日本の男性が危機にあるとは?  日本人の男性の場合は特に、人生に2回ぐらいトラブルを起こすと思うのです。思春期と中年期です。この時期の特徴は、現実の環境が大きく変わるいうことなんです。  女性の場合は、元来「言語の能力」と「人とかかわる能力」が高いので、その時期にトラブルはあまりないんです。もともと、左脳と右脳をつなぐ脳梁(のうりょう)という器官が太くて、言語は男性の倍の速さで覚えてしまうぐらいですから。でも、男性のほうはというと、それらの能力がまったくのゼロ。最初からないんです。つまり、男性がその時期に爆発するのは、変化する環境にすぐに適応できる脳を持っていないからなんですね。もともとの脳の構造、ハードウエアに違いがあるというわけです。 なぜ日本の男性だけなのでしょう?  日本語に根本の問題があると思うんですね。そもそも人間は、左脳を中心にものをしゃべっているわけですが、くわしくいうと、左脳の中でも、耳で聞いた言葉を理解する「ウェルニッケ言語野」と、頭の中の考えを表現する「ブローカー言語野」という部位で役割が分担されているのです。  いうまでもなく、日本語には漢字があります。ここが他の言語と違う。外国人は「ブローカー言語野」を使って、すべての話し言葉を覚えるのに対し、日本人は漢字を右脳の言葉(感覚の言葉)として覚えてしまうわけです。いわばデジカメでパチパチと写真をとるように、「意味」より「形」で捉えるわけです。  「意味」ではなく、「形」で覚えているわけですから、いざ知らない言葉に出会った時、ほとんど意味がとれない、わからないという状況になる。これはたとえば、会社に入っていったん仕事を覚えてしまうと、男性はその覚えた仕事以外はできなくなってしまうのと同じです。  旧来の、肩書きだけで仕事が成り立つ時代が終わったことで、社会不適合に陥った男性が日本に大勢いるということではないでしょうか。 つまり、日本の男性は脳に問題を起こしやすい?  そうです。先ほど言語能力といいましたが、本当に会話の能力がある男性なんて、おそらくほんの少しじゃないでしょうか。女性同士では、なにげなくしゃべっているのを見ても、ちゃんと意味がわかっていて言葉が返り、会話の流れ方もスムーズですよね。でも、これが対男性との会話になると、男性側は女性から返ってくる言葉を全部聞いていなかったり、女性の話に調子を合わせているだけだったりする…そういうのが多い。  これは、男性の言語能力が限られているせいでもあるし、普通の人間関係のなかで使えるボキャブラリーが少ないということです。これが問題なんですね。仕事で使う言葉ならたくさん知っているんでしょうが、社会的地位とか、お金とかは、本来、人間関係とはまったく関係ないことですからね。  結局、日本人の男女間のあり方を見ていると、男性が幼くなるか、凶暴になるか、自分を一方的に押し付けるか、そんな風になりがちです。そこを女性がフォローすることになるので、男女の会話では、女性のほうがストレスを感じることが多い。言語能力に問題を抱える男性の相手をするために、女性は相当な愛情を持って臨んでくれているわけです。 男性は、どうすれば変わるのでしょう?  日本人の男性は、二人の女性から「言語の能力」と「人とかかわる能力」を教わらなければならないんです。まず最初に教わるのは、母親です。母親から話術や女性とのコミュニケーションの取り方を教わっていなかったら、その男性は一番の望みである恋愛がうまくいかず、あとはお酒に走るか、母親に甘えるしか道がなくなるのです。  そして、もう一人が妻や恋人です。子どもは、母親にはいろいろ話しかけても、お父さんは避けるでしょう。いつも怒っているし、雑だし、昔の話ばかりするしとかいって。でも理想は、子どもが何かサインを出してきた時にいつでも受け止められるような関係なんですね。それができるためには、まず夫婦で会話をして「人とかかわる能力」を磨いておくというのが大切になってくるわけです。 男性の変化に期待できますか?  日本の男性が今述べたような状態である限り、それを前提に女性はやっていくしかないですよね。男性を“救出する”ぐらいの心積もりが必要なんじゃないでしょうか。  人生、折り返し地点を過ぎたあたりから、誰かの死に目に会ったり、病気をしたりと必ず危機が訪れます。そんな時にやっぱり男と女で一緒にやっていくことになる。そういう時が必ず訪れるんです。その時に言語の力がなければ男女は協力し合えないのです。「言語の能力」と「人とかかわる能力」の基礎を身につけておくということは、男性にとって本当に無視できない課題なんです。  それらの能力さえ身につけば、もともと男性は行動力や空間認知力、全体的な計算から細かい計算まで、そちらの能力は持ち合わせていますから。そこに力を発揮させて、家族に幸せを還元させるというやり方があります。女性のもともと持っている愛情深さみたいなもので、男性の言葉に共感したり、会話を喜んだりしながら、どうにか男性を“救出”してあげてほしい。