1・相手の人が病気の時の笑顔は、心の中から元気が回復します。

まず心の中は病気っぽくさせない事。


2・この世の中で、いくら勉強ができても、人間関係の能力が無くて

貧困な人くらい悲惨な人はいません。 挨拶ができない人の事



悩まずいつでも相談受けます(メール)

こんにちは、全日本カウセラー協会の宮地です 皆さん、今日一日どうでしたか 悲しい事、嬉しい事などさまざまなことが移り変りだったかと思います 人間の心情・感情・気分と言っても、全て自分が決めることです 物事の考え方(心の世界)で全て自分の気持がコントロール出来るのです 指示性カウンセリングでは、このことを深く追求しているのです 人間は、安心を得れば不安・緊張・恐怖から解消される 是非、安心を得たい方は、ご相談ください miyahiro3939@yahoo.co.jp
「人間」は誰でも「自分が考えたこと」を実行し、「考えないこと」は実行しないという本質があります。 この「考える」ということは《自覚的に考える》ということと《無意識的に考える》というふたつがありますが、この、ふたつとも「自分の頭脳」が「考えている」 ことに違いありませんので、ふたつとも含みます。 そしてもうひとつ。「実行する」という意味は、その結果が自分にとって どんなに困ること、損すること、困ること、悲しくなること、ダメージをこうむ ることでも、「考えさえすれば実行するのである!!」という意味です。 だから、あなたが「自分」の「不安」「恐怖」という悩みを「解消したい」と思うならば「自分」が 「不安」「恐怖」に思っている対象と、「こわがっている自分」や「おびえている自分」「症状を感じている自分」について「考えること」の「中止」を実行してください。 『不安』や『恐怖』に思っている『場面』とか『関係』『相手』について『考えない!!』と、なんべんも口に出して、自分に言い聞かせて『考えること』の『中止』を実行 してください。 この「考えること」の「中止」は、なんどか失敗してもかまわないから「中止」を「実行」しつづけましょう。そうすれば、まちがいなく解消します!! 「過去のこと」はいいことも悪いことも考えない!! を実行してください!  さらにもうひとつお教えしたいのは、人間は、誰でも「過去のこと」は「いいこと」も「悪いこと」も、「考える」と必ず、現在の自分の「現実」をぶちこわし、自分の「将来の現実」をメチャメチャに破綻させてしまう!! という本質についてです。 そこで、もしあなたが、「自分の何か」について「不安を感じる」「緊張感がある」という人であるならば、この本質にもとづいて、「過去のことはいいことも 悪いことも考えない!!」繰り返し、なんべんでも「自分」に言い聞かせて、ふ りかえって「考えること」を中止!! しなければなりません。 「過去のこと」「過ぎたこと」を「考えてもよい場合」というのは三つの例外しかありません。それは「今日何かをおこなう」「明日何かをおこなう」とい う場合に、その「何か」を「うまくやるにはどうすればいいか?」と「考え」て「あのときは失敗したから次はこんなふうにやろう!」とか「あの場面ではうまくいったから、また同じようにやってみよう!」と「考える」のは正しいので す。これは「教訓をいかす」「反省する」「内省する」という非常に知的な思考のしかただから、やってもかまいません。 なぜ「過去のこと」は「いいこと」も「悪いこと」も「考えてはいけないのか ?」という、それは人間は、誰でも「現在」から「明日」に向かって生きているから!! なのです。「過去」に向かって生きているのではありません。だから、どういう理由、目的であっても「過去の自分」について《考える》ということは、《自分の現在の現実》が「見ていても視ていない」という心的な状態に一瞬にし て変わってしまうのです。これは「自分の目の前の現実が分からない!!」という 不安をつくり出す!! ということを意味します。せっかく「今日は張り切ってが んばろう!!」と意欲を燃やして、この意欲をジャマするものは何も無いのに、ふと「過去のイヤ~な自分の姿のイメージ」を考えたばかりに無気力になる!! という体験はあなたにもあるでしょう。「過去のこと」を「考えることの不都合 」とはこういうことなのです。 「不安」 「恐怖」 などの悩みを即効的に解消させるためにすぐ「効果」があらわれる実行の「方法」をお教えします!!  これからお教えすることは、すべて「家の中」で「実行」してください。なぜならば「家の中」は、「家の外」が《社会性の世界》であるのにたいして、《非社会性の世界》といってここは《血縁関係》を土台にした《血縁意識》という「 気持ち中心の世界」だからなのです。「家の中」は「気持ち中心の世界」ですからなにをやっても、なにをやらなくても「自分の勝手」「自分の自由」の世界です。 しかし、「家の外」の《社会性の世界》は、ちようど「本番の舞台」「ステージ」とおんなじで「家の中」で《予習・復習》《一人練習》をやって「自分」 の身につけたこと、能力の水準  表現できる内容  が「あらわされる」のです。「家の中」の《予習・復習》《一人練習》は・・・・「よいこと」も「悪いこと」もそのままそっくり「あらわされる」と正しく理解してください。 そこで「不安」「恐怖」の悩みを即効的に「解消」する「実行の方法」は!! 「ひとりの時」に、タタミやこたつ、ソファの上に「身体」をゴロゴロと 横たえないこと。寝っころがって「身体」を受け身の状態にしないこと。 「ひとりの時」に「身体」をゴロゴロさせて「雑誌」「マンガ」を見ないこと 。「本」も読んではいけません。また「ラジオ」「テレビ」「カセット」を観たり、聴いたりすることも中止してください。 