花街(かがい・はなまち)に対する正しい知識と理解。花街は日本伝統技芸の継承者。2022年7月版 | 「ポートレート スタジオ ファイン」 =「ファイン メディア コンテンツ ジャパン」

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花街(かがい・はなまち)に

対する正しい知識と理解。

花街は日本伝統技芸の継承者。

2018年版

2021年1月改訂版

2022年7月 改訂版

 

 

 

 

花街(かがい・はなまち)(京都など)に対する

正しい知識と理解が、
日本文化・日本文明・日本の政治・外交という

大きな問題の中でも、重要に思います。

 

 

舞妓志望者としても、自分が進もうとしている世界がどのようなところなのか、子供なりに理解しておきましょう。

綺麗で、愛嬌があり、正座ができて、協調性があれば、親の承諾は必要ですが、援助がなくても、舞妓になれます。

踊りのうまさ、歌のうまさ、三味線など和楽器のうまさはあるものの、

へたであっても、練習をすれば、皆出来るようになるようです。



花街は日本伝統技芸の継承者

です。
 

若い世代にはまったく知識がなく、
外国が誤解や偏見、意図的に日本を悪者に政治利用をするのも、
花街の当事者が沈黙し、何の広報・説明をせず、

やろうとした人々に「そっとしておいてほしい」という意向を示す為です。
 

花街の高齢者の人生のご苦労と気持ちは

よくわかります。

 

 

花街のことは秘密にして,
公表をしてはいけないという不文律があります。
「見ざる」「聞かざる」「言わざる」
厳格に守られています。

お座敷遊びの花街としては、まさにそのとおりなのでしょう。


花街には日本伝統伎芸の継承者であることも事実であり、
日本人や外国人が舞妓や芸妓を見て日本の魅力を感じています。

 

花街が秘密としてきたから、

舞妓志願者がいなくなり、

東京の男性富裕層をのぞき、

女性たちには不評で、

花街は誤解されて、

自滅寸前でした。

 

京都の一般人は、

花街のことを知りません。

京都の花街を応援してきたのは、

実は、東京であり、関東です。





京都の花街も、東京の花街も、
生存のためには

広報宣伝が欠かせないと、
認識が変化しているようです。


京都の花街の内情はよくわかりませんが、
舞妓や芸妓の人数は、10余年前をピークに、減少しているようです。

2006年ごろは「フラッシュを使った写真撮影はご遠慮ください」というところが多く、
写真の腕前とネットの知識・技術がないとネット掲載ができない時代でした。

それなりのレベル以上の写真が掲載されており、

花街の宣伝にもなるので、ネット掲載は黙認されていました。

 

 


その後、ネット掲載禁止、写真撮影禁止となり、
私は京都の主要観光地の風景写真を撮影しつくしたこともあり、

私は2008年頃から、

写真・映像撮影をさせない

京都・花街には行きません。

 

Instagram、YOUTUBE、

世界全体が画像・映像の時代です。

 

観光客の写真撮影マナーが問題です。

 

観光客が本物の舞妓・芸妓に会えず、写真を撮影する仕組み・場所がないことも問題だと思います。

 

花街は有料でもいいので写真撮影・映像撮影できる仕組みを作る、場所を開設するべきだと思います。

 

一般人が舞妓を撮影できるのは、

ギオンコーナーです。

ただし、日本伝統文化の紹介のひとつとしてであり、新人舞妓が「祇園小唄」を踊ります。

 

 

再び行くようになったのは、

2014年に様子を見るために行ってみて、

活気がないと感じ、

2015年に京都市・京都市観光協会・JR東海が、東京六本木ヒルズで「京都ほんまもんだけ3daysのイベントをやってからです。

 

東京では写真・映像撮影は自由でした。


日本伝統技芸の中核は、

東京であり、
歌舞伎座と国立劇場と国立能楽堂です。


新橋演舞場、明治座などでも、歌舞伎が上演されることもあります。
国立劇場では、日本舞踊各派に会場貸しをすることもあり、1年中鑑賞することが可能です。

京舞の井上流を除き、日本舞踊各派の家元は

東京にいることが多いでしょう。

 

日本伝統技芸の継承者の大学は
「東京芸術大学」です。


 

東京の各花街も小規模で短期間ですが「をどり」をやっています。
新橋は新橋演舞場(松竹)で公演、神楽坂や八王子では、地元が応援しています。

浅草の花街が復活、向島は若手芸者がいるようです。
浅草では、花街とは別に、「花やしき振袖さん」を、会社員として育成、雇用しています。


 

