© NEWSポストセブン 提供 「バブルの喧騒が印象に残っている」と振り返る片岡鶴太郎(撮影/田中智久)
 
 

 安倍晋三首相の辞任で話題になったのが、松任谷由実のコメントだ。辞任発表を見た彼女は、『オールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送、8月28日放送)で、「テレビでちょうど見ていて泣いちゃった」と発言し、首相とカリスマ歌手の思わぬ交友関係の発覚に驚きの声が漏れた。

 

 安倍氏とユーミンは共に1954年生まれ。そして、各界の同年生まれが顔を揃える「29年会」のメンバーでもあるのだ。

 

 神奈川県知事の黒岩祐治氏が発起人となって始まったという「29年会」。安倍氏やユーミンのほか、俳優の石田純一、フレンチシェフの三國清三氏らが名を連ねている。

 

 
 

 そして、同会のメンバーである俳優で画家の片岡鶴太郎は、「ぼくらの生まれた1954年にできたワインは最悪といわれているそうです」と、苦笑いしながら振り返る。

 

「芸能界や相撲界では、昭和29年の前後に大スターが出ているんです。1つ上には大横綱・北の湖関がいて、1つ下には明石家さんまさんや郷ひろみさんがいる。芸能界においてぼくらはそんな大物に挟まれた、なんとも中途半端な世代なんです」(片岡)

 

 時代の変化に照らし合わせてみても、昭和29年生まれは「狭間の世代」となる。家族問題評論家でエッセイストの宮本まき子さんが言う。

 

「昭和20年代前半生まれの『団塊の世代』の青春は、米ソ冷戦の危機感や高度経済成長下に一致団結して勤労や学生運動に明け暮れた一方、30年代生まれは冷戦終結や学生運動への失望から、政治的な議論や社会問題に無関心、無気力な『しらけ世代』へと移行します。

 

29年生まれは双方の影響を受けた狭間の世代で、社会や政治に打ち込む人もいれば、自分とその周辺の利益と幸福にしか関心がない個人主義的な人もいて多様化しました」

 

 昭和29年生まれの1人である古舘伊知郎は、過去のインタビューで自らの世代についてこう語っている。

 

《頑張りたいんだけど、団塊の世代ほど頑張れない。熱くなりたいんだけど、そこまで熱くなれない。熱帯じゃなくて、亜熱帯かな》

 

 日本人が経験した「戦争」をまったく知らない初めての世代であることも大きな特徴だ。焼け跡からの復興は急ピッチで進み、「もはや戦後ではない」と高らかに宣言した経済白書が出版されたのは彼らが2才になる昭和31年。

 

「団塊の世代は戦後の爪痕や貧乏を体験ずみで、打たれ強く、反戦の意識も高いのですが、29年生まれになると戦争のにおいも消え、右肩上がりの経済の中、豊かさと消費のライフスタイルを享受。“私らしい”主張や各種ブランドにこだわる風潮が広がった時代でもありました」(宮本さん)

 

 高度経済成長の只中、5才のときに皇太子さまと美智子さまのご成婚パレードを見て、10才のとき東京オリンピックを体験している。

 

華やかで右肩上がりの日本とともに成長した世代に衝撃を与えたのが、昭和47年のあさま山荘事件だった。

 

 同年2月、共産主義革命を目指す連合赤軍5名が長野県軽井沢のあさま山荘に乱入し、管理人の妻を人質にして籠城した。警察当局との激しい銃撃戦を経て、人質は救出され連合赤軍のメンバーはすべて逮捕された。その過程で、“革命”という理想を掲げていたにもかかわらず仲間を内ゲバリンチで殺していた事実がわかり、世を震撼させた。

 

 あさま山荘事件は、約10日にわたる一部始終がテレビで生中継され、最高視聴率は90%を超えた。極寒の山荘めがけて、何度も打ち付けられる大きな鉄球。固唾を呑んでその様子を見守っていたのが、当時18才の秋吉久美子だった。

 

「この事件によって『正義って何だろう』『責任をとるってどういうことなのか』を深く考えるようになりました」

 

 秋吉は48年前の衝撃を昨日のことのように振り返る。

「当時の私は、最も心が柔らかで感受性が強い時期。小学生の頃から『三銃士』や『ロビン・フッド』『モンテ・クリスト伯』などの小説を夢中で読み、出てくるヒーローやヒロインたちをお手本に、どう生きていくべきかを懸命に考えていた。だけど連合赤軍が物語のヒーローのように理想を掲げながらも、自分たちの友達を殺すなんて、『これは違うぞ』と思った。私が本の中で浸ってきた、理念や正義を体現する登場人物との差違に愕然としたんです。正義は“諸刃の剣”なんだと感じました」(秋吉)

 