「家の中」で「ラジオ」「テレビ」をつけっぱなしにして聴く、という「 ながら族」は中止しましょう。「聴きながら」「観ながら」食事をする! 家事をする! 仕事をする! 勉強をする! というのが「ながら族」ですから、やめてください。 「家の中」で《休む》ときは、必ず「上半身」を起こして休息すること。「テレビ」「ラジオ」「テープ」を観たり、聴いたりする時は必ず、「上半身」を 起こした状態で、「時間」と「番組」を決めて!! 終わったら必ず、「自分の手」でスイッチを止めること。 「夜」になって「ふとん」「ベット」の中に入って寝る時は、「ラジオ」「テレビ」を観たり聴いたりしながら寝ることは「中止」すること。 「不安」「恐怖」!! が心の中に起こった時!! また「不安」「恐怖」を《解消!!》したい時は、「家の中」で《目》《手》《足》をいっぺんに「働かせる!!」ことを「実行」すること。具体的には、「固形せっけん」を使った「せんたく」 を実行してください。正しいやり方は、指先と手首に力をいれてスピードをあげ て洗ってください。必ず「せんたく板」を使ってください。風呂場の中で「入浴」といっしょに洗う、という「方法」はダメです。また「ぞうきん」を使って「そうじ」 をする!! という「方法」、「ほうき」を使って「そうじ」をする!! という方法も効果的です。
日本の男性が危機にあるとは?  日本人の男性の場合は特に、人生に2回ぐらいトラブルを起こすと思うのです。思春期と中年期です。この時期の特徴は、現実の環境が大きく変わるいうことなんです。  女性の場合は、元来「言語の能力」と「人とかかわる能力」が高いので、その時期にトラブルはあまりないんです。もともと、左脳と右脳をつなぐ脳梁(のうりょう)という器官が太くて、言語は男性の倍の速さで覚えてしまうぐらいですから。でも、男性のほうはというと、それらの能力がまったくのゼロ。最初からないんです。つまり、男性がその時期に爆発するのは、変化する環境にすぐに適応できる脳を持っていないからなんですね。もともとの脳の構造、ハードウエアに違いがあるというわけです。 なぜ日本の男性だけなのでしょう?  日本語に根本の問題があると思うんですね。そもそも人間は、左脳を中心にものをしゃべっているわけですが、くわしくいうと、左脳の中でも、耳で聞いた言葉を理解する「ウェルニッケ言語野」と、頭の中の考えを表現する「ブローカー言語野」という部位で役割が分担されているのです。  いうまでもなく、日本語には漢字があります。ここが他の言語と違う。外国人は「ブローカー言語野」を使って、すべての話し言葉を覚えるのに対し、日本人は漢字を右脳の言葉(感覚の言葉)として覚えてしまうわけです。いわばデジカメでパチパチと写真をとるように、「意味」より「形」で捉えるわけです。  「意味」ではなく、「形」で覚えているわけですから、いざ知らない言葉に出会った時、ほとんど意味がとれない、わからないという状況になる。これはたとえば、会社に入っていったん仕事を覚えてしまうと、男性はその覚えた仕事以外はできなくなってしまうのと同じです。  旧来の、肩書きだけで仕事が成り立つ時代が終わったことで、社会不適合に陥った男性が日本に大勢いるということではないでしょうか。 つまり、日本の男性は脳に問題を起こしやすい?  そうです。先ほど言語能力といいましたが、本当に会話の能力がある男性なんて、おそらくほんの少しじゃないでしょうか。女性同士では、なにげなくしゃべっているのを見ても、ちゃんと意味がわかっていて言葉が返り、会話の流れ方もスムーズですよね。でも、これが対男性との会話になると、男性側は女性から返ってくる言葉を全部聞いていなかったり、女性の話に調子を合わせているだけだったりする…そういうのが多い。  これは、男性の言語能力が限られているせいでもあるし、普通の人間関係のなかで使えるボキャブラリーが少ないということです。これが問題なんですね。仕事で使う言葉ならたくさん知っているんでしょうが、社会的地位とか、お金とかは、本来、人間関係とはまったく関係ないことですからね。  結局、日本人の男女間のあり方を見ていると、男性が幼くなるか、凶暴になるか、自分を一方的に押し付けるか、そんな風になりがちです。そこを女性がフォローすることになるので、男女の会話では、女性のほうがストレスを感じることが多い。言語能力に問題を抱える男性の相手をするために、女性は相当な愛情を持って臨んでくれているわけです。 男性は、どうすれば変わるのでしょう?  日本人の男性は、二人の女性から「言語の能力」と「人とかかわる能力」を教わらなければならないんです。まず最初に教わるのは、母親です。母親から話術や女性とのコミュニケーションの取り方を教わっていなかったら、その男性は一番の望みである恋愛がうまくいかず、あとはお酒に走るか、母親に甘えるしか道がなくなるのです。  そして、もう一人が妻や恋人です。子どもは、母親にはいろいろ話しかけても、お父さんは避けるでしょう。いつも怒っているし、雑だし、昔の話ばかりするしとかいって。でも理想は、子どもが何かサインを出してきた時にいつでも受け止められるような関係なんですね。それができるためには、まず夫婦で会話をして「人とかかわる能力」を磨いておくというのが大切になってくるわけです。 男性の変化に期待できますか?  日本の男性が今述べたような状態である限り、それを前提に女性はやっていくしかないですよね。男性を“救出する”ぐらいの心積もりが必要なんじゃないでしょうか。  人生、折り返し地点を過ぎたあたりから、誰かの死に目に会ったり、病気をしたりと必ず危機が訪れます。そんな時にやっぱり男と女で一緒にやっていくことになる。そういう時が必ず訪れるんです。その時に言語の力がなければ男女は協力し合えないのです。「言語の能力」と「人とかかわる能力」の基礎を身につけておくということは、男性にとって本当に無視できない課題なんです。  それらの能力さえ身につけば、もともと男性は行動力や空間認知力、全体的な計算から細かい計算まで、そちらの能力は持ち合わせていますから。そこに力を発揮させて、家族に幸せを還元させるというやり方があります。女性のもともと持っている愛情深さみたいなもので、男性の言葉に共感したり、会話を喜んだりしながら、どうにか男性を“救出”してあげてほしい。
