机の上の未整理書類を片付けよ!と取りかかったのに積み残しが出たベテラン脳性まひのシュウです。溜めすぎた、ということです。これ書いたら続きやるから許して。
今日フェイスブックで、ある方のコメントに返す形でこんなことを書きました。
「労ってくれる友もいれば、全く労ってくれない(笑)友もいます。どちらも友達。その人との距離感+相性です」
労(ねぎら)ってくれる=気遣ってくれる、自発的にサポートしてくれる、という意味。
例えば「ゆっくり歩いていいよ」「ゆっくり食べて」「ゆっくり来て」
・・・・・わたしゃ、ゆっくりばっかりかい!
ま、そうです。たいがいゆっくりです。あと、エレベーターを探してくれるとか、カバンから財布を出してくれるとか。
クレーム覚悟で非常にざっくり言うと、社会人になってから知り合った人ほど気遣ってくれます。これを自己分析するに
・私=本人がだんだん弱ってきているので、いや弱るは言い過ぎかな、できないこと・時間かかることが増えてきたので、後になるほど気を遣わせてしまうから
・学生時代からの友人(学友?そんなええもん?)は弱ってない私を知っているので、そのときの付き合い方をずっとしてくれているから
どちらも、とてもありがたいです。そして、最近知り合った友達が「あっさりタイプ」でも、全く構いません。サポートしてほしいときは言いますし、ずっとそれでやってきたので。
しかし、40歳超えたあたりからか、学友たちもさりげなく気遣ってくれることが増えてきました。私がよっぽど弱ってきたのか?見るに見かねてなのか?弱ってきたのはお互い様ですが。
その自然な感じのサポートが、ホントに嬉しい。
若いときから知っている者どうしにしか出せない味とでも申しましょうか、そんなんです。親も歳とったり亡くしたり、自分らも病気したり、みんないろいろあったからね。角が取れて自然と丸くなってきたのかもしれません。
このように、サポートという観点から見てもいろんな人がいます。こうでなきゃダメ、という縛りは私はあまりない方だと思います。それより大事なのは「相性」と「距離感」。いきなりズケズケと来られる人だけは苦手です。