出典:「産業カウンセリング」第6版p155

 

<問い>

 

人間の思考・行動のパターンを生み出すものとは?

 

 

<答え>(精神分析的パーソナリティ理論)

 

過去と無意識である。 無意識こそが私たちを動かしている。

 

エゴ(自我)は、あたかも「暴れ馬に乗った未熟な騎手」である。

馬(無意識)をコントロールしきれず、結局は馬の行くほうについていくしかない。

 

 

私たちは自分の考え・行動・選択などは自分(意識)が行っているのだと思っているが、

実は、その人の無意識がさせているのであって、

本当の理由(原因)は、本人自身(意識)も知らないのである。

 

個人の行動と思考のパターンを生み出すものは、

無意識領域に存在するコンプレックスと心的装置(こころの構造)の特徴である。

 

それゆえ、個人の行動や思考のパターンは、

過去の経験によって決定されていて

その源は無意識領域に由来するので、

本人にとって真の原因は知ることはできない。

 

もし、神経症などの精神的問題が起きたときには、

原因を見出すために、無意識を意識化する必要がある。

 

*アドラーの「個人心理学」、ユングの「分析心理学」など、いづれも

 無意識過程を意識過程よりも重視する点は共通。

 

 

【 フロイトの「人格構造論」は、「心的装置論」 】

 

 

エゴ(自我)は、さまざまな機能を果たそうとする。

 

出典:http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2005_14269/slides/03/39.html

 

 

エゴ(自我)は、「防衛機制」もどんどん使う。

・・・その結果、現実を「自分の都合のよいように歪曲して見る」。

  自我や弱ければ弱いほど、そうせざるをえない。

 

 

「防衛機制」を使えば使うほど、「現実」との齟齬は大きくり、

不安と葛藤はさらに大きくなる。

 

こうして「神経症」になっていく。

 

→「神経症」は、現実的手段では対処できなくなった大きな不安を、

 非現実的に対処する手段。

(神経症の症状が出ると、本人は症状のみを悩み、自分自身に悩むことが少なくなる)

 

出典:http://www.e-carada.jp/ls1/illness/mind/08.html

 

 

参照:不安障害

 

 

 

エスは無意識的で、知覚されえない力、それによって私たちが「生かされている」ような力だ。自我はエスの表面に乗っかっており、接触面で合流している。

自我は「聴覚帽」をかぶっている。

 

自我は前意識的であり、エスは無意識的なものだ。

 

エスは快感原則によって支配されており、

自我は快感原則の代わりに現実原則を適用しようとする。

 

抑圧されたものはエスの一部を構成し、自我から明確に区別される。

そのことは精神分析の際に、患者が抑圧されたものに対して抵抗を見せることから理解できる。

 

エスと自我の関係は、暴れ馬と騎手の関係に近い。

 

自我は理性でエスをコントロールしようとするが、エスが進もうとする方向に行くしかない場合が多い。

 

 

出典:フロイト『自我とエス』を解読する

 

出典:精神分析療法 あれこれ