(1) 平成16年9月15日。「長崎家裁佐 世保支部」(小松平内裁判長)は、「佐世保小6事件」の第3回「少年審判」を開いた。「加害者女児は、確定的な殺意をかかえていて、計画的に殺害行為に及んだ」と認定した。  「女児には、精神病性の障害はない。しかし、社会性や共感性が正しく発達していない。情緒面についても偏りがある。怒りを感じると、怒りの対象から回避するか、その相手を攻撃するという両極端しかない」と分析した。  「ゆいいつ安心できて、自分の存在感を確認できる居場所のインターネット、交換日記に反論を書かれこれを侵入と感じて、怒りをつのらせた」と原因について言及している。 ●父親・恭二さんの手記 (2) 被害者の女児、御手洗怜美(さとみ)さんの父親、御手洗恭二さん(46歳)は、「手記」のはじめに次のように書いている。 「さっちゃん。  あの日から3ヵ月半。少年審判が終わりました。  たくさんの人が彼女のことを調べてくれた結果に、父さんは戸惑っています。  彼女は、程度の差はあれ、父さんたち大人が一般的に「普通」と呼んでいる子どものようです。この結果は、鑑定や調査の限界だろうか。それとも「普通の子」でもこんな大変なことを起こしてしまうということだろうか。父さんには分かりません」。 ●「長崎県・佐世保市事件」 (3) 長崎県・佐世保市事件」は、なぜ起こったのか?  少女A(11歳)は、なぜ、同級生の女の子、御手洗怜美さん(12歳)の首をカッターナイフで切り裂いて殺害したのか。  少女Aは、自分の「考え」で殺害を決めた。そして計画を立てた。計画とは、「殺害する」という行動の目的を立てたことだ。殺害の方法は「カッターナイフ」を用いるというものだ。  「計画」のことは、ランドセルの中に入っていたノートに書いてあった。カッターナイフは、凶器として持ち歩いていた。同級生の男の子が、教室で「何の本を読んでるの?」とのぞきこんだら「あっちに行け」とカッターナイフの刀を向けられておいはらわれている。 ●人間は、「考えたことを実行する、 考えないことは実行しない」 (4) では、どのように考えれば、同級生の親しい友人を殺害する、という「考え」になるのか?  それは、「頭の中」に「殺害する」というイメージがつくられなければならない。人間が何ごとかを「行動する」には、「頭の中」に「イメージ」がつくられることが必要なのだ。  たとえば、AとBという二人の人物に次のようなことを伝えたとする。  「今日も、明日も、あさっても、リンゴを買ってきてください。今日はリンゴ1つ、明日はリンゴ2つ、あさってはリンゴ3つです」。AとBは、それぞれ「はい、分かりました」と返事をした。  Aは、今日リンゴ1つ、次の日はリンゴ2つ、その次の日はリンゴを3つ、買ってきた。  Bは、今日、リンゴを1つ買ってきた。しかし、次の日はリンゴを買っ てこない。その次の日も、リンゴを買ってこない。  Bは、なぜリンゴを買ってこないのか。  「はい、分かりました」と、Aと同じように返事をした。だから耳に言葉が入ってこなかったわけではない。  ちゃんと耳で聞いている。「なぜ、リンゴを買ってこないのだ?」と詰問する。すると「忘れました」と返事をするだろう。  「忘れました」とは、「憶えていたけれども、リンゴを買うという行動を起こさなかった」という意味だ。本当なのか?そこで質問してみる。  「Aは、ちゃんと憶えていた。なぜ、忘れた?」。すると次のような返事が返ってくるだろう。  「うっかりしていて」。  「ボーッとしていて」。  「聞いたのに、忘れて」。  「ほかのことをやっていて、リンゴを買うことを忘れて」。  「電話がかかってきて、長く話したので」。  では、リンゴを買ってきたAは、「ほかのことをやらなかった」のか?「電話で長く話さなかった」のか?  「ボーッとする」「うっかりする」ということはなかったのか?こういうことは、誰の経験の中にもある。しかし、「リンゴを買うこと」は忘れない。  ちゃんと耳で聞いて、「はい、分かりました」と返事をしたことは憶えている。  「リンゴを買わなかったB」は、「買わなかった理由」について正当性のある理由を話していない。なぜ、「正当性がない」と分かるのか?  それは、次のような質問をしてみれば明らかになる。 ●「忘れた」のではなく「記憶できていない」   「では、何を、どのようにしてく れと命じたか?」  この問いにたいする即座の返事は、こうなる。  「リンゴを買うことです」。  同じ質問をAにする。  「では、何を、どのようにしてくれと命じたか?」  「リンゴを買うように命じられました。今日リンゴを1つ、明日はリンゴを2つ、あさってはリンゴを3つ、買うということが命じられた内容です」。  このAとBへの質問の回答を比べてみる。  Bには、「リンゴ」を「買う」という言葉しか記憶されていないのだ。  「頭の中のイメージ」は、「リンゴ」と「買う」という二つの「イメージ」しか思い浮べられていない。  