古きよき日本の時代の話をご披露します。
2月15日はしばらくぶりで、地元のニューオータニで、小学校のクラス会でした。
都会の学校なので、皆さまざまな世界で活躍しており、話が弾みました。
都市銀行、大手出版社、政府機関、大手旅行代理店、一級建築士、有名ブランド質屋、不動産賃貸業、声楽家、航空会社(欠席)・・・・
ただし、大企業の勤務者は「第二の人生」となった方がほとんどです
だれでも知っている有名人としては、文豪の娘でキャスターを長く務め、今でもマスコミで活躍しているAさんは1年下で、私が部長であった新聞部で一緒に壁新聞を作っていました。
東京オリンピックの年(新幹線や首都高速ができた昭和39年)に、オリンピックのメイン会場であった国立競技場のすぐ近くの小学校を卒業した仲間です。
教室でベルマークを集めてもらったテレビをみんなで見ながら応援しました。
国立競技場のスタンド上部の国旗掲揚が窓から見えて、歓声が聞こえてきます。
高度経済成長を推進した池田首相の家は地元信濃町(四谷地区のひとつの町)です。
当時は日本国民が一丸となって欧米に追いつけと頑張っていた時代です。
東京オリンピックはアジアで初めてのオリンピックです。
ガキ大将は他の学校のガキ大将とケンカはしますが、弱いものをいじめませんでした。
あのころのガキ大将は勉強はできなくても人望があり、人気者だったのです。
小学校では体罰はありましたが、親は子供をしつけるために先生が体罰するのは当然と思っていました。
私たち生徒たちも先生に負けていなかったですね。ある出来事を思い出しました。
若い女性の音楽の先生がヒステリー気味で怒り出すと囃し立ててわざと怒らす、
全員が集団で音楽の授業をボイコットして音楽教室から自分たちの教室に戻ってしまう、
先生が困って生徒を迎えに来ると教室のドアを開けたとたんに黒板消しが落ちて来る、
泣き出してドアを強い力でパターンとしめて先生が逃げていくと、
何センチドアが戻ったかを定規ではかるというように・・・
後でクラスの担任からかんかんに怒られて、体罰を受けましたが、
悪いのは生徒たちなので体罰を受けたことを親に言う生徒はいませんし、
言ったところで親は体罰は当然と考えています。
クラスメートの仲はよかったです。
不良ではなく、みんなが元気な、元気な腕白だったのです。
勉強はわりとみんなよくやり、学校だけでなく、みんな塾や進学教室にも行きました。
私は地元の小さな塾が中心でしたが、四谷大塚の発祥の地であり、学校の先生と進学教室の先生が同じ先生もいました。
精神病は先天的な方や事故で脳障害になった方以外になく、
うつ病なんて実際はあったんもかも知れませんが、
病気と思っていなかったのではないでしょうか。