おおきに財団の役員が替わり、

積極的に広報する方針に

大転換しています。


「日本伝統技芸を未来へ、世界へ」
私が述べてきたことです。


2014年に京都の花街が危機的な状況と聞き、
再び京都に行くようになりました。

舞妓志望者は15歳、中学卒業の時期、

インターネットでの広報が絶対に必要です。


2014年に数年ぶりに京都の「をどり」を鑑賞して感じたことは、
お茶席と「をどり」の写真撮影禁止の厳しさは

以前以上です。

スマートフォンで手をあげて撮影し、
許可をとらずにネット掲載をする方も、私は悪いと思います。


 

ギオンコーナーでは、他の伝統芸能の紹介の中で、舞妓が京舞を踊ります。
日本人よりも外国人の方が多く、定期観光のバス客が入る場合もあるようです。
写真撮影を許可されています。



外国人を含む観光客に、「をどり」の一部、
たとえば著作権の問題がないと思われる、
各花街のテーマ曲の写真撮影を許可したほうが、
花街に対する誤解や偏見、
さらには日本に対する印象が

改善されると思います。



京都を訪れた観光客が、着物を借りて、京都散策を楽しんでいます。
自分で舞妓や花魁の姿になって、写真を撮影してもらうこともできます。



今や本物の舞妓に会うよりも、

自分で舞妓姿になってしまう時代になりました。



ネットの舞妓写真、京都の街で会う舞妓姿の女性、
大部分は舞妓体験・舞妓変身の舞妓姿の一般女性で、
本物の舞妓・芸妓ではない場合が多いと思います。


花街の内部では、舞妓の衣装により、所属置屋がわかります。
芸妓であれば、狭い世界であり、お互いに面識があるはずです。
YOUTUBEの映像で、イベント名、花街名、舞妓・芸妓の名前を出して、日本舞踊を踊っている場合は本物であると思います。




花街は
極めて封建的な「戦前」と、
「戦後で昭和33年の売春禁止法施行前」と、

「現在」とでは、
大きく変化しています。


買春禁止法成立直前の花街の混乱ぶりを批判的に描いている
新藤兼人脚本の映画が「おもちゃ」です。
旦那に若い舞妓がおもちゃにされているという内容です。
海外版のDVDは発売されていたのですが、
日本版の「おもちゃ」のDVDが最近発売されました。



国際的には戦前の花街の様子を外国人が書いた小説「さゆり」、
それを基にハリウッドで映画「さゆり」が製作されました。
中国人女優が芸者らしきものを演じ、踊りも日本舞踊に見えない映画「さゆり」、古い時代の花街のことを批判的に描いており、現在の花街の状況とは、全く違います。



映画「舞妓Haaaan!」、

映画「舞妓はレディ」は、

京都の花街の現状を好意的に描いています。

 

 
10歳代の少女が舞妓に憧れて、
自分の意志で舞妓になることを希望します。
京ことばを覚える、正座ができるようになる、
さまざまな芸事の修行をします。
舞妓になるためには、芸事の教育、衣装など、
莫大な経費がかかりますので、

置屋のお母さんが経費を負担し、

舞妓として育ててもらうのです。
 


衿替(えりがえ)をして、

芸妓(げいぎ)となって、

やっと一人前になります。

 

衣装代や住居費や家電製品など、

この時にかかる費用が多額です。

何らかの援助の仕組みが必要で、

「おおきに財団」でも援助をしているようです。

昔は旦那に援助してもらいました。

 

舞妓の出身地が全国なので、
全国の富裕層や企業が
出身地の舞妓の襟替を支援する
のが理想でしょう。
 
 
京都は共産党、在日、同和、暴力団・・・・と、
関東出身者にはまったくわからない難しい社会。
京都を広報して、支援しているのは、
東京など関東人が多い。
洛内に生まれて、何代目という世界、
京大教授でも京都を代表して広報できない難しさ。
 
 
金はかかりますが、会社のイベントに舞妓・芸妓をよぶのも相談できるでしょう。
大企業の広告予算や交際費としては少額です。
大企業の経営者といえども個人的に自由に交際費を使えるわけではないでしょう。
 

舞妓は、衣装代、お稽古ごとの費用、生活費は全て置屋が負担します。

 

置屋(おきや)が義理のお母さんになります。
給料としてはお小遣い程度だそうです。
 

どこかの歌劇団みたいに授業料やレッスン料やチケット購入など親の負担はありません。

 

親は承諾するだけでよく、

金銭的な親の援助は必要ありません。
花街は人間関係が極めて重要です。




京都の五花街(置屋、お茶屋、仕出しの分離)