Aの「頭の中」には、「今日はリンゴを1つ」「明日はリンゴを2つ」「あさってはリンゴを3つ」、「三日間にわたって、連続して買って来る」というイメージが思い浮べられている。AとBには、こういう違いがある。  この違いとは、Aは「話し言葉」を耳で聞いたことが「脳の中で学習され、記憶されている」、Bは「脳の中で学習されない、したがって記憶されない」という違いがあるということなのだ。 ●忘れた人」は「責任意識」を感じる   もし、Aが「リンゴを買うことを忘れた」とする。すると、Aは、「はい、分かりました」と返事をしたのに「買わなかった」のだから「自分が過ちを犯したこと」に責任を感じる。「リンゴを買わなかった」ことで生じたダメージや損害、信用の欠損に思いを寄せて、これらの「損害」の回復につとめなければならないと考えるだろう。  「リンゴを買う」という責任主体が「命じた人間」からAへと移行したからだ。「聞いた言葉が頭の中に、学習されてイメージがつくられた」ということは、「責任主体」が移行したということだ。  「命じた」ということには、必要と目的があるから、伝えられる。  「買う」という行動には、「利害」という価値が内包されている。  しかし、Bの「頭の中」には「3日間、連続してリンゴを買う」というイメージが無い。「耳」で「リンゴを買うように」という「話し言葉」は受容された。だが「脳の中」でその「話し言葉」は学習されない。  「学習する」とは何のことか?「言葉になる」ということだ。「話し言葉」か「書き言葉」にむすびつけられることが「学習」ということだ。 ●「記憶」は虚無だから「自分の責任」とは思わない   「頭の中」にイメージが形成されなければ、「無」だ。「話し言葉」として「耳」で聞いた時は、耳の聴覚機能が知覚した。だから「はい、分かりました」と口に出して返事をした。だが、「頭の中に確かにイメージが形成されました」という返事ではない。「頭の中」に「イメージが形成されていない」とは、虚無だ。  虚無ならば、「リンゴを買うことを忘れた」と、言っても、責任は感じない。「主体の行動」はおこなわれていないからだ。そこに、「損害」が発生しても、自分とは全く関係のない「損害」の現象が勝手に起こったとしか認識されない。「損害」に羽根が生えて、自然にやってきたという認識の仕方になる。 (5) ここで、Bの「リンゴを買うこ とを忘れました」という言葉を考察してみる。「リンゴ」と「買う」という「話し言葉」は学習されて記憶されている。しかし「今日はリンゴを1つ」「明日はリンゴを2つ」「あさってはリンゴを3つ」を「買う」という「話し言葉」が学習されていない。 ●「触覚の意識」は記憶する。「視覚」の対象は「虚無」   「脳の中でイメージされる」ということが「学習」だ。  Bの「学習されている言葉」と 「学習されていない言葉」は、  「脳の中」に、確定される部位と、確定されない部位があることを意味しているのだ。  「リンゴ」「買う」というのは「手」「指」「足」による関わりで関係性が成り立つ。「関わりが成り立つ」ともいう。これを「触覚による認知」という。  「触覚による認知」をつかさどるのは、「右脳のウェルニッケ言語野」だ。だから、Aは「右脳のウェルニッケ言語野」で「話し言葉」を聞いたことになる。  では、「リンゴが1つ」「リンゴが2つ」「リンゴが3つ」というのは「触覚の対象」ではないのか?  「触覚の対象」に決まっている。それならば、「リンゴ」という「触覚の対象」は認知されているのに 「リンゴ1つ」「リンゴ2つ」「リンゴ3つ」は、なぜ認知されていないのか?  これは、「量としての数」の「認知」が失語症であるという。 「順序としての数」ではない。「順序としての数」は、「右脳のウェルニッケ言語野」ではなくて「右脳のブローカー言語野」で学習して、認知する。Bは、「量としての数」の「話し言葉」を「右の耳」で聞いたことが無いか、もしくは、聞いたことはあるが、「特異体験」として「パソコン・ケータイ」のディスプレーで「量」を数えたか、もしくは、「長崎県・佐世保市事件」の少女Aのように「騒音の中」で「量」を数えたのだ。「騒音の中」で「量」を数えると「右の耳」で「人の話」を聞いていたものが、パッと「左の耳で聞く」というようにスイッチされる。  すると、「右脳のウェルニッケ言語野」の「触覚による認知」は「自分の一つの手と一つの対象物」との「一対一の対応」になる。  「リンゴ2つ」「リンゴ3つ」という「触覚のイメージ」は破壊される。そしてひょっとして「バッド・イメージ」に変わるかもしれない。 (6) 日本人は「右脳」で言葉を学習して憶えている、といわれている。  しかし、大脳生理学の本を見ると、どの本にも「右脳には言語を学習す る機能はない」と書いてある。  「言葉を話す」「言葉を書く」という時の「言語」は主要言語という。主要言語を学習して、記憶し、話したり書くという「表現」をおこなうのは「左脳」なのだ。  では、日本人は、一体、どうやって「右脳」で「言葉」を学習して、話したり書いたりしているのか?  それは、「左利きの人」のことを モデルにして考えてみるとよく分かる。 ●交叉支配   「交叉支配」ということはすでに教えた。くりかえせば「身体」の「左半分」「右半分」は、脳の「右脳」と「左脳」がそれぞれ半分ずつを支配しているということだ。身体の「左半分」は「右脳」が支配している。また、身体の「右半分」は「左脳」が支配している。  これは、人間というものを正しく理解するうえで非常に重要なことだから、「カウンセリング」を勉強する人はとくに、ちゃんと憶えておかなければならない。  