坂の上の雲を語る会~三笠見学~
更新が遅れてすみません![]()
今夜は三笠見学の様子について書こうと思います。
全体像はこんな感じです![]()
まずなんと言っても、
見ごたえがありました!!
とても資料が多いこと、
そして生々しいこと、
が理由だと思います。
外装や内装の多くは復元されたものが多いのですが、
小物類は当時のものが多く残されています。
まずは外装からー
僕の感覚からして、外装の90%は復元ではないかと。
とはいえ、巨大な船体は迫力満点です![]()
次に内装でーす
羅針盤と舵輪は当時のものだそうです![]()
司令官長室は復元されて新しい様子でした。
やはりどこか当時の雰囲気はありません。
でもでも、
当時の神棚(写真なし)とか東郷平八郎の遺髪(上の写真に写ってます)の前に立った時は
ぞくー![]()
![]()
っと身震いしました。
これには僕もびっくり、、
続いて船内の資料室からー
下の写真は広瀬武夫が福井丸に乗る前?に書いた巻物です。
字に迫力があります![]()
他にも広瀬武夫の柔道着など、三笠には直接関係なくても『坂の上の雲』ファンには嬉しい資料がたくさんありました。
じっくり見学したので、船内に4時間ほどいたようです。
一緒に行ったメンバーも帰路は相当疲れている様子でした![]()
翌日(平日)会社を休んだ人もいました。。。
それぐら見どころがあるってことです。
様々な展示を通して、
東郷平八郎・秋山真之・広瀬武夫の強靭な精神力と、当時の戦いの壮絶さを感じることができました。
日本を背負って戦った偉大なる先人達の想いを我々も引き継いで、後世へ継承していく必要がありますね![]()
あまりに重たいテーマなので、今夜はこの辺で。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
正岡子規も食べたお団子
とても見ごたえがありました![]()
それに先立ち、昨夜、
日暮里にある団子屋さん「羽二重団子」さんに、お団子を買いに行ったんです![]()
当時近くに住んでいた正岡子規も食べたという記録が残っています
「坂の上の雲」にも秋山真之が朝食代わりに立ち寄ったとされています
一串250円、結構いい値段です。
小ぶりで、優しい味わい![]()
その後、子規の終の棲家である「子規庵」にも寄りました。
夜遅くなってしまったので、写真がブレていますがー
周辺環境がどんなに変わろうと、動じずに。
庭を覗いてみたところ、有名なヘチマも見えました。
司馬遼太郎は、歴史とは何かという問いに、「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそのに詰め込まれている世界なのです」(文芸春秋12月臨時増刊号より)と答えています。
僕たちが興味を持ち、学ぼうとしている歴史上の諸先輩方には会うことができません。
でも、その人々が実際に生活したり訪れたりした場所、食べた物、などを通して
間接的に会うことができると思うんです。
当時、彼らがどのような想いでその瞬間を生きていたのか、
改めて考えさせられました![]()
子規は、この小さな終の棲家で、まさに俳句に命を懸けていたんですね。
次回は、戦艦三笠について書きたいと思います。
長々と読んでいただきありがとうございました。
つづくー
先祖は松尾芭蕉!?
こんばんわ!
今夜は僕が最近新たにはまり始めているものについて書きます![]()
それは、松尾芭蕉に関する本です![]()
実はご先祖さんが松尾芭蕉なんですよ![]()
と、いっても直系ではなくて、Paulの先祖が幕末にその松尾家からお嫁さんを迎え入れた、
という旧家の記録が残っているってだけなんですけどね…![]()
でもまぁ、その松尾家とは一応親戚なわけで、
何百分の1ぐらいは芭蕉の血が流れてるんじゃないかな、、、って考えただけで
ちょっと歴史ロマンが広がりますよね![]()
ちなみに、僕の田舎は三重県伊賀市柘植
戦国時代は戦略上の要地だったようです。
ちなみにちなみに祖父母が住んでいただけで育ちは東京都世田谷区ですがー。
余談が過ぎましたが、
てことで、松尾芭蕉とはどんな人物だったのか、
果たして本当にただの俳人だったのか、
それとも忍者だったのか、
マニアックなものを含め、Amazonで関連する本を仕入れたところです♪
パラパラと読む限り、やはり、芭蕉は忍者として全国で情報収集を行っていたようです![]()
俳句にもその暗号(暗語)が残っているようです。
今で言う、スパイみたいなものですかね。
俳句に関しては、坂の上の雲で、正岡子規が芭蕉は写実に富んでいないと批判していることが書かれています。こんなところでも僕の興味同士が繋がったりして、、、さらに好奇心をそそります![]()
いずれにせよ、今夜は知識不足のため、
もう少し詳しくなったらまた書きたいと思います![]()
どうぞお楽しみに!









