエス・キリストは人類を救うため(その壊れた関係を回復するため)に
人としてこられた
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです

イエスキリストが救い主であること。
そしてイエス・キリストの打ち傷によっていやされた。
それを信じること

それが信仰です

目で見えないものを信じる心です。

まだ起こっていないことを信じる心です。

神様はその信仰を待っておられます


 「わたしを見たから信じたのですか。 しかし、見なくても信じる者はしあわせです。」
ヨハネによる福音書 20:29 (JLB)

 神様を信じる国民はしあわせです。 神様から選ばれた国民だからです
詩篇 33:12 (JLB)

しかし、神様は、ご自分を信じる人をいついつまでも恵み、
神様との契約を忠実に守り従う人を、子々孫々に至るまでお救いになります。
詩篇 103:17 (JLB)





神様 私にバイブルにある真理を悟る心を与えてください。

それを妨げるものを取り除いてください。

信じる者は救われる。信じる者はいやされる

その約束をありがとうございます。

不思議と奇跡、しるしなる偉大な御技が

身の回りにたくさんおこされますように

お願いしたします。

主イエス・キリストの御名によってお祈りします アーメン


 これを読まれた方の上に
豊かな神様の祝福と平安と繁栄がありますように
いやしがあなたの上にもなされることを信じています
ハレルヤ

by Akira