このことを学習しているのに、人と会話をする時に、「左か、右のどちらかの方向を見ながら相手の話を聞く」とか「左の耳に電話の受話器を当てて聞く」とか「ハッキリしないボソボソした声でしゃべる」ということがあれば、それは、「右脳のウェルニッケ言語野」でなければ「右脳のブローカー言語野」の重症の失語者であるといっていい。  会社の社長がそういう人だったらまちがいなく、その会社は、どこかで危うくなる。  しかし、今の時代と社会でそういう会社が立ちいくはずがないから、「社長」の中にはそういう人はいないといっていい。一般職員の中の、しかも「中間管理職」にそういう人がいればどうなるか?「脳の働き方と言語の学習能力」の問題は、こん なふうに「現実の利害」の中に置いて考えてみるべきなのだ。  「交叉支配」ということをよく理解してもらえただろうか。   「左利きの人」は、「左手の触覚」 を「右脳のウェルニッケ言語野」で 触覚の対象として認知するのだ。こ れは、一体、どういう問題をはらむのか。 ●右利きの人   「右利きの人」と比べてみよう。「右利きの人」は、「左脳のウェルニッケ言語野」で、触覚の対象として認知する。この両者の違いが分かるだろうか?「左脳のウェルニッケ言語野」は、「主要言語」を学習して、憶える、と説明した。  すると、「右手で物を触る」というのは、「物理としての物体」を触っているのではない。「触覚の対象」を《観念》として触っている。これを「一対二の対応」という。「手で触る」というのが「一」だ。「触った時の知覚の感触」と「これは、リンゴよ」(母親の話し言葉)が「二」だ。 ●左利きの人の場合   ところが「左利きの人」の場合は「右脳のウェルニッケ言語野」で「触覚の対象」を認知する。  「右脳のウェルニッケ言語野」は「言語」は学習しない。物体の形象を「認知する」。すると「左利きの人」は「触覚の対象」を《物理》としてのみ触っていることになる。  このような触り方を「一対一対応」というのだ。ここには、言語のレベルの《観念》は無い。 ●左の耳で聞いた場合   このような「左利きの人」に「母親」が「これはリンゴよ」と話して聞かせたとする。この場合、二通りの「話し方」が成り立つ。一つは「右の耳」に話しかけて聞かせる場合だ。もう一つが「左の耳」に話しかける場合だ。これも「交叉支配」の法則にもとづいて考えなければならない。  母親が子どもの「左の耳」に話しかければ、子どもの「右脳のウェルニッケ言語野」に届く。「左利きの人」が「手で触った触覚の認知」は「右脳のウェルニッケ言語野」でおこなわれている。「じゃあ、ちょうど、うまくピッタリと一致しているではないか」と思う人がいるかもし れない。  ところが、そうはならないのだ。  「左の耳」は「右脳の聴覚野」とむすびついている。この「右脳・聴覚野」から「右脳・ウェルニッケ言語野」にむすびついて、このむすびつきが「左脳のウェルニッケ言語野」へとフィード・バックされる。  「右脳・聴覚野」は、「人間の声、言葉」を了解しない。「虫の音」とか「風の音」「生活音」のような「自然音」を了解する。すると「これはリンゴよ」という母親の話し言葉も「声の音」のみが了解されて「これは、リンゴよ」という言葉は了解されない。すると、子どもは、今、自分が手で触っている「物体」(リンゴ)について「リンゴ」という言葉を学習することができない。  ●右の耳で利いた場合   では、「左利きの人」が「右の耳」で「これはリンゴよ」という「話し言葉」を聞けばどうなるか。  「右の耳」は、「左脳の聴覚野」 にむすびついている。母親の「これはリンゴよ」という「話し言葉」は、そのまま学習されるだろう。だが、「左の手」でリンゴを触っている。「左手」は「右脳のウェルニッケ言語野」につながっている。だから「リンゴ」という物体は知覚する。だが、「左手」は「左脳のウェルニッケ言語野」にはつながっていない。  すると「右の耳」から「左脳・聴覚野」に入ってきた「これはリンゴよ」という母親の「話し言葉」はどうなる?「左脳のウェルニッケ言語野」には、「右脳のウェルニッケ言語野」の「触覚で知覚された認知」(リンゴの形象性)は届いていない。  子どもは、「一体、何が、リンゴなのだろうか?」と考えるのだ。今、自分が手で触っている物体が「リンゴ」であるとは認識されないのだ。  子どもは、「右の耳」から「左脳の聴覚野」に届いて学習された「これはリンゴよ」という「話し言葉」を「何がリンゴか?」と分からないままに記憶している。その一方で、「左手」でリンゴを触りつづける。 ●左利きの人の言語の学習の仕方とは   もちろん「眼」でもリンゴを見つづけるだろう。「眼の視覚情報」の「X経路」がくりかえしリンゴに焦点を合わせる。そして、詳細に観察する。この「X経路」が「左手で触ったリンゴの知覚」と「これはリンゴよ」という「話し言葉」をむすびつけるのだ。  子どもは、自分が今、げんに手に触っているリンゴを見て、母親の「これがリンゴよ」という言葉を思い出す。  「これが、リンゴだったのか」。 ●日本人の言語学習の仕方と同じ   日本人が「右脳」をつかって「言葉を学習し、憶える」とは、この「左利きの人」が「右耳」で「話し言葉を聞く」という学習システムのとおりに学習するのだ。 (7) 「左利きの人」と「日本人一般」の「言語学習のシステム」は、ほとんど同じだ。  母親の「話し言葉」を「右の耳」で聞いた場合に限って「左脳の聴覚野」が「母親の話し言葉」を学習して憶える。  「右利きの日本人」は、「右脳のウェルニッケ言語野」で「触覚の対象」を触覚の知覚として認知する。同時に、「左脳のウェルニッケ言語野」で「母親の話し言葉」を学習する。