東京の新橋などの花街(現在は料亭が中心)、

金沢など地方都市の花街(実態不明)、

温泉街の花街(旅館に芸者を派遣、旅館専属)

それぞれ内容がかなり違います。

 


日本を代表する花街は京都の祇園であり、

東京の人々も京都で遊んでいるし、

東京など関東出身の舞妓・芸妓も

京都にはいます。




売春禁止法が昭和33年に施行されるまで、

多くの花街には娼妓と芸妓の両方が存在したのが実態らしいです。



現在は京都には祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町、上七軒の五花街しかありません。


現在は島原(遊郭)は跡形が残っています。
観光用の太夫が復活しました。

権威がある有名な神社・仏閣で踊ります。

 

 

五花街以外に売春禁止法容疑で2010年10~11月に京都府警が経営者たちを逮捕により壊滅させた五条楽園(ごじょうらくえん)があったのを当時は知りませんでした。
 
京都の裏表につき、2012年頃から2013年頃に詳細に調べました。

 

 

 


京都島原については、 島原遊郭でした。

東京の吉原は、すでに跡形もなくなっています。
吉原大門という都バスの停留所がなければ、どこが吉原であったか、一般人にはわかりません。
かなり前までは、吉原の跡地に観光用の遊郭があり、観光用の花魁もいて、夜の「はとバス」のコースでしたが、観光用の太夫も、赤坂のクラブも、日劇ミュージックホールもなくなり、はとバスの夜の成人向けコースはなくなってしまいました。


島原は東京の吉原に比較できる遊郭で太夫や花魁がいました。
現在でも跡かたは残っており、不定期に資料館が開館しています。
太夫と花魁も正式には区別があります。


島原の場合は、遊郭でありながら、花街でもあったようです。

 

日本の遊郭で太夫(花魁=おいらん)になれるのはごく一部です。

 

太夫は教養も身につけ、社会的地位は高かったようです。

角谷文化保存会のサイトに詳しい説明があります。

角谷文化保存会



京都の五花街

京都伝統技芸振興財団(おおきに財団)

祇園甲部、祇園東(旧名称は乙部)、宮川町、先斗町、上七軒は、
現在は京都五花街と言い、舞妓はん、芸妓はんがいて、
お茶屋や料亭に出向いています。
近年はイベントにも出ています。

 
花街は、お茶屋、置屋、仕出しの三業で成り立っています。




全国から若い舞妓志望者が、自分の意志で花柳界を希望し、
置屋のお母さんの指導のもと、置屋に住み込んで、
日本伝統技芸の厳しい修行に励んでいます。



都をどり、京おどり、鴨川をどり、祇園をどり、北野をどりは、
毎年の春か秋(祇園東の祇園をどりのみ秋)に開催されています。


もっとも簡単に伝統技芸を鑑賞して、
舞妓はんのをどりをみることができるのは、

ギオンコーナーです。
京都定期観光のコースに組み込まれています。



京都伝統技芸振興財団(おおきに財団)



京都 五花街の紹介

 

2020年の「新型コロナ」の影響は、京都の花街では甚大です。

京都市が花街の援助をするべきだと、私は思います。

東京・関東でのイベント公演を勧めます。

 

京都の花街でお座敷を利用する男性富裕層を除き、東京の富裕層ご婦人方や、若くて事業に成長した若手経営者には、「一見さんお断り」の真意が伝わっていません。


写真撮影を禁止するよりも、有料で撮影できる機会をつくるべきと思います。

観光地なのに舞妓の写真1枚撮らせないのかという怒りはよく聞きます。関西人・外国人と違い、東京・関東人は追っかけをやりません。

 

京都は外人ばかり、京都よりも飛騨高山とか、金沢の方がいいという人もいます。

 

 


五花街の紹介です。
写真をふんだんに掲載し、各花街のサイトはリニューアルしています。
各花街は、時代の趨勢と情報発信の必要性を認識して、
急速に情報化・近代化に取り組みつつあり、
2005年~2008年ごろに比べて、驚くべき変わりようです。



置屋で見習い期間の「仕込み」、
置屋のお母さんに働きながら(店だし)育ててもらう「舞妓}(関東では「半玉」)、
やがて衿替えして、芸妓(げいぎ)として独立することになります。


現在では、京都出身の舞妓は非常に少なく1割弱です。
憧れだけで舞妓になるのは危険。前近代的な厳しい修行の世界です。
自分の一生、花柳界で生きるデメリット・メリットを両親や親戚や先生など、
できるだけ社会の仕組みや表裏を知っている有識者に相談しましょう。