 理想と現実のギャップに打ちのめされた秋吉が痛感したのは、改めての「個」の認識だった。

「イデオロギーをかざす団体行動の先には、非常に危ないものがあると学びました。あさま山荘事件は青年の正義と憤りが、やがて追い詰められて内部紛争になったけれど、本来は孤独と向き合って、孤独に耐えるべきだった。私がリーダーだったら、仲間を投降させて、ひとりで責任を負うべきか? そうした難問を突きつける“感性の踏み絵”になりました」(秋吉)

 

 当時、彼らの価値観を揺るがす大事件がもう1つ起きている。昭和48年からのオイルショックだ。ライフシフト・ジャパン取締役CROの豊田義博さんが指摘する。

 

「昭和29年生まれが大学生になった頃に、オイルショックで日本中が揺れました。石油価格の高騰で高度成長がストップして、トイレットペーパーの買い占めが起きると、それまでのバラ色の状況が激変して、世の中の価値観が大きく変わりました。その点で、就職難に苦しんだ2000年代のロストジェネレーション(失われた世代)と29年生まれには似た面があります

 

 ロスジェネ世代と大きく異なるのは、1980年代になってバブルが到来したことだ。

「マッチで〜す」、「キューちゃん!」──1981年に放送開始した『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)で、近藤真彦のものまねや、九官鳥のキューちゃん役で人気が爆発した片岡が「狂乱の1980年代」を振り返る。

 

「ぼくはバブルの始まりとともにテレビに出始めて、いちばんいい時代を享受していたと思います。テレビの収録が終わった後は毎夜六本木で遊び、タクシー券も使い放題。

 

20代後半から30代前半という、エネルギーもあって働きざかりの頃にバブルを経験したから、上の世代のようにのめり込んで投資をして失敗することもなく、下の世代のように訳もわからず踊らされるということもなかった」(片岡)

 

 ファッションジャーナリストの藤岡篤子さんは「バブルを経験したこの世代は“ゴーイングマイウエー精神”が染みついている」と語る。

 

「若くして1980年代を通過した世代はほとんど無敵です。海外旅行も流行し、一般の人がブランド品を購入できるハードルがぐんと下がった時代で、一流のものに囲まれてどんどん自信と自己肯定力が芽生えていった。

 

その結果、29年生まれは、空気を読まず忖度をしなくて、自分が感じたことを行動や言葉で表現するようになりました。良くも悪くも行動や発言が『ゴーイングマイウエー』になったんです」(藤岡さん)

 

 秋吉も、バブルで「美的感性」が養われたと振り返る。

「石田(純一)くんが冬でも素足でローファーを履くように、29年生まれはみんな美的感度が高いんじゃないですか。バブル時は『anan』や『non-no』『POPEYE』が飛ぶように売れて、日本のアパレルメーカーが作ったDCブランドも出てきた。

 

テレビで放映されているパルコのCMが本当におしゃれでした。1980年代はそうした様々な新しいおしゃれを取り入れ、試行錯誤しながら果敢に泳いだ時代でした」

 

 秋吉が追憶するように、バブル時代の広告をけん引したのがパルコだった。パルコに魅入られ、落語の独演会「志の輔らくごinパルコ」を始めたのが、広告代理店を退職し29才で落語界に入った立川志の輔だ。志の輔の長男で、梅干しのプロデュースなどを行う会社「BanbooCut」代表の竹内順平さんが言う。

 

「上京したばかりの父は『パルコ劇場ではこんなに毎日、面白い舞台をやっているのか』と驚きを受けたそうです。そうした催しに刺激されてか、若手の頃は逆再生すると落語に聞こえる音声をライブ録音したり、大型モニターを複数並べてコントをするなど、斬新な発想で舞台を作っていたことを聞くと、子供ながら尊敬します。

 

 当時、『古典落語は江戸時代からずっと残ってきたものだけれど、それだけでは何かを伝えられないときに新作を生み出すんだ』と語った父の話が胸に残っています。アイディアが転がっていた時代でした」

 

 若くしてバブルを経験した29年生まれは、楽しさや豊かさを享受しながらも、常に上の世代から締めつけられた世代でもあった。豊田さんは「彼らはいつでも“出る杭”だった」と振り返る。

 

「29年生まれは、団塊やそれ以前の世代が『こうあるべきだ』と思うもののふるまいや行動とは異なることをしてきた。それはオイルショックや学生運動の終焉など、時代背景ゆえに仕方のないことではあったものの、上の世代からは『目立ちやがって』と疎まれた。

 

一方の29年生まれも自分勝手な団塊の世代を嫌って彼らとは距離を置きました。だからこの世代は、団塊の連中に振り回されて大変だったという思いを共有する、同世代との横のつながりが強いんです」(豊田さん)

 

 片岡も横のつながりに心救われていると語る。

「29年会を立ち上げたのはぼくらがちょうど50才の頃です。先輩がたはまだ現役で、下からは突き上げがあって板挟みになる年代でした。共通点は29年生まれというだけで出身も仕事もバラバラだったけれど、同じ時代を生きてきたにおいを感じて、何でもない近況報告を話すだけで心安らぎました」

 

※女性セブン2020年10月8日号