そして「右手で触った物体」についての「言葉」を学習する。 ●日本人の言語の学習の仕方   この日本人の言語の学習システムのどこが不都合なのか?いいかえれば、一体、なぜ「右脳で言葉を学習して、憶える」ことになるのか?  それは、日本人の「子育ての仕方」に理由がある。  子どもを抱っこして育てる。  陝子どもを背中に背負って母親の身体に密着して育てる。  陟母親が、子どもと自分を気持ち(感情)の上で一体化させて、「子どもの気持ち」をくみとって、「子どもがこう思っているだろう」ということを予測して、「子どもになり変った話し言葉」を話す。 ●例   「ママはねえ」 「おいちい?」 「あんよはじょうず」 「順子ちゃん、おはよー」 「おみじゅ、飲む?」  この、子どもにとって「対象」との「距離の無さ」が、「対象」をつねに「触覚の対象」として了解させる。つまり、「右脳のウェルニッケ言語野」だけで「現実の物体」(書き言葉の文字、漢字、文章も)を認知してきた。 (8) 「必然的」という言葉がある。  「雨が降れば、身体がぬれる」というのは必然的だ。  同じように、右脳のウェルニッケ言語野の「触覚の対象」としてだけで「現実の事物」を了解しつづければ、「眼で見る」という「視覚の対象」も「触覚の知覚」の地続きで「見る」ということになる。 ●ブローカー失語のしくみ   遠くにあるものは手で触れないから「無い」も同然だ。必然的に「遠くにあるもの」は「見えない」から「無い」も同然だ。  これは、「抽象的なもの」は、知覚で認知できないということだ。  「視覚の対象」を形態認知するのは「右脳のブローカー言語野」だ。  このようにして、「ブローカー失語」なるものがつくられる。「ブローカー失語」とは、次のようなものだ。 1.ものごとと自分が「距離」が離れると分からない。 2.ものごとにたいして、角度が変わると分からなくなる。 3.ものごとが、どちらに進んでいくか?その進んだ先々ではどのような状態になるかの予測、推測、推察ができない。 (9) 「長崎県・佐世保市事件」は、「右脳のウェルニッケ言語野」の「触覚の形態認知」が、「右耳」に入ってくる「話し言葉」が、教室内の「暴言」によって「左耳で聞く」というようにスイッチされた。 ●暴言、怒鳴り声は「左耳」で聞く   「暴言」が「右脳・ウェルニッケ言語野」の「触覚による形象のイメージ」をいびつに歪めた。バッド・イメージに変わった。  「人間は、自分が考えたとおりに実行し、考えないことは実行しないのである」という無意識の観念の運動の法則のとおりに行動した。  「バッド・イメージ」のとおりに現実の対象が壊れれば「右脳・ウェルニッケ言語野」にドーパミンが分泌する。だから同級生の女の子は殺害された。 まとめ 「特別の個人指導」 ウェルニッケ失語とブローカー失語の改善の仕方 ウェルニッケ失語とブローカー失語 の改善の仕方   「特別の個人指導」 (1) 「観察の対象」の了解(認知)は、もともと「触覚の対象」の了解(認知)が土台になっている、と分かる。 → 「無意識の観念の運動」とは? 「自分は、ものごとを、順序だてて話せない、と考えている自分」のイメージ (2) この了解(認知)は、「右脳」でおこなわれていることを分かる。 1、触覚による了解(認知)は、右脳のウェルニッケ言語野である。 2、視覚による了解(認知)は、右脳のブローカー言語野である。 → 「中止すべき無意識の観念の運動のイメージ」とは? 「自分は、特定の事物を“説明する”という話し方ができない、と考えている自分」のイメージ (3) 「言語」の学習は「左脳」でおこなわれる。 1、左脳の聴覚野で、「話し言葉」によって学習する。 2、この「話し言葉」が、「右脳のウェルニッケ言語野」を「左脳のウェルニッケ言語野」につなげる。 「ブローカー言語野」の場合も同じだ。 → 「自覚的に考えるべき観念の運動 のイメージ」とは? 「自分は、書かれている文章を耳で聞いて、そのとおりに書いて、ウェルニッケ失語を治す、と考えている自分」のイメージ (4) すると、改善の方法は、「書き言葉」を「話し言葉」で聞く、これを「書き言葉」に置き換える、という方法になる。 1、この場合、「一言一句、同じように書く」。 2、「いつ」「どこで」「何が」「どのように」「どうした」の意味を書く。 3、「名詞」(触覚の対象)を「書き言葉」で書いて説明する(ストーリー仕立て)。この実践実技の方法をおこなう。 → 「さらに自覚的に考えるべき観念の運動のイメージ」とは? 「自分は、いくつか並べられている名詞(触覚の対象)をストーリー仕立てで説明してこれを書き言葉で書いて、ブローカー失語を治す、と考え実行している自分」のイメージ 世界的水準の安保徹の免疫学と、「眼と耳」の自律神経と脳の働きにもとづくイメージ療法 ウェルニッケ失語とブローカー失語を改善する ポルソナーレ式イメージ切り替え法 演 習 (1)右の目」を「右の下」に向ける ・20秒以上。(顔を正面に向けたまま、右目だけを「右下」に向ける。以下同じ)。 陝「自分は、ものごとを順序立てて話せない」と考えているという自分のイメージを思い浮かべる。 (2)「左の目を」「左の上」に向ける ・自分は、「自分は特定の事物を説明する、という話し方ができない」と考えている自分のイメージを思い浮かべる。 陝脳の働き方のトラブルは「話し言葉で文章を聞いても、言葉がつくりかえられる、すなわち対象をこわすウェルニッケ失語である」と正しく分かる。 (3)「右の目」を「右の上」に向ける 左脳の頭頂葉でイメージされる。 陝自分の「分身」の谷川うさ子を呼ぶ。 (1)と(2)の「自分」のいる「右脳の頭頂葉」へ「谷川うさ子さん」といっしょに行く。 (4)「右の目」を「右下」に向ける 自分の分身の「谷川うさ子さん」といっしょに「(1)(2)(3)(4)をくりかえして憶えている自分」をイメージする。 (5)「左の目」を「正面」に向ける ・「右脳」の頭頂葉でイメージする。 上記の(3)の、「右の目を右の上に向ける」という「イメージ切り替え法」が「ポルソナーレ式イメージ切り替え法」です。右脳の“失語”を治すために、あなたの頭頂葉の「谷川うさ子さん」といっしょに、次のようなことを理解しましょう。 脳の働き方としての「言語の学習過程」は、次のとおりです (1) 「言語」は、「右脳」のウェルニッケ言語野とブローカー言語野のそれぞれの「形態認知」 を「左脳」の「聴覚野」が「左脳」のウェルニッケ言語野とブローカー言語野で学習して、憶える。 (2) 「言語」は、「話し言葉」と「書き言葉」ともに、「左脳」で学習して「左脳」で憶える。 (3) 「言語」の学習の仕方と憶え方とは、「左脳」の聴覚野」が「話し言葉」を「右の耳」で聴いて学習し、これを本人が「話し言葉」として発語して憶える。 (4) これは、「書き言葉」の場合も同じである。 「左脳」の「聴覚野」が「話し言葉」を右の耳」で聴いて学習し、これを本人が、「発語」ないし「話し言葉」として言いあらわした「表音の文字」ないし「表音の文字のつらなり」のとおりに「書く」というように憶える。 (5) さらに、「言語の能力」が進むと「右脳」の「ブローカー言語野」で学習して憶えられている「書き言葉」を「左脳のブローカー言語野」で抽象化するというように学習し、より抽象度の高い「書き言葉」として憶える、というように発達する。 「谷川うさ子さん」は、「左脳の頭頂葉」にいます。  右脳のウェルニッケ失語とブローカー失語を治すために、「谷川うさ子さん」といっしょに、次のことを理解しましょう (1) 「長崎県・佐世保市事件」は、「話し言葉」が遮断されて「左脳」の「ウェルニッケ言語野」と「ブローカー言語野」で「話し言葉」と「書き言葉」の発達が停滞する、さらに退行化する、ということから引き起こされています。 (2) 直接の原因は、「左の耳」に「教室の生徒の無秩序の言葉」(いじめ、暴言など)が入ってきたために「右脳の聴覚の対象」は「話し言葉」が無いので、壊されるというように学習的に作用します。 (3) このようにして「右脳のウェルニッケ言語野とブローカー言語野」の形態認知が歪みます。「右脳のウェルニッケ言語野」の歪んだ触覚の形態認知が左耳で聞いた人の声の雑音化で「バッド・イメージ」に変わるのです。 (4) すると「Y経路」は「歪んだ触覚の対象」や「歪んだ視覚の対象」を選択的に注目し、選択的に反応します。「殺す」「壊す」「秩序を破る」という考えとイメージが選択の根拠です。これは、「A10神経」は、「歪んだ触覚の対象」と「歪んだ視覚の対象」をドーパミンの対象にするというように変容します。 最後に、上記を参照のうえ、下記の空白の欄に ご自分で記入して、演習してください。 (1)「無意識の観念の運動」とは? (2)「中止すべき無意識の観念の運動のイメージ」とは? (3)「自覚的に考えるべき観念の運動 のイメージ」とは? (4)「さらに自覚的に考えるべき観念の運動のイメージ」とは? ゼミ・イメージ切り替え法 NEWS LETTER 第112号 了 --------------------------------------------------------------------------------
性格プロファイリングは事件の 核心を明らかにする 「性格プロファイリング」について、あらかじめ予想される誤解を解いておきます。個人の家庭環境、生育歴を探っていく「性格プロファイリング」の目的は、ご本人やご家族を糾弾、非難するためでも(たとえば、「親が全て悪い!」)、ご本人やご家族の人間性、人格を否定するためのものでもありません。 岡村容疑者を引き合いにすれば、「性格プロファイリング」の目的は、殺人を犯して自殺した岡村容疑者が、生まれてから、何をどう考え、行動してきたか?いわば、生まれてから蓄積されてきた無意識を浮き彫りにすることなのです。 岡村容疑者を「性格プロファイリング」することによって、当のご本人でさえわからない、こんな「どえらい」事件を起こした本当の理由を明らかにすること。それは、他ならぬ殺された中村俊希君やそことでしょう。世間から極悪人と責めたてられるどんな個人の命もかけがえのない命です。だからといって、中村俊希君殺害の倫理的、法的な責任が消去されるものでないことはもちろんの事です。その責は彼一人が背負うべきものです。 私は、この事件の核心を公開することが、自分の社会的義務だと考えます。それが、この事件を真に「教訓化」することだと信じています。 岡村容疑者の家庭環境と生育歴 新聞、週刊誌等で、私が収集した限りでは、岡村容疑者の家庭環境、生育歴は、以下のようなものです。 家族構成 続 柄 年 齢、学歴等 父 不明(岡村容疑者が中学1年生時、病死) 母 50歳 兄 26歳(国立大学卒) 岡村容疑者 21歳(高校卒業後無職) 中学校時代は、学年で10番前後の成績。母親は、「うちの息子は頭がいいのだけが取り柄で・・・」 と近所に自慢するほどだった。 友人によると、「感情を表に出さず、自己主張しないタイプ」 高校受験に2度失敗した。第一志望は、私学の名門校。第二志望は、府立の進学コース。(京都府) は、各高校に2コースが設置されている。学区内の志望高校に志望順位をつけ、学校別にでなく、 コース別に試験を受ける)府立の中堅進学校に進学。 高校一年生頃から不登校気味だった。