祇園甲部  都をどり 

例年4月にをどりを開催 

2017年、2018年は耐震工事のため、

京都芸術劇場「春秋座」(京都造形芸術大学)で公演


http://www.miyako-odori.jp/

四条通りの南北。北側の白川、南側の花見小路周辺。
南側の花見小路、建仁寺の北側あたりが中心部。
祗園甲部歌舞練場のほか、弥栄会館・ギオンコーナーもある。
京都の花街のなかでも、中心的な花街。
五花街の中で、もっとも権威があり、規模も大きい。
外国要人の接待も一力亭などで担当しています。
お茶屋のみでなく、高級旅館や有名料亭にも呼ばれています。

 

踊りは地元の井上流=京舞。

 

井上流は能を元にした凛とした美しさが特徴。

 

家元の井上八千代師は人間国宝です。
舞妓と即戦力になる地方を募集中です。





宮川町  京おどり 
例年4月におどりを開催 



http://www.miyagawacho.jp/

四条どうり「南座」から鴨川沿いに南へ行き、左側(東)に入った一帯。
祇園甲部の次に規模があり、地方出張もやっています。
四条通南座から、下流方向(京都駅方向)に南下する。
鴨川沿いから東に道ひとつ入った小道。

 

現在では日本舞踊は若柳流です。
以前は楳茂都流のようです。

 

祗園甲部に比べて、親しみやすい簡単な演目で、踊りの演出が派手、女性の色気を表現する踊り方です。
出雲阿国が歌舞伎をはじめたところと伝えられています。





先斗町(ぽんとちょう) 鴨川をどり 
例年5月にをどりを開催。


http://www1.odn.ne.jp/~adw58490/


四条河原町交差点・阪急河原町駅から、八坂神社・祇園方向へ。
鴨川を渡らず、左に入った狭い小道が先斗町。
店の裏側は鴨川に面している店もあります。
東西は鴨川と高瀬川の間、南北は四条から三条の間。
歌舞練場は花街の北側、三条大橋の近くにあります。
三条京阪駅から鴨川を渡ったほうが、歌舞練場には近いかも。
先斗町やおとなりの木屋町あたりは、飲食店街で気軽に入れる店が多い街です。




祇園東  祇園をどり  
毎年秋にをどりを開催


http://www.gionhigashi.com/


八坂神社の前、四条通りの北側の一体。
明治になってから花街になった新地。
もとは祇園で一体だったが、甲部と乙部の分離指示があり。
現在は、祇園乙部ではなく祇園東の名称。規模が小さい。
唯一秋にをどり=「祇園をどり」をやっている花街。
現在、歌舞練場を、をどりがないときは「吉本」が借りている。



祇園の置屋がテレビに出ることは無かったのですが、
最近はテレビの取材を受けた番組がYOUCUBEで流れていました。
置屋兼お茶屋と紹介されていました。
なんと英語ができる舞妓がいました。外国人に花街のことを英語で説明しています。
置屋のお母さんは、祇園だけでなく、全国出張しますと述べていました。

 

見たかったら京都までいらっしゃい。
一見さんお断りで紹介制ではなかったの。

祇園東もなんという変わりようか。
東京に乗り込んでくればいいのに。
企業とか、店舗とか、大使館とか、イベントとか、大歓迎されて、
花代、出張費は、かなり出してくれると思います。





上七軒 北野をどり 
例年3月下旬から4月上旬



http://www.maiko3.com/


京都の花街で最も歴史が古く、北野天神の近くにある。
西陣織の西陣にも近い。
北野天神の門前町で、西陣の旦那たちによって栄えた花街です。
上七軒バス停から、斜めに北野天神裏側・平野神社方向へ入ったところ。
上七軒歌舞練場へは、バス停北野天神で降り、北野天神の右側に道を行き、右折したほうが近いでしょう。
夏はビアガーデンをやっています。舞妓・芸妓が接客しており大人気。


映画「舞妓Haaaan!」のロケ地です。

映画「舞妓はレディ」のロケ地でもあるようです。
日本舞踊は花柳流です。

花柳流が全面支援しているのではないかと思います。


北野をどりの第一部はかなり本格的な芝居です。
現在は街並みは整備され、歌舞練場も修理されています。
舞妓・芸姑が少なく、集客に苦労した一時期、東京芸大が日本舞踊をそっと支援したと、不確実な情報ですが、聞いています。

2017年「北野をどり」でも地方について、東京芸大OG有志が応援しました。
現在は舞妓・芸妓もかなり増えており、お茶屋だけでなく、料亭や旅館でも踊っているのではないかと思われます。舞妓を募集中です。
地方出張も相談できるでしょう。