高校二年生の秋頃からは一年間休学。その後は、引きこもりがち。 学校は、卒業の意志のない岡村容疑者を説得して、追試験を受けさせ98年3月に卒業させる。卒業後も 岡村容疑者は、学校に卒業の取消を求めた。 大阪府立三島高校への手紙 私は卒業前の長い間、高校の教育に不満があって、高卒に(勉強していないなどの) 悪いイメージがありました。だから、卒業したくなく、中退しようと思っていました。 中退して大検をとり、大学受験をすることや自分でなっとくするレベルにしてから通信を 卒業することをしようと考えていました。 僕の場合、卒業は間違っていた。この卒業という結果になってしまい、僕の考えがしっかりして いなかったり判断をまちがえたのももいくらかありました。卒業前、先生と話していて、お互い 勘違いしていた部分もあったと思います。学校の先生にも原因はあると思って、考えていま す。今、高卒でいてもとても気分がわるく、私の人生が(この分に関して)わるくなったと思います。 1999年3月 大阪府立三島高校へ宛てた岡村容疑者の手紙より抜粋
概要 組織図 事業の沿革 ポルソナーレのゼミ │ ├ 教育・研究開発の実績 ├ 事業の目的 └ カウンセラー認定者 指示性のカウンセリング │ ├ 研究、発表 └ 書評、新聞記事等 全日本カウンセラー協会、ポルソナ-レ ご案内 THE COUNCELORS SOCIETTY OF ALL JAPAN, PORSONALE CORPORATE DATE 2005年4月 -------------------------------------------------------------------------------- 全日本カウンセラー協会、ポルソナーレ概要 協会名 全日本カウンセラー協会、ポルソナーレ THE COUNCELORS SOCIETTY OF ALL JAPAN, PORSONALE 事業部門より独立 (株)日本メール・ショップ・センターの事業部門より独立する (資本関係無し。教育関係の資源を継承)。 (ポルソナーレのゼミ、第五期ファンド基金1,000万円) 本部所在地 〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿西1の14の3、サンライズビル3F TEL 東京03(3496)6645(代表) FAX 東京03(34645905 E-mail info@porsonale.co.jp  HP http://www.porsonale.co.jp 全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ の単独分離、協会設立 1997年(平成9年10月) 所在と資源の母体(資本関係は無し) (株)日本メール・ショップ・センター概要 (会社設立1978年9月、資本金1,615万円、代表取締役社長・田原克拓) 全日本カウンセラー協会の取引銀行 東京三菱銀行恵比寿支店 口座名/全日本カウンセラー協会 口座番号/普1184051 全日本カウンセラー協会 ポルソナーレ 指示性(即効性)のカウンセラーになりませんか? 心身のトラブルは、時代と社会の変化と密接に関係していて影響を受けて発生します。したがって、心身のトラブルの解決とは、「現実の社会」と適合していける心と身体の能力を回復させることが目的になります。「治す」ということを真実の愛のメッセージとしてお届けできるのはポルソナーレだけです。 あなたと、あなたの愛する人を孤立から守るために「指示性のカウンセリング」を土台にした「ポルソナーレ式セカンドステップ」(会話術と質問術)で心のトラブルを解決するカウンセリング技法を身につけませんか? ゼミ・イメージ切り替法 会話術と質問術の スキルとロールプレイ カウンセラー養成ゼミ 病理べつの「セカンドステップ」 のスキルとエクササイズ ニューズレター サンプル 1 ニューズレター サンプル 2 ゼミ・バックナンバー ニューズレター サンプル 1 ニューズレター サンプル 2 ゼミ・バックナンバー 「特別の個人指導」 システム ポルソナーレ 用語説明 平成17年度・第七期 募集要項・入会案内 無料のビデオ(DVD)試聴・バックナンバーの申し込み 谷川うさ子の「今日の一言」掲示板 真実の「心の平和」を毎日、皆さまとご一緒に手に入れたいと願っています。携帯電話・パソコンからご投稿いただけます。心の支えのためにも「今日の一言」の掲示板を、ぜひ、毎日ごらんください。 メールマガジン「日常のマナーとコミュニケーション」 毎週火曜日発行、登録受付開始! うさ子さんの「カウンセリング・ニューズ」 登録制の無料のメーリングリストです。ゼミ生以外の参加も受け付けています。お一人お一人の悩み相談にもご利用いただけます。同時に、ゼミの学習を補う勉強会や、お互いの意見交換の場として、カウンセリングの能力の質的向上をめざします。 ポルソナーレ 支部のおしらせ いつでも、どこでもポルソナーレはあなたを孤立させません。あなたのお辛いお気持ちを打ち明けてください。ポルソナーレのプロのカウンセラーが対応いたします。お気軽にご相談ください。プライバシー、秘密は厳守いたします。 ポルソナーレ代表 田原克拓 ごあいさつ 著作一覧 / 略歴 ポルソナーレと全日本カウンセラー協会のご案内 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- --------------------------------------------------------------------------------